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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

9月5日・福者・テレサの命日

明日9月5日は福者・テレサ(本名 アグネス・ゴンジャ・ボヤジェ)の命日です。
野僧はキリスト教そのものには違和感を抱いていますが、実践者としてのマザー・テレサには率直に敬意を払っています。その点、プロテスタントの牧師たちは「彼女の慈善活動はカトリックの誤った教える手段に過ぎないから認めない」そうですが。
小庵の壁には福者・テレサの言葉を墨書して貼ってあります。
「愛の反対語は憎しみ? それは違う 愛の反対語は無関心なんです」 
「愛したいと願うなら ゆるしあわねばならない」
「カミを愛する喜びをいつも心に保っていなさい。そしてこの喜びを貴方が出会う全ての人々、なかんずく家族の方と分かち合いなさい」
「Keep the joy of loving God in your heart and share this joY with all you meet especially your family.」心に染みますな。
マザー・テレサはノーベル平和賞を受賞した時、演説にこの言葉を引用しました。
「あなたの平和をもたらす道具として、私をお使い下さい。憎しみのあるところには愛を。不当な扱いのあるところにはゆるしを。分裂のあるところには一致を。(聖フランチェスコの「平和の祈り」)」この言葉の対象がキリスト教者だけでなかったところが福者・テレサの偉いところですが、他のキリスト教者の場合、本音では非キリスト教徒を人間と認めていないようなので眉に唾をつけて訊く必要があるかも知れません(ローマ・カトリックが非キリスト教徒を人間と公式に認めたのはそれほど古い話ではありません)。
「私は決して助けた人を数えたりしません。ただ一人 ひとり そしてまた一人」これも福者・テレサなら良いですが、信者を増やす目標のカウントでは困ります。
それにしても日本人は身体障害者の救済に生涯をかけた「無手の法悦」大石順教尼を忘れて(知らないで?)、どうして福者・テレサばかりを敬うのでしょう。と苦言を申し添えておきます。                    
  1. 2012/09/04(火) 10:45:18|
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