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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

「どさ?」「江戸さ」上

「どさ?」「江戸さ」上

江戸の外れ、総州街道は荒川の渡しの手前にその車屋はあった。
「おう、トモ。仕事は終わったけェ?」日暮れが近づいて親方のキヨ助はいつものようにトモ造に声をかける。今は津軽藩に納める大八車の車輪を作っていた。
「へい、もう少しです」トモ造は作業の手を止め、親方の顔を見て答えた。
「そうけェ、暗くなっちゃあ手元も判るめェ。切りのいいところで片してしまいな」「へい、合点承知の助」トモ造はそう答えて車輪の枠をはめるための調整にかかった。ここを途中で切り上げれば調整がつかなくなる。トモ造は手を早めた。
その日は車輪の木枠を仕上げたところで仕事を終えた。
「それじゃあ、これで失礼しやす」「おう、御苦労さん」仕事場の片づけを終え、おカミさんが用意した夕食を食べるとトモ造は長屋に帰った。

「寒いねェ、早く帰って火を起こさなきゃ、凍え(こごえ)ちまうぜ」長屋までの道すがらトモ造は背中に「車清」と染め抜いてある法被の背を丸めながら手をこすりあわせた。いつの間にか今年も暮れが迫り、随分冷え込むようになっている。独り暮らしのトモ造には寒さがこたえる季節であった。その時、遠くで半鐘を打ち鳴らす音が聞えてきた。
「おっ、火事けェ。江戸の花だねェ」トモ造は背筋を伸ばすと半鐘の鳴る方向を見たが、冬の空は暗いだけだ。
「遠くちゃ野次馬にも行けやしねェ。はよ帰って寝よ」そう言うとトモ造は足を早め、通りでの歩みを進めた。
街道から1本外れた裏道にも所どころ屋台が店を出し、酒とオデンや夜鳴きソバの汁の匂いが漂っているが下働きの身ではそんな贅沢はできない。屋台で飲んでいるのはもう少し年配のキヨ助親方と同年代の人たちばかりだ。
「早く、こんな身代(しんだい)になりてェな」楽しげに談笑している客たちの後ろを通り過ぎながらトモ造は呟いた。
町内を区切り、夜の番をする木戸の手前から路地へ曲がればトモ造の長屋がある。長屋の角に入ると2間(360センチ)ほどの通路の中ほどに井戸があり、向こう3軒両隣りの1番奥がトモ造の家だ。土間には釜戸があり、半間の上がり端(はな)の奥は6畳の居間兼寝床だ。
トモ造は厠(かわや・トイレ)で用をたすと、建てつけの悪い障子を力任せに開けて「けえったぜ」と独り言を言った。すると薄い壁ごしに隣りに住む雇われ大工のおカミさんが「お帰り」と声をかけてくれる。
「へい、毎度どうも」トモ造は習慣になっている返事にお礼を言うと、そのまま釜戸の奥をかき回してみた。灰の中に火種が残っていれば有り難い、親方からもらってきた削り屑を足せば暖がとれる。しかし、朝飯を炊いた火は燃え尽きていた。
「しかたねェな、このまま寝よ」トモ造は諦めて、畳んであった煎餅蒲団を広げると法被を脱いで畳み、股引を脱いで帯を解き、寝る時用の木綿の着物を羽織った。その時、遠くから酉(トリ=夜八時頃)の鐘が聞えてきた。
トモ造は布団の中で明日の仕事の段取りを考えていたが、いつの間にか眠りに落ちた。

「親方、仕事が上がりやした」トモ造は津軽藩の大八車の車輪を完成させると親方のキヨ助に点検をたのんだ。職人の仕事は下働きを仕込むことを含めて親方の責任になる。今回、親方は初めてトモ造に車輪作りを任せてくれたのだ。
親方は土間でやっていた自分の仕事の手を止めると数歩手前でトモ造が仕上げた車輪を眺め、先ず立てて高さを確かめ、寝かせると軸の歪みとクルイの有無を確かめ、最後に木槌で叩いて強度を確かめた。
「おう、好い仕事だ。来年からの仕事はもう任せていいかな」親方の誉め言葉にトモ造はホッと溜息をついた。弟子入りしてすぐの頃は「何でェ、この仕事はァ!」「半端なことをするんじゃねェ!」「仕事は盗むんでェ、しっかり見てろい!」と怒鳴られ、殴られるのが日課だった。あれからもう十年近い歳月が過ぎて、今年も間もなく終ろうとしている。
後は車輪に軸をはめ、親方が作っている車体に取り付ければ江戸屋敷に納めることができ、そうすれば代金が出る。
「これで何とか年を越せるな」「へい、早く仕上げてしまいやしょう」職人は年越しの仕事は嫌がるものだ。したがって納期も年内になっていることが多い。ただし、大晦日は仕事をしないのが慣わしなのでその前なのだ。
この一両日のうちに完成させて藩邸までもって行かなければ、また高野忠兵衛とか言う役人がアレコレと細かい粗探しをしてくるに違いない。その下役の馬鹿・秋沢篤之丞は適当に誤魔化せるにしても、何にしろ色々な職人が納品をして混むこの時期に紛れ込むのが得策だろう。
「オメェも独り立ちさせてやりたいが、こう景気が悪くちゃな。すまねェ・・・」親方はトモ造を指揮して車輪に軸をはめながらポツリと呟いた。
田沼意次の積極財政による好景気が終り、世は松平定信の緊縮一本槍の硬直した経済政策のため流通が減り、急速に拡大していた市場は冷え切っている。したがって荷物を運ぶための道具である荷車の需要も激減しているのだ。
「こうして仕事をいただけるだけで有り難いこってす、今後ともよろしくお願いしやす」「てやんでェ、泣かせるねェ」トモ造の返事に親方は本当に鼻をすすり、その鼻水を手の滑り止めにした(※「てやんでェ」とは「何を言ってやんでェ」が短くなった符丁である)。

翌日、トモ造は親方と一緒に亀戸(江東区)の津軽藩江戸下屋敷へ大八車を納めに行った。
荒川の渡しからの街道はしばらく田舎道だが、やがて市街地に入った。こんな時、親方はヨソ行きの紋付を着て袴に足袋まで履いているが、トモ造はいつもの法被に股引で車を引いている。
「うん、中々調子がいいな」「へい、車輪もよく回ります」「べらぼうめェ、車清の仕事だ。半端なことはしねェよ」親方のキヨ助はそう言うとその仕事をやった弟子の顔を見てうなづいた(※「べらぼうめェ」とは「度外れている」の意味の「言うまでもなく」で返す符丁)。
「親方、歩くのが遅いですよ」「おう、1つきりの足袋を汚すなってカカァがうるさくてな」トモ造がそう言うと親方は冬のからっ風が巻き上げる砂塵を気にして紋付の袖を叩いた。
「いつも思うんですが、お武家へ車を納めるには着る物も改まるんですねェ」「あたぼうよ、裃(かみしも)を着けねェだけでもめっけものよ」トモ造の今更ながら感心した台詞に親方は自嘲気味にそう答えた(※「あたぼう」とは「当り前だ。べらぼうめェ」が詰まってできた符丁)。
年の瀬の江戸の街は賑わっていて、軒を連ねる商家でも客や使用人が慌ただしく出入りしている。その店と店の間の路地には物を納める業者が荷物を背中に結えて入って行く。この時代、表の店先は客と主人、それに対応する使用人だけが使い、家族や業者は裏口と言うのが作法だった。これはキヨ助親方、トモ造たち職人の流儀とは違っていた。勿論、商家に品を納める時には裏口へ回ることはとっくに叩きこまれているが。

津軽藩下屋敷は亀戸の街の江戸寄りにある。上屋敷は本所(墨田区)、中屋敷は向柳原(台東区鳥越)や浜町三ツ目(中央区)と千代田城を囲うように点在しているが、幕末になりお家騒動などの影響で向柳原の中屋敷は戸越(品川区)の畑地に交換させられた。
通用口から大八車を運び入れた後、キヨ助親方が中間(ちゅうげん)に案内を頼んでいる間に法被姿のトモ造は裏手へ引っ込んだ。やがて秋沢篤之丞が相変わらずの青白い顔を見せ、大八車の前で土下座して待っていたキヨ助はさらに頭を下げた。
「車清か・・・年内の品納め大儀である」秋沢は廊下より一段下がった板の間に立つとキヨ助の背中に偉そうな言葉をかけた。
「はッ、御注文の大八車、ここにお納め致しやす」キヨ助は頭を上げることなくかしこまって決まり文句の口上を述べた。
「うむ」秋沢はうなづくと廊下に上がり奥へ戻り、その間にキヨ助は服装を確かめる。やがて秋沢が先導する形で高野忠兵衛が現れ、秋沢は先ほどの板の間に正座した。
「車清のキヨ助、期限内の納品、殊勝である」「はッ、有り難とうございます」キヨ助は気分を損ねて難癖をつけられないように細心の注意を払って答える。
「これで注文通りか確かめる。図面を見せよ」「はッ?」突然の高野の言葉に秋沢は困惑した顔をした。
「納品する物を確かめるのは常のことであろう」高野は少しいらだった顔をする。その言葉に秋沢はその場に手をついて礼をすると慌てて立ち上がり奥へ向おうとした。
「図面でしたらこちらにございます」そこでキヨ助は下を向いたまま声をかけた。
「そうか、ゆるす。面を上げェ」「面を上げェ」高野の言葉を継いだ秋沢の指示にキヨ助は少し上体を起こし、懐から津軽藩から受け取った図面を差し出した。町人であるキヨ助は役付きの高野と直接話すことはできないのだ。
秋沢は草履をつっかけるとキヨ助に歩み寄り、図面を受け取って高野に差し出した。高野はそれを受け取ると広げながら板の間に下り、秋沢が揃えた草履を履いた。
「尺がないのォ」土下座したままのキヨ助の横に立ち、高野が図面を広げながら呟いた。
「尺もこちらにございます」キヨ助が声をかけ、下を向いたまま大八車の上を手で指すと秋沢が手を伸ばして、それを取り高野に差し出した。
「お前はワシに職人の仕事をやれと申すのか」「滅相もございません」高野の叱責に秋沢は慌てて土下座をし、隣りでキヨ助は笑いをこらえていた。
「車清、許す。立って答えよ」「車清、高野様のお許しが出た。立ち上がって御下問に答えよ」間に秋沢の不要な伝言を介さなければならないのがこの時代の身分制度だ。
高野は図面を指さしながら指示を与え秋沢は尺を使って確認をしているが、素人の侍に粗を指摘されるような仕事はしていないのが職人のプライドである。
寸法の確認が終り、高野が荷台を手で押しながら質問を始めた。
「どのくらいの重さまで耐えられるのか」「耐えられるのか」また秋沢が質問を介する。
「乗せる荷物によりますが、米俵の五俵や十俵くらいなら心配ございません」「殿が田沼の時代に買い求められた禁制品を国元に送られるのだ」「馬鹿者!」キヨ助の答えに秋沢が説明すると、それを聞いて高野が激怒した。
田沼意次の時代、江戸でも浮世絵、滑稽本などの庶民文化が花開き、南蛮渡来の品などが市場を賑わした。しかし、将軍・家治が死んで後ろ盾を失った田沼は失脚し、新将軍・家斉と共に老中に就任した松平定信は緊縮財政と並行して風紀の取り締まりを始めた。
大名屋敷にまでは老中も手を出せないが、用心するに越したことはないのだろう。
「今、何かおっしゃいましたか?つい仕事を見直していて聞いておりやせんでした。申し訳ございません」また土下座した秋沢の隣に一緒に座って手をつくとキヨ助は頭を下げた。つまり「聞いてはならない話は聞いていない」と言うことだ。こんな機転を利かせた受け答えがキヨ助の身上である。
「長い道のりに使われるのでしょうか?」キヨ助はさらにとぼけて秋沢に確かめた。
「うむ・・・」高野はその言葉に満足そうにうなづいた。

トモ造は建物の影からその様子を見ながら聴き耳を立てていたが、長い距離を車を引いてきたためか無性に喉が渇いて、井戸を探して裏庭を歩くと建物の向う側に見つけた。
井戸の脇では若い女中がタライにあけた水で大根を洗っている。紫と白の矢羽を組み合わせた女中の着物で、タスキで括った袖から白い腕が眩しく覗いていた。背後から歩み寄るとその女中は歌を口ずさんでいる。それは江戸で流行っている小唄の類ではなく奥州のどこかの民謡のようだ。トモ造はそれを聞きながら女中のうなじを眺めていたが思い出したように声をかけた。
「すいやせん、水を一杯ェ飲ませてやってくれやせんか」その声に女中は驚いたように振り返った。
「あらァ、驚いたァ。オメはだだぎゃ(誰)?」江戸っ子のトモ造は聞き覚えのない訛りで咄嗟に答えられなかった。
「あれェ、オラの喋ること判んねェが」そう言うと女中は立ち上がってトモ造の方を向いた。その娘はトモ造よりも5つほど年下だろうか。色が抜けるように白く、丸顔にハッキリした目鼻立ちで、黒目がちの眼差しで真っ直ぐこちらを見ている。ただし、この時代の美人は浮世絵に描かれるような面長、富士額、アーモンド形の吊り目、通った鼻、小さな唇の受け口が基準であり、残念ながらそれには当てはまらなかった。
「水を飲ませて下せい」トモ造はもう一度、繰り返した。
「水け、お安い御用だ」そう答えると娘は釣る瓶(ツルベ)の桶を井戸の中に差し入れて一杯汲み、トモ造は脇にあった柄杓でそれを汲んで飲んだ。
「美味かったけ?」「うん、美味かった。有り難さん」トモ造は桶に残った水で柄杓を洗うと手を差し出した娘に渡した。
「ナは職人さんけ?」「おう、車屋でェ」「そうけ」娘の目が尊敬の眼差しに変わった。
「ネエさんは津軽からの奉公かい」「んだ、オラの親は平賀の百姓なんだァ。津軽の飯さ作れって2年の約束で来たんだァ」そう言うと娘は故郷を思い出したのか今度は遠い目をした。トモ造は少し胸をときめかせながら、思い切って訊いてみた。
「オメェ(お前)さん、名は?」「ケイだ」「俺は車清のトモ造でェ」「おケイちゃんかァ」「トモさんけ・・・」お互いに名前を確認しながらうなづき合った。その時、建物の向こう側でトモ造を呼ぶキヨ助親方の声が聞えてきた。
「おっと、いけねェ。そんじゃあ御免なすって」「せばッ」トモ造は返事を待たずに駆け出したが、建物の角で振り返るとケイはまだこちらを見ていて、視線が合うと微笑んでお辞儀をした。

キヨ助親方は家に戻る道すがらトモ造をからかってきた。
「トモ造よ、仕事の合間に若い娘を口説くなんて、オメェも意外にやるなァ」「そんなんじゃあ、ありやせん」「好いってことよ。上手くやりな」トモ造が慌てて首を振ると親方は笑いながら肩を叩いた。
「ところでトモ造。オメェ、チョイと旅に出ちくれ」「ヘッ?」いきなりの話にトモ造は横顔を見たが、親方は前を見たまま話を続けた。
「あの車は津軽まで運ぶ荷を積むんだそうだ。津軽って言やァミチノク、道の果てでェ。そんな長げェ道を引くとは思っていなかった。だからオメェは行列について行って何かあった時の修理をやるんでェ」そこまで話して親方はトモ造の顔を見た。
「へェ、あっしが作った車ですから・・・」親方の命に逆らうことが出来ないことは判っていたがトモ造は少し不安であった。
見知らぬ土地への1人旅、何よりも大名行列の荷物を積んだ車の修理をする大仕事を1人でやることに自信がない。親方はそんなトモ造の背中を叩いた。
「でェ丈夫、オメェは俺が散々仕込んだんだァ。景気が好ければ自分の店を出せるくれェの腕はある」「へェ・・・」トモ造はそれでも考え込むようにうなづいた。

正月を過ぎた16日(太陰暦なので現在の2月中旬)には使用人の休暇「薮入り」がある。トモ造は例年、この休みは荒川の対岸にある親元へ帰るのだが、今年は思うことがあって逆方向に向った。
「津軽藩下屋敷」、江戸時代には門に看板をかける習慣はなく、知らなければ田舎者を自己申告するようなものなので江戸に出て来たばかりの地方出身者も地理の勉強に励んでいた。
門に看板を掲げるようになったのは明治になり地方出身者が大量に出て来て、幅を利かせるようになってからだ。
トモ造は下屋敷裏手の使用人の出入口の脇に立つと女性が出てくるのを待っていた。
「江戸で雇われた使用人なら休みで家に戻るのだろうが、津軽からの奉公ではそれも不可能だろう」そんなことを考えながらトモ造はケイの笑顔を思い出して寒さを感じなかった。
やがて若い娘が2人、楽しそうに話しながら出てきた。
「あのう、すんません」「きゃッ」門の脇から声をかけると娘たちは声を上げた。
「怪しいもんじゃありやせん。車職人のトモ造と言いやす。おケイさんを呼び出して欲しいんです」「ケイさん?料理番のおケイちゃんかい」「ワどナのおケイちゃんかァ」娘たちの確認に「へい」と答えると2人は顔を見合わせて意味ありげに笑い、若い方が小走りに屋敷の中へ戻っていった。
「お兄さん、おケイちゃんの何だい・・・江戸に色(恋人)がいるって話は聞いてないけどな」残った娘は値踏みするような目でトモ造を眺める。言葉や態度から見てこちらは江戸の娘のようだ。
「あっしはこの間、おケイさんにチョイとお世話になって・・・」「一目惚れしたんだァ」トモ造が全部を言う前に娘はからかい、小馬鹿にするように笑った。
「あんな田舎娘よりもアッチと遊ばない?給金もタンマリ出たんだろう」娘がそう言いながらトモ造にすり寄ろうとした時、屋敷の中から女同士で言い合う声が聞えてきた。
「だから来ねェ」「だっでオラはそんな人知らねェし」「向こうは知ってるんだよ」呼びに行った娘に手を引かれてケイが出てきた。
「あれまァ、あん時の車屋さん」「へい、トモ造でやんす」ケイは前に立ったトモ造の顔を見ると安心した顔になった後、嬉しそうに微笑んだ。2人の娘は一歩下がって2人の姿を眺めている。
「折角の薮入りなんだ。楽しんでおいで」「粋な江戸っ子のおニイさんとね」娘たちはケイに声をかけてからかい、笑いながら表通りに向って歩き出した。

