fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月26日・明石元次郎大将の命日

1919(大正8)年の明日10月26日は日露戦争勝利の影の立役者・明石元次郎大将の命日です。
野僧が明石大将を知ったのは幼い頃に見た映画「日本海大海戦」でした。仲代達矢さんが演じていたロシア駐在武官・明石大佐(当時)は長身の理知的な美男子のイメージでしたが、実際は背が低く運動音痴で、13歳年上ながら同郷の栗野慎一郎駐露公使から能力に疑問を持たれるようなさえない容貌だったようです。
明石大将は年末には対岸の長州で高杉晋作が功山寺決起した元治元(1864)年8月1日に福岡藩士の次男として生まれました。藩校・修猷館から陸軍士官学校に入校し、陸軍士官として歩み始めます。陸軍大学校を卒業するとドイツへ留学し、その後も海外勤務が続きました。
明治34年にフランス駐在武官となり、翌年には緊張の度を強めていたロシアへ転任します。ここで日英同盟に基づく協力者としてイギリスのスパイ・シドニー・ライリーを友人にしました。ライリーは明石大佐の要請で建設材の貿易商に化けて旅順に潜入し、ロシア軍の配備状況や旅順要塞の設計図などの重要情報を提供しています。
明治37年に日露が開戦すると公使館員は国外退去となりますが、明石大佐はスウェーデンを拠点としてロシア情報の収集と同時に革命を画策していたレーニン、トロッキーなどを支援しました。この工作資金は膨大な戦費に国家財政が破たん寸前だったにも関わらず、現在の400億円以上に相当する額だったと言われています。
しかし、ソ連=ロシアとしては日本の力で革命が成功したことにはできないため、明石大佐とレーニンの関係には否定的で、日本との戦争でロシアも巨額の戦費を遣ったため税金が過重になり、帝政下の劣悪な境遇に対する庶民・農奴の我慢が限界に達した結果であったとしています。その方がソ連に苦しめられた世界の国々に顔向けできますから、あえて否定する必要はないでしょう。
明石大将はある意味、自分も成立に協力した社会主義国・ソ連について「長くは続かんだろう」と言っていたそうですが、崩壊までに80年を要しましたから情報戦の大家としては見込み違いだったようです。
フランス駐在武官だった時、パーティー会場でドイツとロシアの武官と同席し、「君はドイツ語ができるか」と訊かれたので「フランス語がやっとです」と答えると、「黄色い猿(日本人)ならその程度だろう」と信じた2人はドイツ語で密談を始め、本当はドイツ語も堪能だった明石大佐は全て聞き取ってしまったそうです。野僧も現役時代、この手をよく使い、「英語が苦手」と言って米兵同士の会話を聞いたり、沖縄方言や東北弁が判らない顔をして地元の人たちの噂話に耳をすませたものです。
日露戦争後は朝鮮総督府の憲兵司令官や第6師団長を経て台湾総督に就任し、近代化に向けて多くの業績を遺しましたが、公務出張で帰国する船の中でスペイン風邪を発症して亡くなりました。遺言により台湾に埋葬されています。
  1. 2014/10/25(土) 09:23:52|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<10月28日・従軍カメラマン・沢田教一の命日 | ホーム | 10月23日・アイヌの英雄・シャクシャインが謀殺された。>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/1958-db2e92cd
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)