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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月11日・ゼネラル・ヒグチ=樋口季一郎中将の命日

昭和45(1970)年の明日10月11日にゼネラル・ヒグチこと樋口季一郎中将が亡くなりました。82歳でした。
「ゼネラル・ヒグチ」と言うのはイスラエルのユダヤ民族基金の献金記録名簿である「ゴールデン・ブック=黄金の碑」に極東ユダヤ人協会の寄付により記載された名前で、逆に言えばわざわざ多額の寄付をしてまでも名簿に載せたいと思わせるような貢献をしたと言うことです。
樋口中将は明治21(1888)年に淡路島で生まれましたが、18歳の時に岐阜県大垣市の樋口家の養子になっています。つまり戸籍上は岐阜県人なのですが、岐阜県は県内八尾津町出身でユダヤ人にビザを乱発した外務官僚・杉原千畝ばかりを宣伝し、イスラエルのみならず世界中で高く評価されている樋口中将は無視を決め込んでいます。
樋口中将はハルピンの特務機関長を勤めている時、現地のユダヤ人協会会長のカウフマン博士の来訪を受け、極東ユダヤ人大会の開催の許可を求められました。樋口中将は快諾し、来賓として出席して、「ユダヤ人を追放する前に彼らに土地を与えよ。安住の地を与えよ。そして祖国を与えなければならない」と言う名演説をぶったのです。
またドイツでの弾圧から逃れた4千人を超えるユダヤ人たちがソ連と満州国の国境の駅に足止めされて凍死者が出ている状況を知ると直ちに救援に当たり、彼らが目指す上海へ送り届ける処置をとりました。このことを知ったナチスからの抗議を受け、軍部でも「三国同盟を危うくする」と言う非難が起こりましたが、樋口中将は関東軍参謀長だった東條英機に「苛められてここまで逃げて来た者を、苛めっ子の顔色を窺って一緒に苛める気か」と詰め寄り、これを承認させたのです。
樋口中将は駐在武官としてソ連情報の最前線であったポーランドへ赴任したことがあり、その時、旅宿でさえ東洋人と見て宿泊を拒否される中、ユダヤ人たちが暖かく迎え入れてくれたことやソ連国内のグルジアに潜入し、現地のユダヤ人の老人から「日本人こそ虐げられたユダヤ人を救う聖なる民族だ」と言う伝説を聞いたことで、ナチスに同調する風潮が蔓延する日本国内でもユダヤ人に対して冷静な評価ができたようです。
樋口中将は太平洋戦争中の昭和17年8月からはアリューシャン列島から千島、樺太までを管轄する北部軍司令官(名称は変わるが任務は同じ)を勤め、アッツ島・キスカ島からの撤退を大本営に進言しながら黙殺され、軍司令官の頭越しにアッツ島へ全滅を強要する訓令が発せられたことで不信感を抱き、海軍が独自にキスカ島からの撤退作戦を計画していることを知っても黙っていました。
一方、単なる人道主義者であるだけではなく、敗戦後にソ連軍が樺太・千島に侵攻を始めるとこれを撃破することを命じ、多大な損害を与えてスターリンの野望を頓挫させました。このことでスターリンは樋口中将を戦犯に指定するように要求しましたが、これを救ったのは世界のユダヤ人たちでした。ニューヨークに本部を置く世界ユダヤ人協会が樋口中将の功績と危機を世界各国のユダヤ人協会に通知したため救出に向けた国際世論が湧き起こり、占領軍総司令官・マックアーサーを動かしたのです。
  1. 2014/10/10(金) 08:56:43|
  2. 日記(暦)
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