その日、トモ造はケイを浅草寺へ連れて行った。
亀戸から浅草へは西に向うため、正面に雪をかぶった富士山が見える。
「あれまァ、あの山には雪が降ってるべェ」「あれは富士のお山だよ」トモ造には日本一の山だが、屋敷の中で働くケイにはあまり見ない景色のようだ。
「あれが富士のお山でも、オラホ(うちの方)には津軽富士って山さあるだよ」「津軽富士?」「うん、岩木山(いわきさん)って言うだよ」「ふーん、ドコソコ富士って言うのは話に聞くな」江戸っ子のトモ造にとっては大きな地方都市が「XX江戸」と呼ばれるように、それも地方のお国自慢に自分の周りにある名前が使われているに過ぎなかった。
「でも、お岩木山の方が綺麗だ」「えッ?」ケイは富士山を見たまま言葉を続けた。
「岩木山はこんな屋根の向うでねくて、目の前でいつも見守っているんだん」「ふーん」トモ造はケイにとって岩木山は、自分の富士山以上に身近な存在なのだと思った。歩きながらケイはこんなお囃子を口ずさんだ。
「懺悔懺悔 六根清浄 お山さ八代 金剛道者 はァ 一々礼拝 南無帰命頂礼」それは初めて会った時、井戸のそばで口ずさんでいた歌だった。
「お山さ登る時は、みんなでこの歌、唄うんだァ」ケイの言葉にうなづいてトモ造も歩きながら一緒に口ずさんだ。
「サーイギサイギ ロッコンショージョ オヤマサ ハッダイ コンゴ―ドージャ・・・」「はァ」の合の手が揃って2人は顔を見合わせて笑った。

浅草寺の本尊・観音さんの前でトモ造は柏手を打ってしまい、それにケイも合わせ周囲の参拝客から笑われてしまった。
「もう、トモ造さんったら恥ずかしいだよ」拝殿前の階段を降りながら、ケイは頬を膨ませながら文句を言った。
「すまねェ、俺っちは初詣って言やァ神さんの前でパンパンと手を打つと相場が決まってるからな」「オラホでもそォだョ。でもここはお寺だァ」ケイはそう言いながら階段下の香炉の煙を嗅いで可笑しそうに笑った。
浅草寺の境内には五重塔がある。2人はその下に行った。
「高けェ、五重の塔だァ」「こんな塔、見るの初めてだろう」「うんにゃ、弘前の城下にも最勝寺って言うお寺に五重塔があるよォ。だどもこんなには高くね」トモ造は塔を見上げているケイの白い顎を眩しそうに見つめていた。
その後は仲見世で買い物をして飯を食べたが、田沼の時代には賑やかだった門前街も再三の風紀取り締まりと倹約令で派手な商品は店頭になく、沈んだ空気が漂っている。それでもトモ造は仲見世で朱塗りの櫛をケイに買った。
あれほど流行していた源内櫛(彫刻細工)や華やかな色合いの絵付け櫛も姿を消している。櫛を受け取ろうとして伸ばした手をトモ造が掴むとケイは驚いた顔をした。
「あれッ、シビ(ひび)が割れてるじゃねェかァ」「うん、生みそを擦り込んでるだよ」
ケイが治療法を説明するとトモ造は首を振った。
「おケイちゃんは水仕事の後、よく拭かねェで火に当っちまうだろう。それがイケねェんだ」そう言ってトモ造はケイの手に息を吹きかけ、両手ではさんで擦り温めた。ケイの胸は掌以上に熱くなり頬を赤らめる。やがてトモ造も自分がケイの手を握っていることに気がつき慌てて離した。
「トモさん、挿して」そう言って頭を下げたケイの髪、この時代に江戸でも流行り始めた時代劇の定番・島田髷で束ねた髪にトモ造は今買ったばかりの櫛を挿した(ただし、時代劇ほど大きく膨らませるのは芸者や儀式などの特殊な形で、普通は前、横髪を折り返して元結で止めるだけ)。
「似合うけ」「うん」ケイは嬉しそうに笑ったが、本当に黒髪に朱色が映えて綺麗だった。ただ、それを口に出して言えない自分がトモ造は歯痒かった。

「夕餉の仕度がある」と言うケイを下屋敷まで送ると通用口で立ち止まった。
「トモさん、有り難う。楽しかっただよ」「うん、また誘いにくるよ」トモ造の返事にケイは何故か惑った顔をした。
「でも、オラは休みがねェだよ」「手の空いた間でいいから会ってくれ」ケイは浅間山の噴火による天明の飢饉で困窮した実家を助けるため、奉公に応募したと言っていた。だから年中小間使いのように忙しく働きづめなのだ。
「俺っちは四九日休みだ。休みの昼にはここで待ってるよ」「うん」ケイはトモ造の言葉に小さくうなづいた。この時代の休日は4と9がつく5日毎で、1週間が7日になったのは明治になって西洋式の生活習慣が入って来てからのことだ。それは旧約聖書の「カミが天地創造する時、7日目に休んだ」と言う物語による。
こうしてトモ造とケイは休みの日の午後、洗い上げが終わって夕餉の仕度に入るまでの束の間の時間を一緒に過ごすようになった。

ある朝、トモ造が親方の作業場に行くと見知らぬ若者がいた。
「トモ造、こいつはマサ吉だ。マサ吉、こっちはお前の兄弟子のトモ造だ」その若者は小柄で痩せているが、どこか暗い目をしているように感じた。
「マサ吉、挨拶しねェか」「へい・・・よろしくお願げェしやす」マサ吉と呼ばれる若者は親方に怒鳴られてようやく頭を下げた。
「おう、よろしく頼まァ」「先ずはトモ造から色々習うんだ」「へい」トモ造は「自分が津軽へ旅に出ている間の手伝いか」と思いながら頭を下げた。
「マサ吉は上州(群馬県)の百姓で、浅間の山が火を噴いて田畑が駄目になったんで江戸に出てきたんだ」天明3年に浅間山が噴火し、上州一帯は火砕流に呑まれた麓以外も噴石と降灰で大きな被害を受けた。食うに困り江戸に出て無宿人なっている者も多いと聞く。最近は東北から流れ込む人々も増えて米が高騰し、親方のおカミさんも機嫌が悪くなって、おかわりは遠慮しなけれならない。
「マサ吉は職人の経験はねェが、手先が器用だから仕込めばモノになるだろう。それに裏の空き地を耕して畑仕事もやってもらうぜ」そう言いながらキヨ助親方は、このマサ吉をトモ造同様に仕込むつもりのようだ。
「それじゃあ、津軽への旅の間に何処まで腕を上げるか・・・ウカウカしていられない」そう思うとトモ造は唇をかんでマサ吉を睨んでいた。

ある日、ケイと一緒に茶店に入って意外な話を聞いた。
「甘いモンと一緒に茶を飲むと美味えだなァ」「へッ?」この時代、江戸では庶民にも煎茶を飲む風習が広まってきたが、砂糖(それも黒砂糖)はまだ高級品で、柿、芋、南瓜などの甘い果実や穀類が茶菓子の代用品になっており、この茶店でも蒸かした芋が2切れ小皿にのせて出ている。
「津軽じゃあ、漬物で湯を飲むだよ」「ふーん、江戸じゃあ漬物なんて飯の種だけどなァ」「飯の時はまた刻むんだァ」あまりピンときていないトモ造にケイは一生懸命に説明するが、江戸っ子のトモ造の理解は少し極端だった。
「冬は雪が積もるから漬物しか食うものがねェんだな」「大根や蕪なんかは雪に埋めとけば春まで喰えるども」「それでも冬は塩辛いモノばかりだなァ」ケイはそんなトモ造に判らせようと隣りでアレコレ考えていたが、そのうち「干し柿が甘えェだよ」とその味を思い出したように笑って生唾を飲んだ。
トモ造はそんなケイを「可愛い」と思いながら、間もなく赴くことになる津軽の雪一面の風景を想像してみた。

ケイが「魚を見たい」と言ったので根岸の魚河岸まで足を伸ばした。これは仕事なので遠出もできる。ついでに早春の海岸を歩くのも悪くないだろう。
魚市場と言えば早朝と言うイメージがあるが冷凍設備がないこの時代、漁師が朝一番で獲ってきた魚を売るのは昼時、それを魚屋は天秤棒で市内に売って回る。つまり魚は夕餉のオカズなのだ。
2人は仲買人と魚屋の騒がしい競りを後ろから眺めていたが、慌ただしい人の波に弾かれて裏手に追いやられた。するとそこには小さ目の鮫が桶に入れてあった。
「あったァ、鮫だァ」ケイの嬉しそうな声を聞きながら、トモ造は呆気にとられ怖ろしげな鮫の顔を見たが、どう見ても料理の材料には見えない。
「おや、ネエさんは鮫をお探しかい」「うん、そうだァ」漁師と思われる逞しい男が声をかけてきたのでケイはうなづいた。
「鮫は竹輪にするくれェしか使い道がねェ。買うんなら安くしとくぜ」「何でだァ、スクメにすれば美味えのにィ」漁師の台詞にケイは不満そうな顔をしたが、安くしてもらえると判って嬉しそうにトモ造の顔を見た。しかし、トモ造も鮫を使う料理は食べたことがない。竹輪の材料が鮫だと言うのも今、初めて知ったのだ。
ケイは鮫を2匹買ったが手提げカゴに入り切らずトモ造が腋に抱えて屋敷に向った。根岸から亀戸までの道すがらケイは津軽の郷土料理・スクメを熱く語っていた。
「先ずは軽く湯通しするんだァ。そんで皮を洗って落としてしっかり茹でるだよ。あとは身をほぐして骨を取って、醤油と酢と味噌(現在は砂糖も)で味付けした大根おろしに混ぜるんだァ」ケイの説明ではスクメは鮫が入った大根おろしの酢味噌和えのようだ。
その時、トモ造はすれ違う通行人たちが鮫の尻尾に気づいて1歩後ずさり、鮫の顔を怖ろしげに見ているのに気づいた。鮫特有の生臭さもかなり強いようだ。それでもケイはトモ造と歩いていることが嬉しくて、そんなことは気にしていないようだった。トモ造はケイの髪に浅草で買った朱塗りの櫛が差してあるのに気がついた。

ケイが江戸で迎える2度目の春は、トモ造に案内されて近場の名所巡りすることができて思いがけず楽しいものになった。
「トモさん、オラは江戸さ来て好かっただよ」ある日、梅の花が咲き始めた亀戸天神の境内を歩きながらケイはトモ造の顔を見た。
「うん、俺っちもおケイちゃんが来てくれたよかっただよ」最近、トモ造にも津軽訛りが少しうつっているようだ。
「津軽じゃあ、今頃、福寿草が雪の間から顔さ出してるべなァ」「福寿草?」「黄色くて小さな花だァ」ケイの説明を聞いてトモ造は、「タンポポのような花か」と想像した、
2人並んで境内の階段に座るとケイは心配そうな顔で訊いてきた。
「トモさん、津軽までは遠いけど大丈夫けェ?」「おケイちゃんが来れたんだ、俺っちも大丈夫でェ」トモ造の返事は半分強がりだった。江戸っ子のトモ造は足腰が弱く、最近は品納めの役をマサ吉に取られている。
「オラはシンペェ(心配)でシンペェで・・・毎晩、苦になるんだよ」ケイはそう言うと大きな目でジッとトモ造の顔を見つめた。トモ造は自分の顔がケイの目に映っているように思った。そして、それを覗こうと顔を近づけるとケイは目を閉じた。

桜が咲いた候、津軽家八代藩主・信明(のぶあきら)公は参勤を終えて国元に戻った。
江戸府内では大名と言えども黙って進むしかないが、道中(=街道)に入ると「片寄れェ」と言う口上を唱えながらになり、行進速度は一気に遅くなる。しかし、藩の御用とは言え町人であるトモ造は行列に加わることは許されず、行列の後につかず離れずついていくしかない。トモ造は着替えなどの荷物に加え、職人仕事の道具も抱えて大変な旅になっていた。
夜は脇本陣の庭で荷物を下した大八車の点検、修理をした後、中間(ちゅうげん)たちが泊る旅籠(はたご)では小間使いのように洗濯その他の雑用を押しつけられる上、按摩までさせられる。身心ともに疲れ果てていたが道はまだ遠いのだ。
行列の道筋は日光道中から宇都宮宿で奥州道中に入り、白河宿からは脇街道になる。つまり公道は松平定信が治める白河までで、そこから先は正式な道ではない。とは言っても鎌倉幕府に滅ぼされるまで奥州を治めた藤原氏は奥州一帯を縦横に走る道路網(現在の東北自動車道とほぼ同じ)を整備していたので津軽までの脇街道も幕府が整備する5街道と遜色ない。
トモ造はあの日、ケイが富士山を見ながら言っていた津軽富士・お岩木山に会うが待ち遠しかった。

大名行列は藩の石高、格式によって参加人員、携行品などが事細かに定められているが、津軽藩4万7千石は小藩であり、伊達62万石に比べれば随分と少人数だった。その行列の最後尾には車清が納めた大八車に箱を積んで中間が交代で引いている。それを遠くから眺めながらトモ造はついていった。
やがて行列は日光道中唯一の関所・栗橋の関に差し掛かった。江戸開府直後には大名行列と言えども、むしろ大名行列は「入鉄砲、出女」を厳しく調べられたが、この頃になると役人は形式的に申告通りかを確認し、藩主の駕籠も扉を開けて中を見せれば通過させていた。しかし、町人であるトモ造はそうはいかない。通行手形は津軽藩に発行してもらったが、行列との関係や積み荷については口外不要を厳命されている。
トモ造は肩に担いでいた道具箱は中身まで確認されたが、その間に行列は出立してしまい、職人としての責任からトモ造は言いつけを忘れ、必死の訴えをしてしまった。
「お願いでございます。行列から遅れれば役目が果たせません」足軽の向こうで確認の様子を見ていた吟味役の役人は、トモ造の申し出に「町人ながらその忠心、殊勝なり」と言って通過を許した。

奥州道中から脇街道に入ると宿場町が小さくなり、本陣、脇本陣以外の旅籠にも下級武士が泊り、中間は玉突き式に安宿へと追いやられトモ造は真っ先に追い出された。
「仕方ねェな、どこかのお堂でも探すかァ」大八車の点検を終えた後、トモ造は自分の荷物と道具箱を抱えて歩きまわった。しかし、その頃には何処の集落でも江戸へ向う被災民が溢れて、治安維持のため村人はお堂の扉を釘で打って固く閉じ、橋の下は勿論、寺の山門や神社の軒下には夜露を避ける被災者がムシロに横たわっている。
「どこも一杯、こいつは野宿かなァ」そう呟くとトモ造は宿場町の外れに立つ大きな木の根元に座ろうとした。
「おっと、こんなところにお地蔵様かァ」「うむ、野の佛じゃ」暗い月明かりに座った人影を見つけ、トモ造が手を合わせようとするとその影が答えた。
「ヒエッ、このお地蔵様、生きてる」腰を抜かしたトモ造をその影は笑った。
「ハハハ・・・地蔵に間違えられれば拙僧の坐相(坐禅する姿勢)も本物じゃな」その影は愉快そうにもう一度笑うとトモ造に話しかけた。
「野宿ならここに横になるがいい」影は自分の横の平ら場所を示すとまた黙った。
「あのう、お坊様ですか?」「うむ、様がつくほどエラクはないが坊主じゃ」影はそう答えると坐禅を止めたのか、座ったまま体をほぐす運動を始めた。
「お坊様はどちらへ?」「様がつくような坊主じゃない、『さん』くらいにしておけ」その坊主は運動を止めるとトモ造の方を向いたのが影で判った。
「ワシは飢饉で死んだ者の弔いをしようと奥州を旅しているんじゃ。ところが泊めてもらおうにも寺は山門の扉を閉じて入れてくれん。だから野の佛になっとる。ハハハ・・・」坊主は話の区切りで笑うようだ。トモ造は気楽に聞ける話で安心した。
「暗くて顔は見えんが、お主は若いな。それに江戸の者のようだ」「へい、総州街道の荒川沿いで車職人をやっておりますトモ造と申します」坊主はわずかな会話でトモ造の年代から出身地まで言いあてたので、トモ造は自己紹介のように身元を明かした。
「そうか、千手観音様の手をお借りしとる訳じゃな」「えッ?」トモ造は突然の話に意味が判らなかった。
「お主は職人じゃろう。職人の技は千手観音の手を借りているようなものだ。その手で観世音に代わり世のため人のために働いているのじゃ」トモ造はこんな話は菩提寺の和尚からも聞いたことがなく、思わず地面に正座した。
「世の中にいくら金があっても物があっても、職人の技で形にしなければ何の役にも立たない。お主たちはその役割を果たしているんじゃ・・・観世音南無佛 与佛有因 与佛有縁・・・」坊主の影はそう言うとトモ造に向って手を合わせ観音のお経を唱え始め、トモ造は道中の安全祈願のつもりで黙って聞いた。
「お坊様のお名前は?」お経が終わったところでトモ造は訊ねた。
「だから様がつくような坊主じゃないと言ってるだろうが・・・名前は一応、テンジンと言う」「テンジン様?」「テンジン様では神社になるだろう。だから様はつけるな」テンジンと名乗った坊主は、そう言ってまた高らかに笑い、その声が夜空に響いた。

