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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月14日・ロンメル元帥が服毒自死

1944年の明日10月14日に「砂漠のキツネ(砂漠のネズミ=イギリス軍がつけた仇名)」エルヴィン・ロンメル元帥が強要されて服毒自死しました。
ロンメル元帥は1891年11月15日にドナウ川沿いのウルム市郊外で父親が教員の家庭に生まれました。戦前のドイツ陸軍では初の貴族出身ではない元帥です。
ロンメル元帥はウィルヘルム2世の治世下にあった1910年に士官候補生として陸軍に入り、士官学校を卒業して少尉に任官、1914年に生起した第1次世界大戦ではフランス戦線において歩兵小隊長として軍功を挙げ1級鉄十字勲章を受けています。中尉に昇任した後、エーデルワイスの部隊章で有名なヴェルデンブルグ山岳猟兵大隊に転属し、ルーマニアと北イタリア戦線へ赴き、1個中隊を率いてイタリア軍の要塞を攻略し、1個師団を撃退してドイツ軍最高のプール・ル・メリット勲章を受け、大尉に昇任しますが、ドイツの敗北で大戦は終結しました。
ワイマール体制下では保安部隊の中隊長や歩兵学校の教官(この時、ベストセラーになった「歩兵の攻撃」を出版した)、猟兵大隊長、兵学校の教官、士官学校長などを歴任しながら少将にまで上ります。
1939年に第2次世界大戦が勃発すると翌年2月に第7機甲師団長として西部戦線に赴きます。戦車部隊の指揮官にはアメリカのジョージ・S・パットン将軍や日本のバロン西=西竹一大佐に代表される騎兵出身者が多いのですが、ロンメル元帥はイギリスのバーナード・モントゴメリー元帥と同じく歩兵出身です。
歩兵出身のロンメル元帥は常に最前線で陣頭指揮することを信条としていましたが、それは通信連絡では戦況に報告者の主観・解釈が介在するため、自らの感覚と直感で指揮するためと言っています。そのことでは最高指揮官が危険に身を晒すことを危惧し、所在不明になることを非難する声もありましたが、常に前線の立つロンメル元帥は兵士からも絶大な信頼と尊敬を集めていました。
同じく歩兵のモントゴメリー元帥は兵站を非常に重視し、燃料、弾薬の枯渇によりドイツ軍の進撃が停滞しても、自軍に十分な補給が確保できるまで反撃に移らず、猪突猛進の騎兵・パットン将軍とは度々衝突しました。
ロンメル元帥が自死を強要されたのはヒトラー暗殺未遂事件への関与を疑われたためで、事件に共謀したシュテュルプーナル・パリ軍政長官が自決後のうわ言でロンメルの名前を口にしていたことやシュテュルパーナルの副官が共謀をうかがわせる供述したことが理由とされています。しかし、ロンメル元帥自身は軍人の美意識として政治への不関与を貫いており、事件後のヒトラーの疑心暗鬼を鎮めるため側近が疑わしきは一網打尽にしようとした結果でしょう。この日、空襲による銃撃で重傷を負って療養していたロンメル元帥をヒトラーの使者が訪れ、「反逆罪で裁判を受けるか名誉を守って自殺するか」の選択を迫り、「軍人として最高司令官の命令に従う」との答えを受け毒薬を手渡したのです。
余談ながら幹部候補生の同期にロンメル元帥に瓜二つの人物がいました(本人は純粋な日本人ですが)。
ロンメル新里候補生無断掲載は勘弁して下さい。
  1. 2014/10/13(月) 08:09:49|
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