翌朝、トモ造が本陣に行くと津軽藩の一行は出立準備を終えていた。トモ造は朝飯代わりにテンジンからもらった生の大根を半分かじっただけだった。
「お立―ちィ」街道からは見えないが藩主が駕籠に乗り込んだのだろう、お付が声を上げると一番先頭の侍が「片寄れェ」と口上を唱え始めた。
本陣の亭主と番頭らしき羽織、袴姿の者が2人、その脇で土下座をして見送っている。
津軽藩4万7千石の短めの行列だが、先頭が動き始めてから最後尾が出発するまでにはしばらく時間がかかり、トモ造はその間に草鞋などの身支度を整え、そんな様子を大八車を引く中間たちが見ていた。

江戸育ちのトモ造には奥州道中から脇街道への風景は驚きの連続だった。磐梯山、安達太良山の岩肌は緑深い山しか知らないトモ造には何か怖ろしげに見えた。
磐梯山は明治になって水蒸気爆発を起こし小磐梯山と北側斜面が大きく吹っ飛んだが、その頃はなだらかにそびえる高山で、したがって五色沼もまだなかった。
街道の両側では春とは言え飢饉から立ち直るために農民たちは苗代かきに励んでいる。おそらく飢饉で食べられたのか飢え死にしたのだろう、鋤を引く牛や馬の姿はなかった。
その時、突然行列が止まり先頭から侍が1人、藩主の駕籠の脇を歩く老臣に報告をした。
「生き倒れと思われる骸(むくろ)があります。取り急ぎ片づけますのでしばらくお待ちを」その内容は忽ち最後尾まで伝わり、トモ造の耳にも入った。
老臣が駕籠の扉越しに報告すると藩主は「よい。死なば佛、世(ヨ)も手を合わせて行こう」と答え行列は出発した。

次の宿泊場所に着いてトモ造が荷車の点検をしていると若い中間が声をかけてきた。
「親方、本当にマメでやんすね」「へッ?」荷車の下で車軸を見ていたトモ造が顔を向けると、いつも登り坂になると引く役を押し付けられている若い中間だった。
出立の時にはほかの侍の目があり年上の中間たちがその役を担うが道中も何度目かの古参の連中はどこに坂道があるか判っているので、巧みにその順番を決めているらしい。
「アッシはゲン希と言いやす」「俺っちは」「トモ造親方でやんしょ」「うん」返事をしながらトモ造は軸を腕で揺すり取り付けを確認すると、「よし」と言って荷台の下から這い出してきた。するとその中間は思ったよりも小柄で随分若かった。
「オメェさんは最初の道中けェ?」「アッシは今回の行列に雇われた新入りでござんす」この時代の大名行列は全員が藩のお抱え(正社員)と言う訳ではなく、荷役を担当する中間などは臨時に雇われる者(パートタイマー)も多い。これも大名の石高に応じて行列の規模から編成まで定められている故の苦肉の策であろう。
「そいじゃあ、帰りはどうするんでェ?」「アッシは浜(横浜)の漁師のガキでやんすが、船は兄貴が使うんで仕事がねェんでござんす」と答えてゲン希は溜め息をついた。
「そのまま津軽で働く気け?」「良い仕事があればでやんすが」トモ造が道具を片づけるとゲン希は衣類を入れた道中コウリを持った。
「おッと、済まねえなァ」「好いってこってす。先に帰ってもコキ使われるだけですから」と言うことで2人並んで中間用の安旅籠に向かった。

ケイは朝餉の仕度があるため、女中部屋でも一番の早起きだった。
寝ずの番の女中におこされて目覚めると、先ず調理場の釜戸の灰の中の火種に藁やオガ屑を入れて火を起こす。続いて庭の井戸へ出て水を汲んで顔を洗い、調理場へ持っていく。あとはそれで野菜を洗い、漬物を刻みながら泊り番の侍と奉公人たちの味噌汁を作り、湯を沸かせば終わる。淡々とした一連の流れには無駄がない。これも父を失ってから母に仕込まれた熟練の技なのだ。
ケイの実家は弘前城下にほど近い平賀郷で庄屋を勤める豪農だったが、ある事情で父が死に近傍の母の実家の別宅に住んで2人で細々と暮らしてきた。そんなケイは江戸に奉公に出てからも持ち前の元気と素直さで明るく振る舞っているが、父の死の事情を知られることを懼れ、そのため人から1歩引いたところがある
江戸娘の女中たちは、それを好いことに自分たちの仕事まで押し付けることがあるが、ケイは黙ってそれを引きうけるばかりだ。だから朝、井戸端で顔を洗うのは夜なべ仕事の眠気を覚ます意味もある。
しかし、最近のケイはタライの水に映った自分の顔を見て表情を確かめるようになった。特に唇を尖らせたり、広げたりしながら、最後はあの時の形にしている。
あの時とは・・・「トモさんの唇は柔らかかったァ」「鼻息は熱かったァ」「腕は太かったァ」
そんなことを思いながら一人で赤くなる。ケイはそんな娘なのだ。そして、北に向って手を合わせトモ造の無事を祈るのが新たな日課になっている。
「トモさん、今日はどこまで行くんだべか・・・」ケイの心もトモ造と一緒に故郷へ旅をしていた。

白石、仙台と奥州の大きな城下では一行も次第に羽目を外すようになってきた。
「おう、車屋、飲め」安旅籠の中間部屋でも夕餉の後にトモ造は酒を勧められた。
「へい、すいやせん」トモ造がお猪口で受けると、すでに酔っている中間はからみ始めた。
「オメェは江戸っ子だってな。江戸から見れば伊達62万石の御城下、仙台なんて言っても小さな田舎町だろう」「いいえ、綺麗な街でござんす。何よりも酒が美味い」トモ造の答えに中間は一応満足してうなづいた。
「オメェも仕事でなけりゃ松島へも物見遊山して行けるんだろうが、帰り路にするんだな」「松島ですかい?」「おう、日本三景だべ」古手の中間の話にトモ造は興味を持ったが、最初に酒を注いだ中間が首を振った。
「それでもアッシ(私)にはただの木が生えた小島にしか見えませんぜ」「それを言っちゃあお仕舞いだべ。ほかに自慢できるもんがねェんだがら」中間同士が掛け合いを始めたところで、中間頭が話に加わってきた。
「ここから先は山を越えて出羽(でわ)に入る。山道では十分気をつけろ。行列から離れるな」「へい・・・」トモ造は中間頭の真顔を見て座り直し身を固くした。
「ゲン希も聞け」「はい」呼ばれてゲン希もトモ造の横に来て正座してかしこまった。
「南部は昔から津軽のことを領地を奪った敵と憎んでるんだ。だから行列は南部の領内は通らないことにしている」「へい・・・」元々は奥州藤原氏が滅亡した後、鎌倉幕府の命で南部の方がやってきたのだが、そんな古い話を中間が知る訳がない。あくまでも初代津軽藩主・為信が裏切って領地を奪ったと言うのが南部側の言い分だ。
「それから飢饉の時、南部では江戸で米が値上がりしているのを聞いて百姓に重い年貢を課した上、種籾まで奪って大勢を殺したから今でも領民の怒りが収まっておらんのだ」このため南部では翌春の作付けができず、異常気象が収まっても中々飢饉から立ち直れず、大きな一揆が続発していた。否、今も続発している。
飢饉から翌春までの公式の死者数は津軽が8万2千人、南部は6万5千人、伊達に至っては2十万人だが、藩の大きさと山背の気候を考えれば南部の6万5千人はやはり多過ぎる。
トモ造は江戸では知れなかった奥州の悲劇を噛み締めてケイの顔を思い浮かべた。

「おケイちゃん、あの車屋のニイさんはどこまで行ったろうねェ」台所で昼餉の仕度をしているケイに薮入りの日に呼びに走った女中が声をかけてきた。
「トモさんけ?そろそろ大館辺りにいるべ」ケイは答えながらトモ造の顔を思い浮かべて頬を赤らめ、女中はそんな様子を見て少し意地悪に笑いながらからかってきた。
「おケイちゃんは、もうあのニイさんと寝たんだろう」「えッ?」突然の質問にケイは大根を切っていた手を止めた。
「抱かれたんだろう。よかったかい?」「・・・」ケイは答えずに真っ赤になった。
「ほら赤くなった。抱かれたんだァ」女中が追い打ちをかけるとケイは激しく首を振る。
「ワらはそんなことしてねェ、口吸い(昔のキスの呼称)だげだ」ケイは答えておいてさらに真っ赤になった。丸顔が夕日のように見える。
「そうかァ、続きはニイさんが帰ってからだね」「そったな・・・」女中はケイとトモ造のつき合いを訊き出すと、目的を達したのか笑いながら仕事に戻って行った。

碇ケ関に入ると津軽藩一行は温泉の宿場街で1泊した。南部領を避けて久保田領内を通るため変則日程になり、侍たちは心身ともに疲労困憊していたのだ。
津軽領内に入り、トモ造も行列の最後尾に加わることが許されたが、その前に久保田領から山道を越えた時に車輪が傷んでいないかの点検が先だった。トモ造は大八車の下に潜り込んで確認したが、やはり車軸の摩耗が激しく、車輪にもガタがきている。
「ここから先の道は?」「うん、緩やかな下り坂だ」「そうですか、なら大丈夫でやんす」心配そうに覗きこんでいる中間頭にトモ造が答えていると、車輪の向うに侍の袴の裾が歩いてくるのが見え、中間たちが座って手をついた。
「車屋を殿がお呼びだ」「ヘッ?」中間頭は思いがけない言葉に咄嗟に答えられないようだった。
「殿のお召しだ。同道いたせ」「ははァ、車屋、殿のお召しだ。河合様に同道せい」トモ造は大八車の下から這い出るとそのまま土下座した。隣りで土下座をしたゲン希が緊張した顔でトモ造の横顔を見ている。
「ワシは行列差配・河合正衛門じゃ、くるしゅうない、同道せよ」河合の足元に土下座しながらトモ造は完全に我を失って、その足袋と草鞋を眺めていた。
トモ造は冷静になるに従って胸の中でキヨ助親方が下屋敷で高野忠兵衛に合っている場面を思い返したが、高野と藩主では格が違う。何よりもトモ造はまだ侍に会う時の作法を習ってはいないのだ。トモ造は「お手討ち」と言う嫌な言葉を思い出していた。

とも造は道具を片付けて荷を解くと車清の法被を羽織った。その横で中間頭が簡単なレクチャーをしてくれた。
「兎に角、頭を上げるな。直接、答えるな。言われたことの返事は『ハイ』しかない」しかし、その中間頭も藩主に直接会ったことはないだろう。トモ造はここから逃げ出したくなった。
「へい、お待たせいたしやした」「へいじゃない。ハイだ」トモ造が河合にかけた言葉に早速、中間頭が注意を与えた。
「よいよい、お召しと言っても労をねぎらわれるだけじゃ。気楽にせよ」河合は気さくな人物のようで、本来は直接会話することも許されないトモ造を励ますと、先に立って歩き出し、トモ造は2間(3・6メートル)ほど遅れて続いた。
途中で休んでいる侍も河合の姿を見ると深く頭を下げ、それに続くトモ造に怪訝そうな顔をする。トモ造はそんな様子に「お手打ち」の瞬間が近づくような気がして江戸の両親、何よりもケイの顔が胸に浮かんだ。

藩主・津軽信明公は代官所の庭に面した座敷で茶を飲んでいた。
信明公はまだ3十前の若さであったが、奥州切っての名君として広く知れ渡っている。トモ造は代官所の玄関で河合からお庭番に引き渡され、その庭に連れてこられた。
「殿、お召しの車屋が参りました」代官所の廊下の上で河合が障子に声をかけた。
「うむ、くるしゅうない。開けよ」障子の中で声がすると河合が開けた。
トモ造は額と掌が庭に食い込むほど頭を下げ、息を止めている。
「江戸から荷車を直すために同道して参りました車清にございます」「うむ、江戸からのォ」「荷車を作った職人でございます」河合の説明に藩主はうなづいたが土下座しているトモ造には見えない。
「しかし、直すためとは壊れることを心配いたしておったのか?」「さてそれは・・・」河合も意外な質問だったようで返事に困っている。
「車清、どうなのじゃ」河合はトモ造の隣りで土下座をしているお庭番に答えを促し、お庭番はトモ造に訊いた。危なく直接答えそうだった。
「はい、この大八車は・・・荷車は江戸の街中で使うことを考えて作りました。ですから長い道中、山道などもございますれば何があるか判りやせん。それで念を入れたのでございます」トモ造は知っている最高の丁寧語を使って答え、それがまた2人を経由して伝えられる。本来なら直接耳に入っているのだが藩主はその形式に馴れているようだ。ただし、先ほど河合が大八車を荷車と言ったことを思い出して言い直していたのは始めから荷車にしていたが。
「うむ、大儀である」藩主の誉め言葉を「大儀であると仰せじゃ」と河合とお庭番が仲介して伝え、それを受けてトモ造はさらに地面に額をめり込ませる。
こんな真面目な喜劇がしばらく繰り返された。やがて藩主と河合が目で何かを確かめ合った(これもトモ造には見えない)。
「ところで車清、我が藩では海岸線に松と柏を植林し、岩木川沿いの堤の建設などに取り組んでおる。それにはシッカリとした荷車が必要なのじゃ。お前は当藩に留まって車作りに励んではくれぬか」河合の言葉がお庭番を介して伝えられる。
トモ造は「はい」と承諾の返事を返さなければならないのは先ほどの中間頭の教えにもあった。しかし、トモ造の胸には江戸で待つケイの顔が浮かんだ。津軽はケイの故郷であり2年の年季が明ければ帰ってくるだろう。しかし、それまで会えないのは辛く、それはケイも同じだろうと思った。
「どうした車清、有り難きお言葉じゃ、礼を申さぬか」黙っているトモ造にお庭番が少し言葉を荒らげ返事を促した。
「へい、有り難うございます。しかし・・・」「しかし?」トモ造の返事にお庭番は横顔を睨みつけたが本人は地面しか見ていない。
「あっしには江戸に先を言い交わした許嫁(いいなずけ)がおります」「許嫁?」こんな時は仲介なしで座敷の2人も反応する。
「それは誰じゃ。苦しゅうない、答よ」若い藩主は興味を持ったようで直接声をかけ、それを後から河合とお庭番が「答よ」「答よ」と仲介した。
「へい、御当家江戸下屋敷で料理番をやっておりますケイでございます」「当藩の?」また座敷の2人は直接反応して顔を見合わせた。そしてトモ造がケイの身の上を説明すると、しばらくその場に不思議な空気が漂った。
「うむ、許す。その料理番を国元へ呼び戻してこちらで祝言を上げさせい」「ははァ」藩主はそう命ずると愉快そうに笑い、河合とお庭番はかしこまって頭を下げた。トモ造は思いがけない展開で庭に穴を掘って頭を埋めたい気分になっていた。

碇ヶ関に1泊し英気を養った一行は、翌日に弘前城へ入った。
トモ造は藩が手配してくれた旅籠に荷物を置いて人心地ついていると河合正衛門の屋敷からの中間の使いに呼びだされた。旅先では衣類も必要最小限しかなく、こうしてあらたまって行くのは気が引ける。「せめて洗濯を」と思ったが、その暇もなかった。
トモ造は碇ヶ関と同じく法被と股引の職人の格好で出かけた。
弘前城下の武家屋敷に河合の邸宅はあった。弘前の武家屋敷はいわゆる白壁が続く重々しい街並みではなく塀は生垣だ。これは槍や鉄砲で敵の側面を奇襲攻撃するための工夫だと言う。また、この方が雪や火災に対しても強いと言うことだった。
「うむ、来たか」屋敷の庭に敷いてあったムシロで土下座をして待っていると河合が廊下を歩いてきた。トモ造は、またムシロに額を擦りつけてかしこまった。
「急に使いをやったが迷惑ではなかったか?」「滅相もございません」トモ造は「これ以上ない」と言うほど緊張していた。
「苦るしゅうない、面(おもて)を上げェ」「へい・・・はい」トモ造は返事をしたが頭を上げなかった。
碇ヶ関代官所での藩主とのやり取りを思い出しても、お手打ち寸前だったように思われる。ましてやここは弘前城下の藩士の屋敷、斬り捨てられても咎める者もいないのだ。
「ええい、面を上げんかァ」いきなり河合が叱りつけ、トモ造がビックリして顔を上げると河合は廊下に腰を下し穏やかな顔でトモ造を見ていた。
碇ヶ関では恐れ多くてまともに顔を見られなかったが、河合正衛門はキヨ助親方よりもやや年上で江戸の父親よりも年下に見える。その穏やかな目にトモ造は何故か安心感を覚え、ホッと溜息をついた。
「昨日は急な申し渡しであったが本当に大事なかったか?」「いいえ、とんでもありやせん」トモ造は首を振った。
「親方に仕込まれて十年、そろそろ独り立ちをと言われておりやしたが江戸ではそれもかなわず、好い機会をいただきました」そう言ってもう一度、手をついて頭を下げた。
「ケイの実家は代々平賀郷の庄屋を勤めていた家だが飢饉で村人を助けるため蓄えを全て遣い果たしたのじゃ」「へい」ケイからは平賀の農家としか聞いていなかった。
「ところが南部が米を江戸で高く売った話が当藩にも伝わって、重臣の中にそれを真似ようとする声があり、それを知った父親は領内を巡視された殿に百姓の窮状を直訴したのだ」意外な話にトモ造は息を飲んだ。
「ソチも存じている通り直訴は御法度、父親は磔になり母親はケイを連れ実家に帰った」ここまで話し河合はトモ造の顔を覗き込むように見た。
「それでワシが窮状を救おうと1人娘のケイを江戸屋敷に奉公させることにした。ここにおっては義民と言えども罪人の娘、嫁入りもかなうまい。そう言う訳じゃ」話を終えると河合は庭に下り、頭を下げているトモ造の前に座り肩を叩いた。トモ造はケイとの縁の不思議さを噛み締めていた。

5日後、大手門の前に城下の車職人が集められた。そこには重い荷物を積んで江戸から弘前までの長旅に耐えた車清の大八車が置いてあり、トモ造が立ち合って職人たちの質問に答えていた。
職人たちの津軽訛りは江戸暮らしをしていたケイ以上だが、そこは参勤で戻った河合配下の若侍・松木直之進がついて通訳をしてくれている。
「うん、この車輪の組み木が良いんだべ」「車軸の太さもこれで丁度いいんだなァ」「荷台が軽く作ってあるのも工夫だァ」(松木が江戸弁に通訳した言葉)職人たちの質問へはキヨ助親方が仕事の合間に言っていた教えで答えた。
トモ造は城下の作事奉行所近くに作業場をもらい、「藩御用」の看板を掲げて松と柏の苗木を津軽半島の海岸線に運ぶ車を作ることになっている。
柏の苗は、松の防風・防砂林だけでは農民の収穫にならず、柏を植えれば葉を売って副業にできると言う意見を採用したものだ。今まで津軽藩の車職人が納めていた堅牢性重視の荷車では重過ぎて、砂地の道ではめり込んでしまい作業員たちは苗木を背負って砂丘を越えなければならなかった。その意味でトモ造の仕事への期待は大きく、津軽で所帯を持たせ定住させることができれば藩にとってもこれ幸いなのだ。
江戸へは昨日、「ケイの奉公を辞めさせ国元へ帰すように」との藩命を記した河合の書状を持って藩御用の飛脚・尾野のタツが出発している。タツは江戸まで十日で駆け抜けると言われる伝説の飛脚であるが、トモ造にはケイの驚く顔が思い浮かび、タツの足さえもどかしく思った。

津軽藩下屋敷の下士・秋沢篤之丞は女癖が悪かった。かと言って吉原や島原の遊郭へ通う金はなく、飲み屋の女給を口説く才覚もない。
下屋敷に奉公している若い女中に士分の権勢で言い寄っては手をつけているのだ。そして、ことが起ると落ち度をでっち上げ、一方的に解雇することを繰り返している。それでも江戸の町家出身の娘たちは「もらう物をもらえば」と言って収まっているが、益々懐具合は寂しくなるのだ。
そんな秋沢が「江戸の遊びなれた娘には飽きた(金も掛かる)。そろそろウブな田舎娘をモノにしよう」とケイに目をつけた。
ある夜、泊り番(宿直)にあたり、下屋敷での夕餉を終えた秋沢はケイが台所の暗い行燈の下で片づけをしているのを確かめると、足音を忍ばせて後ろへ歩み寄った。ケイはタライの水で食器を洗った後、桶の水を柄杓で汲んではすすいでいる。その音で秋沢の気配には気づいていないようだった。秋沢はあと1歩でケイに手が届く位置にきて「ゴクッ」と生唾を飲んだ。
江戸的には美人ではないが(前述)、若くはち切れんばかりのケイの肢体を妄想しながら、
「先ず後ろから抱き締めて口吸いで口をふさぐ。乳房を鷲掴みにして、そのまま土間に押し倒して・・・」と自分で考えた手順を復習した(着物の場合、脇の下から手を入れないと胸には触れられません。余談ながら)。その時、ケイが何かを洗い終えて台に手を伸ばしながら横を向いた。
「今だ!」秋沢が飛びかかろうとした時、行燈の暗い明かりが驚いて振り返ったケイの手元の出刃包丁を照らし出した。同時にケイが「だだばァ(誰だ)」と叫び、秋沢は腰を抜かした。
「あんれェ、秋沢様じゃないけェ、何事であんすか?」ケイは右手に包丁を持ったまま秋沢に訊いてきた。しかし、秋沢は何も答えられなかった。
(江戸時代、女性が純潔を守る貞操観念があったのは儒教倫理を尊重していた武家だけで、それが次第に庶民にまで広まっていったのだが、田舎では祭りの夜などに嫁探しを兼ねた乱交などがあって、「ウブな田舎娘」と言うのは江戸勤め藩士の思い込みであろう)

尾野のタツは伝説よりも3日遅れて13日で江戸まで駆け抜けた。
弘前からの書状は中屋敷に届けられ、留守居役の黒石支藩の藩主・津軽寧親(やすちか・後の9代藩主)が目を通してそれぞれの役どころに回す。河合からの書状は下屋敷に送られた。
各藩の江戸屋敷には上中下があるが、上屋敷は江戸城の周りに建ち並び、正室、嫡男などの藩主家族(=人質)と参勤中の藩主はここに住む。中屋敷はそれに準ずる隠居した前藩主や支藩の藩主などが住み、下屋敷は国元から送られた米などを保管する蔵屋敷としての機能と庭園などが作られていて郊外にあって1番広いことが多い。
下屋敷では差配役が目を通して奉公人を監督する納戸役に指示を与え、ケイは突然、使いの下士に呼び出された。
「ケイ、納戸役様がお呼びじゃ。同道いたせ」「へい・・・」ケイは調理場の手拭いで手を拭きながら土間から板の間に上り、袖を上げた襷を外した。
「うむ」下士はその様子を確認すると先に立って藩邸の薄暗い廊下へ進んでいく。そもそも奉公人に直接、役付きの上士が声をかけることはない。ケイは「昼餉のオカズに何か問題があったのか?」と、先日のトモ造と同じく「お手討ち」を心配しながらついて行った。
やがて下士は役寮(担当部署の部屋)の前で立ち止まって振り返り、座るように促した。ケイは廊下に座って手をついた。
「飯衆(はんじゅう=炊事係)のケイ、参りました」「うむ」下士が声をかけると中から納戸役が返事をして、それを受けて下士が襖を開けた。ケイは床に額を擦りつける。その様子に納戸役は満足そうにうなずいて用件を告げた。
「ケイ、藩命によりソチの奉公を終わらせ、国元へ帰すことになった」「えッ?」ケイは顔を上げて詳しい説明を求めたかったが「面を上げる」許しがないためできない。
「ソチの津軽料理が食べられなくなるのは残念だが、殿の思し召し(おぼしめし)であればいたし方ない。仕度が終わり次第、道中手形を発行するゆえ申すように」「ヘッ?」こうしてケイは訳が判らないまま津軽へ帰ることになった。しかし、津軽へ帰っても仕事のあてはない。2人分の食物を作るには母の実家から借りている畑は狭かった。だからこうして江戸に出て来たのだから。
「オラはどうしたらいいんだァ・・・」そう呟いたケイの胸に帰る道中でトモ造と行き違いになることの心配が浮び、気持ちは更にかき乱された。
「もう、トモさんに会えねェのかも・・・だったらトモさんが帰ってくるのを待ってからにするべ・・・そしたら今度はトモさんにXXX」それはケイが出した素朴な答えだった。

トモ造は城下での準備が一段落したところで平賀郷へケイの母を訪ねた。これには若侍・松木直之進が付き添ってくれたが平賀が碇ヶ関から弘前へ向う途中にあることを初めて知った(道案内の石標はあっても看板がないため)。
ケイの母が住む家は裕福な農家である実家が罪人の妻になった娘と孫を世間の目から隠すため用意した村はずれの1軒家だった。
磔刑では罪人の遺骸は朽ち果てて落ちるまで晒し物にされるものだが、夫の遺骸は直訴に感謝する農民たちが暗夜にまぎれて引き下ろし村はずれに埋葬された。そのことは同じく勇気ある義挙に感激をしていた藩の重臣たちによって黙認された。しかし、それはあくまでも黙認であって表面上は重罪人として扱われるのがこの時代である。したがって母は墓参りを隠すため薪拾いのついでに立ち寄るしかなかった。
「たのもう」若い松木は家の前で大きな声をかけたが返事はない。
「たのもう」松木がもう一度、繰り返すと2人の後ろで「どひゃァ」と言う返事があった。振り返るとケイに似た丸顔の女性が地面に座り手をついていた。
「平賀郷から江戸屋敷へ奉公しておるケイの母親か?」「はい」母親は返事をして地面に額を擦りつけた。
「そちの娘の婿を案内(あない)してきた」「えッ?」松木のいきなりの紹介に母は勿論、トモ造も呆気に取られて顔を見合った。
「ケイはまだオボコでございます。婿なんておりません」「へい、あっしはその許しを願いに参ったのです」2人しての反論に松木は自分の早トチリを知り、気まずい顔をした。
「何でもよい。家に入れよ」「はい、粗末な家でございますがどうぞ」松木の照れ隠しの言葉に母は立ち上がって玄関の板の引き戸を開けた。
家の中は釜戸のある土間と囲炉裏の1部屋で、土間の隅には打ちかけの藁が積んである。松木は腰の刀を外して上がり端(はな)に腰を下し、草鞋の紐を解くと座布団代わりのムシロが敷いてある囲炉裏の奥に刀を右に置いて胡坐をかいて座った。
トモ造が土間に座って手をついている間、母は釜戸の火に藁を入れて熾すと囲炉裏に持っていき、続いて鍋に水瓶から柄杓で水を入れて囲炉裏の火にかけトモ造の隣りに座った。
「よい、そこでは話が遠い。こちらへ来て座れ」かなり若いとは言え侍である松木の言葉にトモ造と母は顔を見合わせた。
「大声で話すのは疲れる。こちらへ来い」松木が命令口調になったところで2人は板の間に上がり、手前にトモ造、母は土間側に正座した。

「ケイの婿と申されましたのは、どう言うことでございますか」先ず母が両手を床につきながら訊ねたが、庄屋の妻らしく言葉遣いは丁寧だった。
「うむ、それは間違いである。許嫁と申すべきであった」松木の答えにトモ造も「ホッ」と溜め息をついてうなづいた。
「しかし、ケイは江戸へ奉公に上がっております。それまではオボコでございました。先を言い交わす方を作られるはずがありません」母の疑問は当然である。松木が目で合図したのを受けてトモ造が説明した。
「あっしは江戸で車職人をやっておりますトモ造と言いやす。江戸屋敷に荷車を納めた時、ケイさんと知り合いやして、それから・・・」ここでトモ造は言葉に詰まった。こうなると普通は先走った関係の告白になるものだが、トモ造とケイの場合は逆だった。そもそも許嫁と言うのもケイに会いたい一心でついた嘘なのだ。トモ造の説明を聞いて母はしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げて訊いた。
「ではケイは江戸で嫁に入ると言うことでございますか?」「いいや、トモ造は殿の命を受け城下で新しい荷車を作りながら技を伝授することとなったのだ」松木の説明でトモ造自身も自分が負っている重責を自覚し直した。
「それじゃあ、ケイは・・・」「うむ、すぐに戻ってくる」松木の返事に母はあらためてトモ造の顔を見て、トモ造はケイに似た母の面差しに何故か少し胸をときめかした。
しかし、トモ造は自分の親に何も言っていないことをすっかり忘れていた。

次に家を訪ねた時、トモ造は母に連れられて村のイタコの所へ行った。イタコと聞いてトモ造は、「板を売る店か」と思ったが霊能者のことだった。
「どひゃァ」母は村はずれの一軒家の戸の前に立つと声をかけた。
「だだばァ」中から老女の返事が返ってきて、いざるような足音がした後、つっかえ棒が外され戸が開いた。イタコは腰が曲がった小さな婆さんだった。
「あれェ、庄屋さんの奥様」「それは終ったことだァ」イタコの言葉に母は首を振る。むしろ身分を隠しての来訪なのだ。
「こちらは娘っ子の婿さんだなァ」イタコは何も言わないのにトモ造のことを言い当てた。
「んだ、それで好いのかウチの人に訊いてもらいたくてェ」「だべか・・・」そこまで話して、イタコは2人を家の中に招き入れた。
イタコの家もケイの家と同じ造りで土間の奥に釜戸があり、その脇には囲炉裏の板の間だけだ。ただ、部屋の奥には簡単な祭壇があり、そこには江戸では見たことのないお札が祀ってある。その前に向い合って座ると母はお供物として畑で採ってきた野菜を差し出した。
「あれェ、御丁寧に。有り難さんです」イタコは両手をついて受け取ると、お盆代りの板にそれをのせ祭壇に供えた。
それで準備が終り、イタコは陶器の器に囲炉裏の火から移した松明を入れ、線香代わりのヒバの葉を炊いた。
江戸なら法要ではロウソクと線香を立てるのだが津軽ではこれが代用品のようだ。
ヒバから煙が上がり線香に似た香りがきこえてくると、イタコは不思議な形(飾り玉が多い)の数珠を揉み、祈りの言葉を唱え、口寄せを始めた。ただ、罪人とされているケイの父の名はワザと聞きとれないようにしていて、それを確かめて母は溜め息をついた。
しばらくの祈りの後、突然にイタコの口調が変った。
「オラを呼んだりしてどうしたんだ?」「この人が・・・」母にはこれが父の口調なのが判っているようでトモ造の方を見ると紹介をしようとした。(ただし相手はイタコである)
「それは江戸から来たケイの婿だべ」「んだば、トッチャ(父)が連れて来ただかァ」母とイタコの口を借りた父の会話を聞きながらトモ造は驚いている。
「だばァ、ケイが帰ってきたら一緒にさせてもいいべかァ」「罪人の娘だば祝言を上げてやることはできねェが、婿さんは許してくれるべェ」父の言葉に母が顔を見たのでトモ造はうなづいた。
津軽(実際は東北の北部)ではイタコを通じて死者と会話する風習があることをトモ造は学んだ。それは風習と言うよりも死者と共存している日常であろう。

ケイがトモ造の帰りを待っている間、車清のキヨ助親方が津軽藩下屋敷を訪ねてきた。
「おケイさんってのはアンタかい?」「んだ。トモさんの親方だべか?」「そんだァ」顔見知りの中間にケイを呼び出してもらった親方は、そのまま近所の茶店に連れていった。しかし、いきなり親方も津軽弁になっている。
「あれェ、親方も津軽言葉が上手いんだなァ」「ワも津軽の生れなんだァ。これは誰にも内緒だどもよォ」意外な告白に本題が始まらない。
キヨ助親方は津軽の農家の2男で、若い頃に親と喧嘩をして家を飛び出し、流れ流れて江戸までたどり着いたのだ。そして弟子入りした車屋の親方の婿養子になったのだが、つまり元は無宿人だった訳で、そのことは家族以外には話していない秘密だった。
「それでワに何の用だァ」「それだァ、おケイちゃんは津軽へ帰るんだべ」「何でそれを知ってるだァ」親方のいきなりの話にケイは戸惑って訊き返した。
「昨日、尾野のタツって飛脚が俺っちに寄ってったんだ」親方は江戸弁に戻っている。
「タツが言うにはトモ造は弘前の城下で荷車作りの仕事をするように殿さんから申し渡されたらしいんでェ」親方は津軽出身でなければ理解できないタツの言葉にも不自由なく会話して訊き出していた。
「それでお前さんを呼び戻して夫婦=メオトにしようって言うことになったらしいんでェ。津軽の殿さんも粋だね」「・・・」タツからは、どうしてそうなったかの説明はなかった。これもある意味、直訴なのだが法度には当たらないだろう。
「どうしたんでェ、嫌なのか?」「・・・・」親方は返事をしないケイの顔を覗き込んだ。するとケイの大きな目から涙が溢れだした。
「どうしたんでェ、いきなり」「だって驚いて・・・嬉しくて・・・ウッウッウッウウウ」ケイは懐から手拭いを取り出すとそれに顔を埋めて声を上げて泣いた。
これでは若い娘に悪さをして泣かしている中年スケベ親父にしか見えず、実際、店の前を通る通行人たちもそんな顔で見て行く。親方はどうしていいのか判らず、黙って茶をすするしかなかった。

親方は日をあらためてケイを荒川の対岸のトモ造の実家へ連れて行った。トモ造の父親は江戸でも評判の羽織り職人であるが話は先日、親方からしてあるらしい。
「オメェさんがトモの嫁さんになってくれるって言うおケイさんかい?」「んだ」「アイツにこんな可愛い嫁さんがくるったァ、有り難てェこったァ」トモ造の父の江戸弁は筋金入りである。テンポの良い言葉が口から溢れ出てくるようだ。
「おう、コイツがトモ造のカカァでェ」そこへ母が湯を持ってきたので父が紹介した。母は皿にもった煎餅を真ん中に置くと湯呑みに湯を注いで配ったが、そのついでにケイの全身を値踏みするように眺め回した。
「ところでおケイちゃんは職人の仕事を知ってるのかい?」母の質問はケイの身の上確認の意味もあった。
「オラは百姓の娘なんで職人のことはよぐ判らねェんだす」ケイは全て正直に言おうとしたが、父の死は影では人々からの称賛、感謝、尊敬を受けていても表では罪人とされている。このことは江戸では黙っていることにした。
ケイが「農家の娘」であることが判り、母は言葉を続けた。
「職人は俺が一番の頑固な偏屈者が多いから、農家みたいに亭主と女房が一緒に働く仕事とは違うねェ」「んだなァ」母の言葉に農家出身の親方もうなづいている。
「まァ、トモ造は職人にしては優しいから大丈夫だろうけどね」「うん、アイツは何とかなるって鷹をくくってやがって、何が何でもと必死に頑張るところがねェ。親方の仕込み方があめェんだろ」母の励ましを父が変な方向に持っていった。
「とんでもねェ、何度もブチ殴りやしたが、あれは親からもらった性分ですワ」親方は父の言葉に答えたのだが、今度は母が「殴った」ことに怒りだした。
「なんだってェ、ワタイ(私)のトモ造ちゃんを殴ったてのかい!許せねェ」ケイは江戸弁のテンポの早い会話について行けず黙っている。それに気づいて父が話題を親方に振った。
「ところでトモ造が津軽に行っちまって親方の仕事は大丈夫けェ」「こちらはマサ吉って上州出の手先の器用な奴がきやしたんで・・・こちらは?」「俺っちはトモの弟に仕込んでるよ。トモ造は細けェ針仕事には向かねェんだ」ここで車屋と羽織屋の親方同士、安心し合って湯を飲んだ。
「おケイちゃん、そんな訳でこんな親の子だけどよろしくね」「へい、オラだばトモさんの嫁ッ子になるだァ。ウッウッウッウウウ・・・・」ケイは母の言葉にまた泣き出して、それを両親と親方は優しく見ていた。

作事奉行所のそばに津軽ダンスの作業場であった店をもらいトモ造の仕事が始まった。とは言っても必要最小限しか道具を持ってきていないので、先ずはそれを揃えることから始めなければならない。そんなある日、店に同年代の商人が訪ねてきた。
「御免なすって」その商人はいきなり不思議な挨拶をし、「うらあァ」と今日はトモ造の方が津軽弁だった。そんなことで顔を見合わせた後、商人が用件を切り出した。
「ワは板材の商いをしております木村屋の広三郎と言います」「うん」「この度は藩御用の車屋を始められるとのことで、一言ご挨拶をと思いまして」「うん」ここまで話して広三郎は抜け目のない顔でトモ造の反応を窺った。
トモ造は親方から車作りについては十分に仕込まれていたが、商売については幼い頃に寺小屋で読み書き算盤(そろばん)を習ったくらいで、ほとんど素人だった。広三郎はそんな様子を感じ取って、商人らしく自分を売り込んだ。
「板材のほかに道具なども扱っておりますから、何でもお言いつけ下さい」広三郎は作業場の中を見て必要な道具が揃っていないことを早くも察知したようだった。
「それからお使いになる板や材はどのようなものでしょう」「どうしてだい」「先に準備しておけば、御注文をいただけばすぐに納めることができます」何にしろ人並み外れて鋭い男のようで、トモ造は同年代のこの男を少し怖ろしく感じた。
広三郎はそんなトモ造の心理も見抜いて話題を変えてくる。
「ところで店の名前は何とされるんです?」「へッ?」突然の質問にトモ造は返事が出来なかったが、広三郎は助け船のように話を続けてきた。
「親方のお名前は?」「トモ造って言うんだがな」「では車トモですかい?」「いや、まだ正式に独り立ちしていねェから・・・弘前車清でェ」現代なら車清弘前支店と言うところであり、トモ造は新規参入、市場開拓の重責を担うやり手支店長になるのだろう。

ゲン希は津軽藩の海岸の植林事業や岩木川の堤防建設に雇われることができた。津軽では天明の大飢饉で多くの領民が死んだため人手不足は深刻であり、このような申し出は願ったり叶ったりなのだ。早速、ゲン希がトモ造の店を訪ねてきた。
道中では中間の装束だったが、今日は古着屋で手に入れたらしい農民の作業着を着ている。
トモ造は木村屋の広三郎が納めた道具を残っていた木片で試しているところだったが、2人並んで上り端(あがりはな)の板の間に座った。
「すまねェな。男所帯じゃあ茶も湯も出ねェんだ」「いいえ、気をつかわねェで下さい」ゲン希は漁師の息子と言う割には礼儀正しく、言葉遣いも丁寧で育ちの良さを感じる。
「親方、オイラは海岸の苗運びに雇ってもらいやした」ゲン希はホッとしたように微笑んでいる。トモ造も安心してうなづたが別のことが気になった。
「おう、この間は言い忘れたがオイラはまだ親方じゃあねェからよ」「ヘッ?」トモ造の思いがけない返事にゲン希は呆気にとられた顔をする。このことは木村屋の広三郎にも言っていなかった。
「まだ、江戸の親方からお許しをもらってねェんだ」「そんでも腕は1人前でやんしょ」「うーん、そいつは難しいところだぜ」トモ造の説明にゲン希は急に表情を引き締めて顔を見た。
「オイラは親方って呼ばせてもらいまさァ。そんな真っ正直なトモ造さんが好きなんで・・・」「親方けェ」確かに弘前城下で店を営む以上、親方でなければ通用しないのかも知れない。トモ造はキヨ助親方の顔を思い浮かべたが微笑んでうなづいてくれた。
「そいでゲン希さんよ、車の具合が悪いようだったら早めに教えてくれ」「へい、親方のお役にたつことなら何でもやりやす」ただゲン希は津軽半島でも中ほどにある十三湖から南の海岸に植える松や柏を馬車で運んだ集積場から現場へ送る仕事なので弘前へ帰ってくるのはたまになるだろうことはどちらも思いが至らなかった。この辺りが江戸っ子と浜っ子の甘いところと言えばそれまでだろう。

ケイは津軽の新緑が萌え始めた候に帰ってきた。
トモ造が弘前について4日後に尾野のタツが出発し13日間で江戸の中屋敷についた。その書状は翌日に下屋敷に届けられ、その日のうちにケイに帰参が申し渡された。しかし、ケイはトモ造の帰りを待つつもりでそのまま過ごしていたが、キヨ助親方に会い津軽に帰る意味を教えられトモ造の親にも会った。
そこからケイはトモ造逢いたさで早々に準備を終え、道中手形を受け取ると女中たちに見送られて江戸を後にした。
道中も普通の女の旅では考えられないほど足が進み、男でも20日はかかる(大名行列は別)津軽までの道を2日違いの22日で到着したのだ。
ただ、この時代はまだ関所が一応の機能を果たしており、江戸から出る女、それも1人旅となると大名の人質=正妻の逃亡を疑われて通行手形の内容の確認に数日を要したから、本当は尾野のタツに勝るとも劣らぬ日程であった。
出羽の国小坂の宿ではケイの江戸仕立ての着物を見て上客と思ったマッサミとマッサキと言う駕籠かきからしつこく声をかけられたが、これはにべもなく撃退した。

碇ヶ関から谷間の道を抜けると大鰐の辺りから風景が開け岩木山が見える。
「やっとお山に会えたァ。ただいま戻りましたァ」ケイは道の真ん中で立ち止まると手を合わせて頭を下げた。独立峰・岩木山の独りすっくとそびえ立つ姿に比べれば道中から見える磐梯山、安達太良山、蔵王山、岩手山などもケイには山並みの1番高い所に過ぎない。
「まさに独坐大雄峰じゃな」その時、眼を閉じて頭を下げていたケイの横で声がした。ケイが慌てて頭を上げると隣りに旅の僧侶が立って一緒に拝んでいる。
「あれェ、お坊様と一緒に拝んじまっただァ」「様がつくほどエライ坊主じゃない。『さん』でよい」ケイの言葉にその坊主は笑って答え、ケイも笑ってうなづいた。そこから2人は一緒に歩き始めた。
「ドクザダイユーホーって何だべ?」「独坐大雄峰と言うのは、地にどっかり腰を下し、天を支えるように独り坐っていると言う意味だ。坐禅をする姿のことじゃな」「お坊さんは津軽のお寺様だべかァ?」「住人に『さん』で棲み家に『様』は可笑しいのォ」言われてみれば寺は坊主の棲み家であって、住人である坊主をさん付けにしておいて棲み家である寺に様を付けては変である。
「だばァ、お寺さんだべかァ?」ケイが素直に言い直すと坊主はさらに愉快そうに笑った。
「ワシは旅から旅の風来坊主じゃ、今は飢饉の死人を弔うために奥羽各地を巡っておる」坊主はこの話を南部領内では何度も説明してきたが、理解してもらえなかったのだ。
「それで津軽にもお弔いに?」ケイの質問に坊主は首を振り、一緒に網代笠も回った。
「うむ、津軽は南部以上に死人が出たと聞いておるでの。だがな、飢饉の折に津軽で百姓の困窮を直訴して磔になった庄屋がいると聞いて、その弔いをしたくなったのじゃ」坊主の話を聞いてケイは「それは私の父です」と言いたかったが抑えた。
「確か平賀の郷の庄屋だったと聞いておるが、平賀は弘前へ行く通り道じゃったのォ?」「へい・・・」ケイの返事が重くなったのを感じ坊主は話題を変えた。
「南部ではエライ目に遭った。ワシを公儀の隠密ではないかと疑って行く先々で代官所に連れて行かれた。おかげで野宿をしないで済んだがの。ククク・・・」坊主はここまで話して思い出し笑いをした。ケイは坊主らしくない気さくな雰囲気に先ほどの思いを打ち明けたいと思った。
「そう言えば直訴と言えば重罪、罪人には墓を作ることも許されんだろう。参るならどこへ行けばいいのかな。娘さん、何か知らんか?」「あのう、お坊様、ワは・・・」ケイはかぶっている笠で顔を隠すようにして話し始めた。

ケイに案内されて坊主は村はずれの木立にある父の墓所に参った。
「ここかァ、ソナタの父上が眠っておられるのは・・・」「んだ、大鰐の刑場から村の衆が運んで来てそのまま埋めたんだども、月のない夜だったんでワとオッカァで穴を掘って埋め直したんだァ」、そう言うとケイは、判らないように土も盛っていない場所に大き目の石を置いただけの墓に手を合わせた。墓には花も手向けられないので母が野の花を移し植えてある。
「それでは葬儀もやっていないのだな」「菩提寺のお坊様も関わりたくねェって・・・」返事を聞いて坊主はケイの横にしゃがむと頭陀袋から線香入れの筒を取り出し、胴火(火種を携帯する道具)で細く裂いた懐紙に火を付けて線香を焚いた。そして托鉢用の持鈴(じれい)を振って延命地蔵経を唱え始めた。
ケイは大きく響き渡る鈴の音で墓所が知られることを心配したが坊主がやることなので黙って手を合わせ、固く閉じた眼から涙をこぼした。

ケイが坊主を家に連れて行くと母は家の前の小川で鍬を洗っていた。
「ケイ・・・」「オッカァ・・・」2年弱ぶりの再会に母娘は言葉が出てこない。そんな様子を坊主は黙って見ていた。
母は感激に十分浸った後、ようやくケイの後ろに立っている坊主に気がついた。
「あれまァ、お坊様だ」「さっき、おトォの墓に参ってもらっただよォ」ケイの説明に母は失礼と御礼を兼ねて深く頭を下げた。
「先ずはこちらへ」「そんだァ、こっちへきてくんろ」母娘が先に立って家に入っていくと坊主も後に続いた。
母は先日、松木直之進とトモ造が来宅した時と同じ手順を踏み、ケイがそれを手伝った。ただ、坊主は身分制度上の適用除外のため、母娘はそのまま囲炉裏の周りに座った。
ケイは母に坊主と知り合った経緯から墓参するまでの顛末を説明したが、母は坊主の顔を心配そうに見ながら訊いた。
「でも、ウチの人は罪人だからって菩提寺の和尚様もお弔いをやってくれねェのに、お坊様はそんだらことして良いんべか?」「死なば佛、罪は生きている間のことじゃ。若し、罪があるのなら尚更、弔いをせねば救われまい。それに主殿(あるじどの)は法度に背いただけで罪を犯しておらん。法度は人が作ったものじゃから佛の知るところではないのじゃ」坊主の言葉に母とケイは顔を見合わせた後、一緒に泣き始めた。
その時、戸の外で「うらァーッ」と言う叫び声が聞えた。
「トモさん?」「んだ、ケイが帰ってないかって3日を開けずに訪ねてくれてるだ」母の返事が終わる前にケイは立ち上がり、草履も履かずに土間へ降りて戸を開けた。
「トモさん・・・」「おケイちゃん・・・」先ほど母娘でやった再会シーンを今度は許嫁同士で再演している。それを母と坊主は黙って見ていた。

土間に入ってきたトモ造は囲炉裏の向うに座っている坊主に気がついて驚いた。
「ありゃ、テンジン様」その言葉を聞いて坊主は黙って柏手を打った。
「パン、パン」この音でトモ造は野宿した時の漫才を思い出して笑いながらうなづいた。
「トモさん、このお坊さんを知ってるだかァ」ケイが驚いて訊いたが、こちらの方が言われたことを守っている。
「うん、一緒に野宿したんだ」「ワシは寝とらんぞ」トモ造の説明をテンジンが否定し、ケイと母は顔を見合わせた。
「でも、どうしてテンジンさんがここに?」「うん、こちらの主殿(あるじどの)の弔いをな・・・」テンジンの言葉にケイと母は、また鼻をすすった。
「それは有り難うござんす」トモ造も手をついて礼を言った。テンジンはその態度でトモ造とケイの関係を察してうなづいた。
「ところでワシはこれから竜飛岬と深浦の知り合いの寺へ行ってこようと思う。お前はその間に石の地蔵を彫ってくれ」「ヘッ?」思いがけない話にトモ造は戸惑った。
「アッシは車屋で石工じゃありやせん」「職人に変りはあるまい。千手観音の手をもう1本お借りすればいいのじゃ」トモ造とケイ、母もテンジンの真意が判らず顔を見合わせて目で会話した。
「ならば観音様の方がいいんでは?」「観音は冠を被っておる。佛には羅髪(らほつ)がある。地蔵ならワシと同じ禿げ頭だ。素人が彫るなら地蔵に限る」この坊主の話はどこまで冗談なのか真面目なのか判らない。しかし、その後の真意は大真面目だった。
「主殿の墓所に地蔵を建てれば墓参ではなく地蔵へのお参りじゃ。誰も文句あるまい」これでトモ造とケイは納得したが、母はさらに心配を口にした。
「されど庄屋様や寺の和尚様のお許しもなく・・・」「寺の坊主には『江戸から来たダイクウテンジンが建てた』と言えばよい」と母の心配をテンジンは簡単に否定したが、結局、何者なのかは名乗らなかった。

トモ造は木村屋の広三郎が納めた板と角材を使って新たな車を作っていた。
木村屋はそれまで藩御用を請け負っていなかったのだがトモ造が必要とする材料を揃え、おまけに規格に合わせた加工までしていることで売り込み、この役を勝ち取ったのだ。まさに広三郎のおそるべき商才である。
ところがトモ造は近所の石工から鏨(たがね)を借りてきて「トントンカンカン」と石を彫り始め、その音に藩御用を管轄する作事奉行の役人が確認に来た。
「トモ造、これはどうした訳じゃ。申し開きをいたせ」役人は最優先すべき「藩御用」を中断して余技を始めたトモ造を咎めようとする口ぶりだ。
「へい、江戸から来たダイクウテンジンって言う坊さんの御注文でして・・・」坊主からの注文と聞いて一応の信仰心がある役人も答えに詰まった。
「しかし、車屋のソチに石彫りの注文をするとはおかしな坊主じゃのう」「まったくでさ、何せ十日のウチにと言うことでして、大急ぎなんでござんす」トモ造の説明を聞き役人は上役に報告するために帰って行った。

その日の夕方、作事奉行所の上級役人がトモ造の作業場にやってきた。
「車清、その石彫りを注文されたのはダイクウテンジン和尚に相違ないか?」「へい、そう名乗られましたが」仕事の手を止めて土下座しながらトモ造は答えた。
1日掛かりで石は地蔵の大きさに削られ、頭と胴の部分くらいは判るようになっている。5日もあれば何とか地蔵に見えるくらいにはできそうだ。
「ソチはダイクウテンジン和尚とはどのような関係なのじゃ」「へい、こちらへ参ります途中で一緒に野宿しやした」そう答えながら先日、テンジンが「ワシは寝とらんぞ」と言ったことを思い出した。
「それではソチはダイクウテンジン和尚が江戸の名刹・文台寺(もんだいじ)の長老であることは存じなかったのだな」「ヘッ?そんなエライ坊さんだったんですかい」トモ造の胸に、どう見ても旅の乞食坊主にしか見えないテンジンの顔が浮かんだ。
「殿が『城にお招きしたい』と申されておる。お会いしたら奉行所に案内いたせ」「へい」役人の命令に返事をしながらトモ造は「人は見かけによらねェ」ことを噛み締めていたが、「テンジンがケイの家に寄ったらどうやって奉行所に案内するのか」を訊く前に役人は帰ってしまった。

案の定、テンジンは城へ行くことを嫌がった。それでは自分が役人に叱られ、恩のある藩主に申し訳が立たないと懇願するトモ造にテンジンは懐紙に歌を記して渡した。
「雲水が 流れ流れて 津軽の地 過ぎ往く縁(えにし)とどむ術(すべ)なし」雲水とは言うまでもなく無常の世を流れるように生きる僧侶のことである。その雲水がたまたま津軽に流れ着いただけのことで、留める術はないと言う意味だ。
「こんなんで大丈夫ですかい?」とトモ造は訊いたが、テンジンは「このお札は効くぞ」と笑ってうなづいた
ケイの父の墓所にはトモ造が彫った石地蔵が建立され、テンジンの開眼供養が行われた。これで母もケイも地蔵参りとして何時でも墓参できることになった。
トモ造はテンジンが元幕臣で、愛する妻の死をきっかけに家督を息子に譲って出家し、宗派を問わず全国の寺を修行して回った末、道場破りのように文台寺に入りこんだ坊主として有名であることを奉行所の役人から聞いた。本当に「人は見かけによらねェ」のだ。

津軽の束の間の真夏、弘前のネプタがやってきた。津軽藩も飢饉の惨状から立ち直りつつある中、犠牲者の弔いを兼ねて今年は盛大だった。
江戸っ子のトモ造は街ごとに神輿を担いで争う激しい祭りには馴れているつもりだったが、「ドンドドンドドーン」と響き渡るネプタ太鼓とシノ笛に合わせて、「ラッセラァ、ラッセラァ」と掛け声を上げながら跳ねて踊るネプタの湧き上がるような熱気には圧倒された。
トモ造は作業場のある町のネプタの後ろでケイと跳ねたが町衆たちはケイを「車清の嫁ッ子」と言って歓迎してくれた。
「嫁ッ子は津軽のモンだべェ」「だども、髪さ江戸風に結ってるだァ」「めんこいなァ」2人で跳ねている後ろで町衆たちは噂しているが、ケイと手をつなぎながら跳ねまくると、そんな様子に町衆も野暮な詮索はやめて祭りを楽しむようになった。
「トモさん、大丈夫けェ」「大丈夫でェ、おーらラッセラァ、ラッセラァ・・・」ケイは汗びっしょりになっているトモ造を心配したが祭り好きな江戸っ子の血が騒いでいたトモ造は下半身の痛みを振る舞われる酒で忘れながら気合を入れ直して、さらに跳ねた。

トモ造が荷車を藩に納め代金を受け取ったところでケイと所帯を持った。
最近、ケイは江戸で結っていた島田髷をやめ津軽の女性がしているように後ろで束ねるようになっていて、祝言がないどころか飾り気もない。
住居は仕事場の奥にある囲炉裏つきの広さ8畳の板の間だが嫁入り道具もほとんどないケイには十分だ。箪笥と卓袱台もトモ造が木村屋から安く買った板と材で作った。ただ、津軽の冬を考えて布団だけは好い物を買った。そして、ついにその布団で初夜を迎えた。
ケイが平賀からやってきた夜、木村屋が頼んでくれた仕出しの夕餉を食べ、河合から届いた祝い酒で2人きりの三三九度をやって布団に入ったトモ造はワクワクしながら行燈の灯りの向うで身支度をしているケイを待っていた。
トモ造は車清に勤めるようになってからの給金を貯めて吉原で筆下ろしを済ませた後、安女郎と遊ぶことがあった。しかし、ケイと知り合ってからはそれも止め、女に触れるのは久しぶりなのだ。
トモ造がもう一度、女郎から習った手順を思い出しているとケイが行燈を消した。
「ゴクッ・・・」暗くなった部屋にトモ造が生唾を飲んだ音が響く、そしてケイが掛け布団をめくる音と気配が興奮を倍増させる。
ケイの体温を直接肌に感じながらトモ造は「寒い冬はこうして温まろう」と思った。ケイと抱き合っていれば体だけでなく心も凍えることはないのだから。

秋、トモ造とケイは父の地蔵に参りながら茸採りをしたが、茸以外にもアケビや木の実、山菜など数日分の食材はすぐに集まった。
「あッ、山葡萄だァ」ケイが木立に茂ったツルの葉を見て歓声を上げた。少し色が変わった葉の影には紫色に熟した山葡萄が実っている。
「甘ェだァ。お前さんも食べるさ」ケイはトモ造に勧めながら、もう一口味見している。
「山葡萄?」江戸っ子のトモ造は山葡萄を見たのは初めてだった。ケイに勧められるまま一粒を口に入れると酸味のある甘さが広がった。
「うん、甘いぜェ」「だべ、んめェ」トモ造は自分でもツルから葡萄の房を採り、ケイと2人で片っ端から頬張った。山葡萄の渋みで口の中が痛くなったところでケイがトモ造の顔を見た。
「お前さん、鉄漿(オハグロ)したみたいだ」山葡萄を食べ過ぎてトモ造の歯は紫色に染まっている。
「ケイこそ、唇に紅の代わりに紫を指したみてェだぜ」トモ造に言われてケイは手の甲で唇を拭った。
「とれた?」「ううん、まだ紫だ」トモ造の返事を聞いてケイがジッと顔を見た。
「だったらとって?」「へッ?」「舐めてとるだ」そう言うとケイは眼を閉じて唇を突き出した。
「何を言ってるんでェ」トモ造が照れ隠しでソッポを向くとケイが言い返した。
「だったら布団の中でも舐めさせてやんないべ」それは辛い!所帯を持って以来、ケイの体の温もりは布団以上の安らぎなのだ。
トモ造は「仕方ねェなァ」とまだ照れ隠ししながら両手でケイの肩を掴み、唇を舐めた。するとケイはトモ造の首筋に両手を回して舐め返してくる。山葡萄の味がする美味しい「口吸い」だった。
「やっただァ、キャハハハハ・・・」口吸いを終えるとケイは勝利の雄叫びのような笑い声を上げトモ造を呆れさせたが、確かに最近はケイのパワーに圧倒され放しである。

津軽の早い秋が深まってきた頃、作業場に見慣れない駕籠屋が来た。駕籠かきの若い方が採光のため戸を開けて荷車を作っているトモ造に声をかけた。
「お晩でがんす」「おう、何でェ。駕籠なんて頼んでねェぜ」トモ造のぶっきら棒な返事に駕籠かきはムッとしたが相棒に言われて話を続けた。
「それはわがってるだども、駕籠さ修理してもらいてェんだす」駕籠の修理と聞いてトモ造の職人としての好奇心が動き、立ち上がると店の前に出た。
「オメェさんは見かけねェけど、どこの駕籠屋さんだい?」「オラァ、出羽のマッサキって言うだ。こっちのアニさんが・・・」「マッサミだァ」ようやくマッサミの方が声をかけた。
トモ造は普通、よその者と仕事の話をする時は年長の方がするものなのに、この2人は逆なことを不思議に思ったが、それも出羽の風習かと思って納得した。
何せ津軽へ来て以来、仕事にしても近所の付き合いにしても江戸とは異なる風習に驚かせることばかりでケイがいなければ何もできない状態なのだ。
尤もケイとの暮らしでも戸惑うことがない訳でない。親子代々江戸っ子の職人であるトモ造には津軽の農民の娘であるケイが求める夫婦の助け合いや触れ合いが気恥ずかしかった。それでツイツイ一歩引いてしまうとケイは哀しそうな顔をする。
トモ造が「何でそんなにくっつくのか?」と訊くとケイは「離れてると寒いべ」と答えた。それが判っていても出来ないトモ造は案外、不器用な奴かも知れない。
駕籠は2人が担ぐ棒と客が座る席を繋ぐ部分の竹組みが緩みバラけてしまっていた。
「こりゃあ、かなり無理に使ったねェ」「んだ、小坂から弘前まで重い客を乗せてきたんだ」トモ造の確認にもマッサキが答え、マッサミは愛想笑いをしているだけだ。
「竹を編み直せば使えるかも知れねェが、長くはもたねェよ」「だったらあの客に割増のオアシ(料金)を言えばよかったな」金の話になってマッサミが口を出した。どうもこれが2人の役割分担のようだ。
「どっちにしろ車屋の手には負えねェよ」「それじゃあ、空駕籠で帰らねェといけねえんかい。商売あがったりだァ」マッサキが文句を言うと、その客を拾ったらしいマッサミは困った顔をしてトモ造を見たが、この時代、まだ人力車はなかった。

その年の冬は寒さとの戦いであった。ケイが作った綿入れを着込み、荷車を作る時の削り屑や切れ端を囲炉裏でドンドン燃やしても寒さには勝てない。あとは酒を飲んでケイと布団にもぐりこむだけだ。
そう言えば木村屋の広三郎は、トモ造に卸す材料を加工する時に出る削り屑や切れ端を燃料として売り、儲けているらしい。
広三郎は中里村の農家の3男だが、一生兄の小作人で終わることが我慢できず弘前に丁稚に出て、店主に見いだされて養子になり、その店主が急な病で視力を失って隠居し木村屋を継いだと言う。本当は広三(ヒロゾウ)と言う名だったが、養子になって広三郎と名乗ったとのことだ。
その先代店主・タツ次郎は店を広三郎に任せきりにして、今は按摩と鍼灸で小遣い稼ぎをしながら、津軽三味線の師匠もしている。
広三郎は冬になる前にも「材料を提供するから藩へ納める以外の荷車を売らせてくれないか」と商談を持ちかけてきた。どうやら深浦や青森の北前船の寄港地で積荷の運搬用に売り込むつもりらしい。
しかし、トモ造1人では藩に納める台数を揃えるのに手一杯でそれどころではなかった。広三郎は条件を色々並べてきたが人手不足は何ともならない。
ただ、ケイだけは他の車屋も同じ物を作りだした時のことを考え、「無下に断らないで話は聞け」と言っていた。全く有り難い、出来過ぎた女房である。

一方、ゲン希は冬の間、海岸の植林の仕事はないものの弘前城下に戻っても住む家がなく(トモ造はケイと所帯を持ったので遠慮した)、木造の村の人足寄せ場で村の娘からもらった防寒着を着こみ、馬の面倒と馬ソリの練習に励んでいた。
「ゲンさん、馬はよォ、あまりすばれる(しばれる)と動かなくなっちまうんだよォ」その日も練習に出ようとするゲン希に津軽の者が助言してくれた。
江戸や横浜では新入りは雑用まで押し付けれたが、津軽の人たちは遠方から来て懸命に働くゲン希を大切にしてくれ、だから初めての冬も何とか生きていられるのだ。
「んだかァ」ゲン希はそう返事をしたが、今朝の雪掻きで外に出た時には雪が止んで天気が良く、絶好の練習日和に見えた。ゲン希は人足たちの飯を食べた後、馬小屋に向った。
馬小屋では馬たちは当番が与えた干し草を食べている。ゲン希の姿を見て一番年寄りの馬が顔を上げ、手に握っていた塩を与えると大きな舌で舐めた。
「オメェも閉じ込められてばかりじゃあつまらないよなァ、オイラの稽古につき合ってくれよ」そう言ってゲン希は馬の顎を撫で、顎に革の紐をはめて外に連れ出しソリにつないだ。そして、ソリに乗って馬を進ませた。この時代、日本では馬の蹄に打ち込む金属製の馬蹄はなく草鞋(わらじ)をはかせている。このため現在のような「パカッパカッ」と言う高い音はしないのだ。
しばらく走って木造の集落を出た時、急に海風が吹き始め、地吹雪が起きて視界が失くなった。地吹雪とは空から降ってくる雪ではなく、地面に降った雪が低音のため固まらず粉雪状態のまま積り、風に吹き上げられて発生する。したがって空に雲がなくても風が吹けば起こり、忽ちのうちに視界を喪失して動けなくなってしまうのだ。
ゲン希はソリを下りて紐を手繰りながら馬に近づいたが、ソリから馬までの一間(180センチ)も見えないほどこの地吹雪は激しかった。履いている雪靴にも地吹雪は入り込み、綿入れの上に羽織った鹿の毛皮の中にも雪が入り、急激に体温が奪われていく。ちなみに毛皮は熊などの冬眠をする獣よりも、鹿や犬などの方が毛の密度や皮の質などの断熱性が高いと言われている
これより少し前、蝦夷地(北海道)を探検した幕府の役人も上級の者は大きな「熊の毛皮」の羽織を喜び、下級の者は犬の革をつないで作った羽織を着ていたが、厳寒の中では犬の革の方が優れていることを思い知ったと言う。
津軽の馬は下北の寒立馬(かんだちめ)同様に寒さに離れているのか地吹雪の中でじっと立っている。ゲン希は馬の影で地吹雪を避けながら寒さに耐えていた。馬の体で温もるつもりだったが、地吹雪に晒されてはそれも感じない。
「オイラ、このまま死んじまうのかなァ・・・おっかァ」ゲン希がこぼした涙も頬で凍りついた。口の周りも鼻水やよだれがツララになっている。
そんな時、「ブフフフン」と地吹雪の中で馬が大きく身震いをした。すると不思議なことに風も止み、地吹雪も収まって青空が見えた。

冬の間、トモ造は狭い仕事場で場所を取らない車輪作りに励んでいた。秋まではトモ造のところへ江戸式の大八車作りを習いに来ていた他の車屋はこの季節になるとソリ作りに移っている。ある日、トモ造は訪ねて来た広三郎に言ってみた。
「オイラもソリ作りを習おうかなァ」「ソリ?そんなのは津軽の職人に任せでおげ」しかし、トモ造の荷車もそのうちみんなが作るようになる。そうなった後は津軽の車屋として生きていかなければならない。そのためには必要な技術だと思っていた。
「親方は荷車を改良、工夫していけばいいんだよ」「オイラはその工夫ってのが苦手でね」そう答えてトモ造は自嘲気味に笑った。
確かにトモ造は言われたことをキチンとこなすのは得意だが、色々な研究工夫で試行錯誤、することに向いた気質ではない。その意味では広三郎の期待には応えられそうもなかった。
「ふーん、ワシも手先が器用ならドンドン新しい車を作って売りまくるけどなァ」そう言って広三郎は自分の両手を悔しそうに見た。
「アンタも千手観音様の手を1本借りなッせ」その時、ケイが湯と漬物を持ってきて、トモ造から聞いているテンジンの話を語った。
「それって売っとるんかァ?」しかし、広三郎の頭の中は商売だけのようだ。

雪を照らす太陽の日差しが眩しくなってきた候、ケイが裏庭から声をかけてきた。
「お前さん、福寿草が咲いてるだァ」「フクジュソー?」トモ造は聞いたことがある名前だが何のことか思い出せず悩みながら勝手口から裏庭に出ると裏庭の雪が解けたところでケイがしゃがんでいた。
「ほら、お前さん、これが福寿草だァ」ケイが伸ばした指先に雪の間から小さな黄色い花が咲いているのが見える。それでトモ造はケイと一緒に江戸の亀戸天神へ梅を見に行った時の・・・初めて口吸いをした日のことを思い出した。
「ふーん、これが福寿草かァ、タンポポよりも輝くような黄色だなァ」トモ造の珍しく詩的な表現にケイを呆気にとられた顔をしたが、もう一度、愛おしそうに福寿草を眺め2人並んでしゃがんだ。
「福寿草が咲いたら春はもうすぐそこだァ、ウッ・・・・ゲェゲーッ」その時、ケイが突然、口を押さえ庭の隅に行き少し戻した。
「寒さが障るんだよ。家に引っ込めェ」「んだァ、やっぱスバレタだァ」トモ造はケイを気遣って家の中に押し込むと、ケイが取りにきた軒の吊るし大根を持って家に入った。

福寿草が咲いた後、トモ造が平賀の母を訪ねると村にエンブリ烏帽子が来ていた。
これは北奥州に伝わる雪解けと豊作を祈る祭りで、独特のお囃子に合わせてきらびやかで大きな烏帽子をかぶった男が烏帽子で地を祓うように首を振って踊る。南部領の八戸辺りが本場らしいが、この時期には北奥羽各地を踊って巡るらしい。村人たちは真剣な顔で飢饉からの復興と今年の豊作を祈っていた。
エンブリが次の村に向うと母はトモ造を家に招き入れた。
「昔、トッチャが生きていた頃はエンブリはウチに泊ったんだよォ」それは庄屋を勤めていた頃の話だろう。関東以西では芸能を生業とする者は「非人」として人間のウチに入れられず、一般の人と一緒に泊ることは許されていないが、エンブリ烏帽子に限らず奥羽では祭事と芸能の区分が曖昧で、芸人も神に仕える者と位置づけられ、少なくとも人間として扱われていた。
「ところでケイは今日は来ねえだが?」「ケイにヤヤコが出来ました」トモ造の言葉に母は一瞬固まった後、囲炉裏の鍋から湯をすくって茶碗に注ぎ勧めた。
「でも、トッチャがあんなことになって・・・」母はまだ不安なようだった。
「大丈夫でェ、藩御重役の河合様も祝ってくれてるだよ」最近、トモ造は江戸弁と津軽訛りが混じるようになった。
先日、急に仕事場に立ち寄った河合正衛門はケイが身籠ったことを聞くと祝儀として手持ちの金子(きんす)を包んでくれたのだ。
河合としてはトモ造とケイが所帯を持った縁を取り持ったこともあり、特に目をかけてくれている。しかし、母はトモ造の返事にもまだ固い表情のままだ。
夫が村人を守るために為したことが死に値する罪であることは判っていたが、それを止めることはできなかった。だから母は罪人の妻として息をひそめて生きていくことは覚悟の上なのだ。トモ造はこの重苦しい空気に堪えられなくなって話題を変えた。
「オッカさん」「なんだァ」「トッチャの地蔵さんに小屋を建てようと思うんだがよ」「小屋?」「冬は地蔵さんの上に雪が積もって吹きっさらしだ。小屋に入れるべェ」トモ造の説明にも母は何かを考え込んでいた。
「トモさん、ナは案外と馬鹿だねェ。それを言うなら祠(ほこら)だァ」トモ造としてはケイの腹に宿った子供の無事を父に願う意味もあったが、母の指摘で話しに変なオチがついてしまった。

春が来て街道の雪が解けた頃、尾野のタツが最初の飛脚に出た。トモ造は作事奉行所に出入りするタツと知り合い、今回は江戸への便りを頼むことにした。
本来であれば飛脚は道中の宿泊費や食費に儲けを上乗せした高額の代金を請求されるのだが、これは河合の好意で藩の書状に紛れさせることにされ無料だった。
「父ちゃん、母ちゃん、元気かい。俺は元気でェ。仕事にも励んでる。そう言えばケイが身籠ったぜ。初孫だろう。トモ造」筆不精のトモ造にしては長文の手紙だった。
ケイは冬に布団で温まり合ううちに身籠ったが、その理由はよく判らない(ワケガナイ)。
この子は江戸の両親だけでなく津軽の母にも初孫になる。トモ造は江戸と津軽と言う距離を越えて結ばれた自分とケイの縁の不思議さを噛み締めながら新しい命を尚更愛おしく思っていた。
しかし、トモ造は「津軽弁では赤ん坊は何て泣くのだろうか?」などと馬鹿なことも考えていたが・・・。

次の月、タツが江戸から戻ってきた。タツは江戸からトモ造の両親とキヨ助親方の便りを預かってきた。
「トモ造、職人の仕事はお天道さんとお足(収入)は何処へでもついてくる。父」父はトモ造以上の筆不精なのだ。
「トモ造、元気かい。母ちゃんは毎日、近所の神社でトモ造の無事を祈っているよ。キヨ助親方がアンタの手紙を届けながら『飛脚が津軽へ帰る前に寄るから手紙を書け』と言ってくれました。無理をするんじゃないよ。早く帰って来て顔を見せておくれ。母ちゃん」「母ちゃん・・・グスンッ」母の手紙を読んでトモ造は思わず泣いてしまった。
それを見ながらケイは「ワは江戸にいる時、オッカァが心配だったども泣きはしなかっただヨ」と呆れて、「カッチャッ子のトモ造」とからかった。
ところでキヨ助親方からの手紙には気になることが書いてあった。それは風紀の取り締まりを強化している幕府は江戸に住みついている無宿人を探し出して強制的に国元へ戻す「人返し」を始め、最初は無職の風来坊だけだったのが次第に過去にさかのぼってになり、江戸で仕事を始めている者も対象になり始めている。
さらに飢饉で行くあてのない者などは石川島(現在の中央区佃)に作られた人足寄せ場に入れられて3年ほど仕事を教えられているらしい。
「俺は若い頃、津軽から出てきたんだ。俺がそっちへ帰るからお前が江戸で車屋をやれ」と書いてあった。考えてみればあのマサ吉も上州からの無宿人になる。
結局、母と親方の手紙はトモ造に江戸へ戻るように誘うモノになっていた。

ゲン希は木造の村で気になっている家があった。それは舘岡の集落から少し離れた森の中にある一軒家で、はじめは炭焼き小屋かと思っていたのだが、その割に屋敷がしっかりしている(浜育ちのゲン希には炭焼き小屋がよく判っていない)。雪は溶けたもののまだ植林の仕事が始まる前の休みにゲン希は思い切って訪ねてみた。
その家の玄関には「識蘆庵」と言う看板が掛けてあった。
「難しくて読めねェじゃん?」ゲン希は網元の2男の嗜みとして母親から「読み書き算盤」を習ったが、漢字はあまり得意ではなかった。ただ、寺や店でもないのに看板が掛けてあることに益々興味が湧いた。
「お晩でがんす」まだ昼間だったが地元の人たちがあらたまった時に口にしている挨拶で声をかけてみた。しかし、返事はない。
「お晩でがんす」もう一度、さらに大きな声で繰り返すと中から「はーい」と返事が返ってきて、田舎にしては品の良い中年の女性が出てきた。
「だだば(誰だ)?」「おいらは浜に松を植える仕事をやってるゲン希って言うモン(者)です」「アンタは津軽モンじゃねえべ?」その女性はゲン希の顔を見ながら訊いてきた。
「へい、武蔵の横浜の出でやんす(横浜でも瀬谷区、戸塚区、泉区、栄区、港南区の一部は相模)」「そいで何の用だべか?」女性はゲン希の返事にうなづきながら検めて顔を見た。
「浜まで松の苗を運びながら通ると時々裏で煙が上がっているんで、何の仕事をしている家かと思いやして」「ウチの人が焼き物をこさえてるんだァ」「焼き物?」「せば(失礼)」
呆気に取られているゲン希を置いて、女性=女房は忙しそうに奥へ引っ込んでしまった。
しかたないのでゲン希は「お邪魔します」と声を掛けて裏に回って見ると、そこには土を塗り固めたような小山の上に屋根を掛けた窯があり、その前で大柄な中年の男性が割った薪を片手に持ちながら座って炎を見つめている。
ゲン希はその数歩後ろまで近づいたが男性の身体が窯の炎と一緒に燃え上がっているかのように感じ声がかけられなかった。
その時、冷たい風が吹きゲン希が身を縮めると、その男性が大きなクシャミをした。
「あの・・・」おそるおそる声を掛けるとその男性が前を向いたまま「だだば?」と返事をする。ゲン希は先ほど女房にしたように自己紹介をした。
「今、手が離せねェんだ。悪いがけえッてくれ」男性は「手が離せない」と言ったが「目が離せない」の間違いではないかと思いつつゲン希は「出直してきやす」と告げて人足寄せ場に戻ることにした。

翌日、ゲン希が出直してみると識蘆庵の前で先日の女性=女房が木箱を裏に運んでいた。
「お晩でがんす」「あれェ、昨日の横浜の若い衆じゃあねェけ」女房は両手に木箱を抱えたまま立ち止まると微笑みかけた。
「手伝います」「せば、あの箱を運んでけろ」女房は視線で仕事を指示すると裏へ向かって歩き出した。
ゲン希も両手に木箱を抱えて運んで行くと裏手の窯では昨日の男性=識蘆庵が窯から焼きあがった器を出している。
それは茶椀や瓶、徳利など色々な食器だが、この辺りの庶民が使っている須恵器のような素焼きではなく、燃える炎のような模様が彫られ、赤い釉薬がかかっていた。
識蘆庵はそれを1つ1つ手に取って確認すると次々と足許の石に叩きつけて割っている。
「ああ、勿体ない」思わず声を上げたゲン希に男性は「おう、昨日は失礼しただな」とだけ声を掛け、次の器を手に取った。
「うむ・・・これならいいな」「うん、いいだね」識蘆庵と女房は器を見ながらうなづき合った。そして識蘆庵が手渡した器を女房は紙に包んで箱に入れた。

窯出しが一段落したところで女房が出した白湯を飲みながら話をした。
「庵主さんの焼き物は綺麗ですね」「庵主さん?」「ここの御主人でしょう」「ああ、それで庵の主だべか・・・」「それじゃあ、坊さんみたいだなァ」「うん、ワシはただの焼き物屋だ」識蘆庵と女房はゲン希の質問とは別の問題を話し合っている。
「それでここの名前は何て読むんで?」「ここか?シキロアンだ」「シキロアン?難しい名前でんな」「ワシが昔、世話になった美濃の禅寺でもらった名前なんだ」「美濃ですかい?」
「うん、近江の信楽、丹波に越前、備前、それに尾張の瀬戸、常滑を六古窯って言うんだ。ワシはナ(汝)ぐらいの頃、それを巡って修業してきたんだ」ゲン希は識蘆庵の焼き物がただの生活雑器ではない理由が判った。何よりも言葉に津軽訛りが薄いことも納得した。
「この模様は・・・?」「この辺りでも彫った柄(絵紋線)がある黒い壷が掘り出されることがあるんだ。それに倣ってみたんだ」「それでこれは殿様がお買い上げになるんで?」「いや、北前船に乗せてあちこちで売ってもらってるんだ」「この人が描く模様は見ていて落ちつくって人と力が湧いてくるって人がいるんだ」識蘆庵の説明に女房が補足した。そう言われて見直すと不思議に心の中で炎が立ち上ってくるような気がした。
「さて、木村屋さんが受け取りに来る前に運ぶべ」「木村屋さん?」ゲン希はその名前をトモ蔵のところで聞いたような気がした。
「木村屋さんはお城下ではやり手の大店だから名前くらいは知ってるべ」「へい」そう返事をしながらゲン希も器を詰めた木箱を持ち上げたが、すると意外なほど軽かった。
「軽いでやんすね。こんなに焼き物が詰まっている割には」「好い器は軽いんだ。腕の良い職人が作れば土が薄くても壊れない器に仕上がるベ」「なるほど・・・」ゲン希は感心と納得しながら箱を運んだが、識蘆庵夫婦は丁寧な仕事ぶりを見て何かを話し合っていた。

ある日、トモ造の作業場に知らない若者がやってきた。
その若者は「松前(北海道)から来た」と言った以外、名も名乗らず、黙ってトモ造の仕事をのぞいていたが、「これが江戸の車かァ。噂通りだな・・・」と呟いた。
その言葉で若者が松前でトモ造の江戸式の荷車の評判を聞いて訪ねてきたのが判った。
「ならば正直に言って弟子入りすればいい。こっちも人出が欲しいんでェ」とトモ造が声をかける前に、若者は「やっぱり板前の方がいい」と言って出て行ってしまった。

その年はケイの腹がおおきくなってネプタで一緒に跳ねることもできず、広三郎が納める板と材で荷車を作り、藩に納めるだけの単調な日々が続いていた。
広三郎は藩の仕事の現場へも出向き、色々な人夫たちの要望も聞いてくるが、荷台に枠をつけて苗木が滑り落ちないようにするくらいしかトモ造にできることはなかった。
そしてケイが心配した通り、地元の車屋もトモ造と同じような荷車を作り納めるようになって次第に仕事は減っている。
そんな初冬、ケイが女の子を生んだ。雪が舞い散る候だったので「マイ」と名づけた。
しかし、ケイの母は弘前城下に入ることを遠慮していて孫との対面ができない。
トモ造はそんな生真面目な母が歯痒かったが、キヨ助親方の手紙に書いてあった江戸で吹き荒れている風紀の取り締まりを思えば、それはワガママだと納得した。

ゲン希も木造の現場で新しい車がトモ造の手でないことに気がついていた。
造り(構造)は同じでも、鉋のかけ方や角を丸く削ってあることなどトモ造の仕事は細かい点まで行き届いているのだ。
先日、車の調子を尋ねてきた木村屋の広三郎と言う商人(あきんど)も「親方の車はどこかに名前を入れておかねばなァ」と言っていたが人足の多くは文字が読めず、それはトモ造の宣伝と言うよりも木村屋の品質保証のためらしい。
広三郎からトモ造の様子を聞き、ゲン希は無性に会いたくなった。
「親方はオイラを覚えてくれてっかなァ?たまには会いに行きてェぜ」
ゲン希は弘前城下の方向にそびえる雪化粧した岩木山に向かって頭を下げた。

トモ造とケイの家は作業場の奥の一間なので、冬に締め切ると金槌の音が家中に響きマイが寝なくて困ってしまった。
かと言って地吹雪の中をケイが連れだす訳にもいかず、金槌を使うのはマイがおきている間にしたいが仕事の流れでそうは問屋が卸さない。
「トントン、オギャーッ」「カンカン、オギャーッ」「トントン、カンカン、オギャーッ」これが日中に津軽車清で響き渡る大音声であったが、その分、昼飯で静かな時と夕方から朝まではよく眠り夜泣きもしない。つまり眠れる時に眠る赤ん坊なのだ。
やがてマイは金槌の音ぐらいでは動じない肝の据わった娘になってしまった。
「やっぱり職人の娘だァ。金槌の音が子守唄だよ」ケイはそう言うが、この図太さはケイに似たのかも知れないとトモ造は思っていた。

春になって梅、桃、桜の3つの春が咲き揃った候、トモ造は家族で花見に出かけた。
禅林街の寺の境内には、それぞれの花が植えられ咲き競っている。本当は1番奥の長勝寺の広い庭園なら3つの春が揃っているのだが、藩主の菩提寺なので庶民の参拝は許されていない。
「オラは梅が好きだァ」桜を目当てに出掛けたはずなのにケイは梅の花を見上げながら呟いた。3つの春の中でやはり梅が最も早く沢山の花が咲いている。
「梅が?梅は地味じゃねェか」トモ造の返事にケイは少し怒った顔をして膨れた。
「だってェ、お前さんと花見したのは梅が最初だ。それにあん時・・・・」ケイの言葉で鈍感なトモ造の胸にも「初口吸い(=ファーストキス)」の思い出が甦ってきた。
「梅かァ。そう言えばその髪じゃあ、櫛は差せないよな」島田髷を止め、首筋でまとめているだけの髪では櫛が固定できないのだ。
「うん、だからお守りにいつも持ってるだァ」ケイはそう言うと懐からあの日、トモ造が買った朱塗りの櫛を出して見せると抱いたマイの髪を梳かし、マイは嬉しそうに笑った。その笑顔はトモ造似だ。
「それじゃあ、ここで弁当を広げるか?」そう言ってトモ造が手に下げた風呂敷を見せるとケイは首を振った。
「先ずは桃と桜も見てからだァ。弁当食ったら酒も飲むんだべ」確かに風呂敷の中には2合徳利も入っている。飲んで歩きまわるのは大変そうだ。
そこで次の寺にむかうとそこは桃、その次は桜だった。
「やっぱり桜は賑やかだァ」「うりぁあ、車清の親方ァ」トモ造がケイと話していると、いきなりゴザを敷いて花見の宴を始めている一団に声を掛けられた。

「ありゃ、木村屋さん」「毎度、お世話になっています」それは木村屋で、今日は先代夫婦に奉公人も一緒に来ているようだった。
席の真ん中で三味線を弾いているのが先代のタツ次郎だろう。タツ次郎の三味線の腕は玄人裸足で、トモ造は音色を聞きながら宴席に呼ばれている芸人かと思っていたのだ。
「一緒にどうだべ」タツ次郎の妻は人懐こい笑顔でトモ造とケイを手招きした。
「でも、子供がいますから」「ワラス(童子)は乳だべ。トッチャは酒を飲めばいいだ」妻は強引に誘うと奉公人に席を開けるように指示した。
「んだば」トモ造はケイの顔を見て一緒にゴザに上がった。腰を下すと手回しよく取り皿と盃が回ってくる。隣りで番頭らしいが中年男が酒を注いだ。
「親方の車、仕事に手抜きがねェって評判ですよ。やっぱ江戸の職人の仕事だっでェ」番頭はすでに酒が入っているのか、少し呂律が回らない口調で話してくる。
「職人の仕事は千手観音さんの・・・」「手を1本借りてるんだべ」トモ造が言おうとした台詞を番頭が先に返した。どうやら広三郎が店で話したらしい。
トモ造が探すとケイは先代の妻の影に隠れてマイに乳をやり始めていた。
その横で目が見えないタツ次郎が緩やかなテンポの三味線を弾いている。それは子守唄代わりの曲調だった。
「あれはジョンガラでなくてネンネコ節だァ」番頭の説明にトモ造は納得した。

マイがハイハイを始めた夏、藩主・津軽信明公が30歳の若さで逝去された。
一部には毒殺の噂も流れるほどの急死だったが、天明の大飢饉で領民を多数失ったことの心労やその後の半農藩士策(希望する藩士に荒廃した田畑を耕作させた)などの藩政改革で苦心され身心ともに疲れておられたのだと家臣、領民は死を悼んでいた。
信明公には世継(子供)がなく末期養子(まつごようし=死の直前に養子縁組すること)で黒石支藩藩主の寧親(やすちか)公が9代藩主になった。
弘前城下では黒石支藩の側近が乗り込んできて代々藩主に仕えてきた重臣たちは隠居させられると言う噂で持ち切りだったが、職人に過ぎないトモ造には世間話に過ぎなかった。
そんなある日、木村屋の広三郎が顔を出した。
「親方も大変だねェ」ケイが出した漬物で湯を飲むと広三郎が切り出した。
「ヘッ?」横でケイも驚いた顔をする。トモ造にとってお城の中のことは自分のような庶民には関わりのないことだと思っていたのだ。
「親方は先代様のお声がかりで弘前城下で仕事を始めたんだべ。おまけに河合様のお力添えがあればこそやってこれたんだァ。だから作事奉行所の役人たちも遠慮していただ。その後ろ盾がなくなったら今までのようにはいがねェよ」広三郎の分析は流石だった。
荷車を納めるにも作事奉行所の役人たちは江戸屋敷の高野忠兵衛のような難癖をつけることもなく好意的に対応してくれている。
これも藩主とその側近・河合正衛門の存在があったればこそと言われればその通りだ。
トモ造は自分の力で全てを取り仕切っていると思っていたことが自惚れ、慢心だったと言うことを思い知らされた。
落ち込んでいるトモ造の横からケイが広三郎に訊いた。
「そんで、木村屋さんはどうするのす」「ワは取りあえず黒石とも取引があるから大丈夫だども、すばらくは様子見をせねばなんねェべ」このあたりの呼吸が広三郎の身上である。
焦って黒石支藩に売り込みに走れば弘前城下での信用を失い、長い目で見れば損する面も大きいのだろう。トモ造とケイは顔を見合わせて感心した。
トモ造は藩主の交代と言うエライ人たちの動きが職人として生きていることに意外な影響を与えることに驚きながら何をすべきか考えたが判らないので止めた。

その年、最後の飛脚で尾野のタツがキヨ助親方の手紙を持ってきた。
江戸では「鬼平」と呼ばれる関八州火盗検め(かんはっしゅうかとうあらため)の長谷川平蔵が情け容赦ない取り締まりを始めており、キヨ助とマサ吉の2人が無宿人であったことが知られそうであること。春には家族とマサ吉を連れて津軽へ戻り、江戸の車清はトモ造に譲りたいこと。トモ造の両親もそれを望んでいることなどが書かれていた。
しかし、タツは「江戸は役人ばかりが威張っていて、昔は江戸へ出るのが楽しみだったけれど、今は遊びもできない」と言ってトモ造の気分を滅入らせた。

冬、トモ造はマイの成長を楽しみながらも江戸へ戻る件をケイと話し合った。
「オラはお前さんの女房だ。お前さんのそばがオラとマイの居場所だ」ケイの返事にトモ造は自分の判断が家族三人の行く末を決めることになることを思った。
トモ造は燗をつけた酒を茶碗で飲み、ケイは行燈の明かりでマイの寝顔を見ている。外からは吹雪が戸を叩く音が聞えてくる。しばらく静かな時を過ごした後、ケイが思い切った顔でトモ造を見た。
「1つお願いがあるだ」「うん?」「今度はオッカァを一緒に連れて行きてェだよ」「オッカさんを?」これはトモ造は思ってもいないことだった。確かに今度江戸へ戻れば津軽へは帰ってこられないだろう。老いていく母を1人で残すことは1人娘のケイには出来ないことだ。
「オッカァは江戸は初めてだども、あっちは雪は降らねェし大丈夫だよ」「うん・・・わかった。オッカァには雪間を見て俺っちが話に行く」トモ造は母の素朴で生真面目な気質が江戸で通用するか考えてみたが、ケイの目がその答えを決めさせた。

雪が止み、青空が広がった日、トモ造は平賀まで出掛けた。笠をかぶり綿入れを着込んで藁靴とカンジキを履いての道中だったが流石に凍えきった。
「オッカァ、オイラだ、トモ造だァ。開けてくれェ」トモ造が雪を掻き分けて辿り着いた母の家はシッカリ戸締りがしてあり、半分雪に埋もれている。トモ造は必死になって戸を叩いて声をかけた。
「だだばァ、トモ造さんの名を語るのはァ」家の中から母の声がしたが簡単に戸は開けてもらえなかった。
「トモ造だァ、用があってきただァ」そう言いながら手で必死になって雪を掘るとやがて母が戸を開けた。
「あんれェ、トモ造さん。雪童子(わらし)かと思っただヨ」雪童子と言うのは雪の日に現れ悪戯をして人間を凍死させると言う妖怪で、それを避けるために簡単には戸を開けないのだ。
「凍えたべェ、火に当れ」雪を掻いて汗をかいたトモ造に母は囲炉裏端で火に当ることを勧める。確かに体を動かすのを止めると急に冷えてきた。
火に当り、湯を飲みながら江戸行きの話をすると「ワも江戸へ・・・足手まといになるだよ」と言って母はしばらく考え込んだ。
「あっちじゃ、住む家もねェし・・・」確かにトモ造家族はキヨ助親方の家に住むとしても、母が一緒となるとやや狭いだろう。
「江戸は弘前よりも大きな街だから家くらいすぐに見つかるよォ。でェてェ、こっちに一人で置いとくとケイもオイラも心配ェなんでェ」このトモ造の言葉で母の気持ちは決まったようだ。
「そだば、お世話になるべェ」そう言って母は床に両手をついた。

春一番の尾野のタツ便でトモ造はキヨ助親方に手紙を送った。
「弘前は殿様が急にお隠れになって大変なことになっています。作事奉行様やお役人たちも数多く交代されました。親方の家は木村屋の広三郎さんに頼んで見つけました」中里村出身の広三郎はキヨ助親方の名前と江戸へ出た経緯を聞いて金木村にそんな話があると言っていた。
また、河合正衛門も藩主側用人の職を辞して、飢饉で大きな被害を受けた十三湊(とさみなと)の代官になり、自ら半農藩士として田畑を耕していると言う。ただ、荒廃した農地の復興に大きな成果を上げた半農藩士の制度も、武士の誇りにこだわる守旧派の反発が強く、藩主・信明公が亡き後も継続されるかは不明なのだ。
タツはキヨ助親方の手紙も持ち帰った。
「トモ造、家を見つけてくれて有り難う。こっちも大変だ。でもオメェは江戸っ子だから里帰りだろう。俺たちは(津軽の)殿様が国に戻られる前に出発する」新藩主・寧親公は現在、江戸在勤中で公儀(幕府)の任命を受けてから国元に戻るらしい。その前に来て足場を固めておこうと言う親方の考えだった。
トモ造は道具をどうしようかと迷ったが、侍の刀同様に職人の命とも言える道具を江戸へ持って帰ることを決め、それを運ぶための小さ目の荷車を作った。

「津軽の桜を待っていると江戸へ着く頃には暑くなるから」とトモ造、ケイ、マイは早春に弘前を旅立ち、3年の生活で馴染んだ近所の人たちが総出で見送ってくれた。
ケイには故郷との別離のはずだが意外に落ち着いて、むしろ見送りの人と談笑している。
その横で木村屋の広三郎が平べったい箱を差し出した。
「これはつまらねェ物だども・・・」木の箱の蓋を開けると、それは津軽塗の盆だった。
「津軽者のおケイさんも江戸に行げばもう帰ってこられねェべ。これならいつまでも使えるから思い出してけれ」トモ造は盗まれないようにこの箱を荷車の道具の影に隠した。
「広三郎さん、お世話になりやした」「ヒロゾウでいいべ。同い歳の親方と一緒に仕事するのはワも楽しかっただよ」トモ造は広三郎の見事な商才には学ぶことが多かった。それが江戸で自分の車屋を切り盛りするのに必ず役に立つと思っている。
すると広三郎の後ろから見覚えのある若者が顔を出した。
「ありゃ、オメェは?」「さいです。ゲン希でやんす」それは江戸から津軽に向かう道中で知り合った中間のゲン希だった。
「どうして・・・」「アッシは木村屋さんに雇ってもらいやした」「ゲン希の車引きは乱暴じゃないんで商品を運ぶのに向いてるだ。知り合いの焼き物屋から紹介を受けて、河合様にお願いしてウチで雇うことにしたんだァ」言われてみるとゲン希も木村屋の羽織りを着ている。
3年ぶりに会ったゲン希は身体は逞しくなっているが、目はあの頃の素直なままだった。
「そいつはありがてェ、コイツはオイラの弟分みてェなもんだ。よろしく頼みます」「そうかァ、ゲン希も親方ゆずりの江戸前の仕事かァ。それなら安心だ」広三郎の言葉にゲン希も嬉しそうにうなづいた。
「それじゃあ」「せば」「せば」トモ造一家が見送りの人々が声を交わして出発しようとした時、木村屋の先代・タツ次郎が軽快な三味線を弾き始めた。
その横で妻のキョウが合の手を入れている。トモ造一家は津軽三味線に送られて弘前を後にした。

この日で引き払う平賀の家から4人で父の地蔵に参った。
トモ造が建てた祠の中でケイに似た丸顔の地蔵さんは黙って別れを告げている。
「オットゥ、連れて行ってやれなくてすまねェな・・・だどもこれでオラも罪人の女房から普通の暮らしに戻れるだァ」そう話しかけながら母は地蔵の顔を手で撫でている。
隣りのケイの胸に地蔵が「どさ?」と訊いたので、手を合わせながら「江戸さ」と答えた。
「向こうでまた同じ地蔵さんを彫るだァ」突然のケイの言葉にトモ造は戸惑った。
「テンジンさんは江戸に帰ってるはずだァ、また御精(おしょう)入れをしてもらえばオットゥの魂も来られるべ」ケイの頭の回転はトモ造よりも早いようだ。
江戸へ帰ったならば商売はケイにまかせて、自分は車作りに励むべきかとトモ造は考えた。

そこからは男1人に女3人の家族揃っての旅になる。
トモ造の道具と布団を乗せた荷車に乗せられてマイは嬉しそうに笑ったり、布団にくるまって眠ったりしている。現代なら牽引式キャンピングカーと言うところだろう。ケイと母も話が弾んで妙に楽しい気分になっていた。

碇ヶ関を抜けて南部領に入ると小坂の宿で1泊した。
「ありゃ、弘前の車屋の親方じゃあないけェ」小坂の宿の入り口で馬子に声をかけられたが、それは駕籠かきのマッサキだった。
「オメェはあの時の駕籠かき?」「んだ、今は馬子をやってるだァ」マッサキはそう答えると本来は農耕場らしい馬の顎を撫でた。
「あの時の相棒は?」「マッサミけェ。頼りになんねェんで別れただよ。今はこの馬が相棒だァ」確かに作業場に来た時も仕事のやり取りはマッサキにまかせ、年上のマッサミは横から口をはさむだけだった。
「ふーん、馬子とどっちが儲かるんだい」「このオグリキャップは働きモンだども餌を食うからなァ。儲けは駕籠と変わんねェな」「オグリキャップ?変な名前だなァ」「そうけェ?、『送り客』だべさ」この名前が秋田訛りなのか聞き間違いなのかは判らなかった。
ついでにマッサミは今も駕籠を担いでいるのか訊きたかったが深入りは止めておいた。

道中では旅籠に泊るにも荷車の道具は全部、下ろして部屋へ運ばなければならない。
気を利かして帳場(フロント)で預かってくれる旅籠もたまにはあるが、道具の値打ちは職人しか判らないので仕方ないことだろう。
母とケイとマイと老幼の女3人連れの旅では進行速度は大名行列並みだ。となると旅籠代もそれだけかかる。弘前で蓄えた金はこの道中で使い果たしそうだった。したがって往路に勧められた松島見物は諦めた。

仙台を過ぎた道でトモ造たちは旅の若侍に声をかけられた。
「おう、トモ造親方かァ」「ヘッ?これはお武家様」数歩先に出て振り返った若侍にトモ造は慌てて車を止め、マイを下し、4人で土下座しようとした。これは武士と町人の身分の関係上必ず行われる礼式なのだ。
「ハハハ・・・ワシじゃ」その若侍が笑いながら笠を取ると、それは松木直之進だった。
「ソチたちの出立は知っておったが、えらくノンビリじゃのう」「へい、見た通りの足弱(あしよわ)な女子供連れで」トモ造の説明に松木はうなづいた。
「ワシも河合様の命で江戸へ行くことになった。下屋敷務めだからまた会おうぞ」河合は将来を見込んでいる松木を国元で起るであろう藩主交代の混乱から守るため、当分は藩主不在になる江戸へ送りこんだようだ。
「へい、また車の御注文をいただければ有り難いことです」侍と町人が立ち話しているのを奇異に見て行く旅人たちを気にして、松木は笠を被り、刀と服装を確かめた後、「せばッ」と言って歩き出した。

白石の宿の手前でキヨ助親方一家、マサ吉と出会った。
キヨ助親方も車を作り道具を乗せマサ吉に引かせている。トモ造の道具を欲しがった弘前の車屋も多かったが、売らずに持ってきたことで親方やマサ吉にも面子が立った。
「おう、トモ造、この車はいいぞ、腕を上げたな」親方は道の真ん中でトモ造が引いている車を確かめ褒めてくれる。
トモ造は親方の隣りでマサ吉が欠陥を探すような目で眺め回しているのが気にはなったが、無視して親方と話した。
「へい、有り難うござんす。マサ吉は腕を上げましたかい?」「おう、器用さではオメェ以上の才がある。ただ真面目さではオメェに敵わねェな」キヨ助親方の評価にマサ吉は一瞬喜んだ後、顔を強張らせた。
親方の車に2人分の道具が積んであることを見ると、マサ吉もかなり仕事を任せられるようになっているようだ。それはトモ造自身に比べかなり早いように思った。
以前のトモ造なら仕事の腕で後れを取ることは我慢できなかっただろうが、弘前の仕事で職人は腕の良し悪しだけでなく信用も大切な商売道具なのだと学んできた。キヨ助親方はそんなトモ造の表情を見て、成長の跡を確認したようだった。
「これがオメェらの娘かァ」「へい、マイと言いやす」「ふーん、可哀そうに親父似だな」そう言って親方は悪戯っぽく笑うとマイの頭を撫でる。
「親方の娘さんたちは」「おう、挨拶しねェか」親方に言われて娘2人が出てきて頭を下げたが、こちらも親父似だった。
それから津軽と江戸の様子を情報交換して親方一行と別れた。

約1カ月の旅の末、無事に江戸へ着いた。色白だったケイ、マイもすっかり日に焼けてしまっている。
親方の家は隣りのおカミさんが掃除をしておいてくれていたが、雨戸を開けるとカビ臭いにおいがした。これからここで義母とケイとマイの4人の暮らしが始まるのだ。母とマイには江戸の流儀に馴れていくことからだ。
トモ造自身も仕事をとってくることから始めなければならない。
トモ造が道具を作業場の棚に仕舞っていると母がマイをあやしながら箒で部屋を掃き、ケイが近くの井戸で桶に水を汲んできた。こうしてトモ造一家の江戸での生活が始まった。

翌日、トモ造、ケイ、マイと義母は渡し船で荒川を渡り、実家に帰った。
「けェったぜ」トモ造が土間の戸を開けて大声をかけると家の中では、母は釜戸で昼餉の仕度をしていて、父が上がり端の居間で正座をして何故か眼をつぶっている。
「トモ造」母は駆け寄るとすがりつくようにして息子を確かめ、「おっかさん」とトモ造も言葉にならずに母の顔を見ている。
そんな2人の後ろでケイと義母は「カッチャッ子のトモ造」と笑い合っていた。
息子との感動の再会を終えたトモ造の母とケイ、マイ、義母が挨拶をしていると父が声をかけてきた。
「おい、トモ造は元気けェ?」父は相変わらず眼を固く閉じたままだ。
「元気けェって、お前さんが自分で見なよォ。目の前にいるんだから」母が呆れて返事をすると父は首を振った。
「見られねェ、目を開けられねェ・・・目を開けちまうと涙が・・・涙があふれてしまいそうなんでェ」そう言って父は鼻水をすすった。
「これだもんねェ、マイちゃん、お祖母ちゃんにおいで」母はそう言ってケイの腕からマイを抱き取った。
「マイ?マイもいるのけェ。仕方ねェ、目を開けるぞ」その言葉で気合を入れた父は目を開けた。父の正面には3年ぶりのトモ造が立っている。
「トモ造・・・こいつ動いてるじゃねェか」「当り前だよ、生きてるんだもん」トモ造の横でマイを抱いた母が呆れたように返事をする。
「オメェ、でかくなったなァ。俺よりもでけェだろう」「それは出発前からだよ」これは父が年を取ったからではなく単に照れ隠しなのをトモ造は知っている。
父と母の掛け合い漫才を聞きながらトモ造は江戸に帰ってきたことを噛み締めていた。

  1. 2014/12/17(水) 09:16:40|
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