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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月14日・タイタニック号が沈没した。

日本では明治最後の年である45年、第1次世界大戦が始まる2年前の1912年の4月14日にタイタニック号が処女航海の途中で氷山に衝突して沈没し、705人が救助されたものの1500人前後の乗客・乗員が犠牲になりました(現在も未確定)。
「氷山に衝突して沈没した」と言われれば真冬の事故かと思いますが、厳冬期は北極海も凍結するため氷山が流出することはなく、やはり日差しが強くなり、気温が暖かくなって表面の溶けた水が氷の割れ目を浸食するようになってから移動を開始するのでしょう。
タイタニック号はオリンピック号とブリタニック号の姉妹船で、イギリスのホワイト・スター・ラインが所有・運航していました。世界最大の戦艦・大和と比較すると全長はタイタニック号が269・1メートル、大和は263メートル(以降、この順番)、全幅は28・2メートルと38・9メートル、喫水(水面下の船体)は10・4メートルと10・5メートル、総トン数・軍用艦としての基準トン数はタイタニック号が46328トン、大和は64000トン、最高速度は23ノットと27・46ノットでしたから、ほぼ同程度の大きさだったことが判ります。ちなみに昭和20(1945)年4月7日に大和が沈没した時の生存者は276名(269人説もある)、戦死者は2498名とされています。
タイタニック号の沈没事故については1997年公開の映画「タイタニック」や1980年公開の「レイズ・ザ・タイタニック」で詳細に描かれていますから多くは語りませんが、タイタニックも大和同様に「不沈船」の称号=宣伝文句を得ていて、この過信が乗客・乗員の定員に比して救命ボートが絶対数足りなかったことや衝突後の初動対処と退船命令避難誘導が遅れた原因になったようです。
ただ「タイタニック」はアメリカ映画なので、毎度のことながら多くの事実と異なる点があります。例えば映画の中で金持ちの乗客から賄賂を取って救命ボートに乗せ、パニックになった乗客を射殺した1等航海士は、最期まで乗客を救命ボートに乗せるために努力していたと言われます。さらに船底の機関部で浸水してくる海水を必死に汲み出して多くが殉職した機関員たちも職務を放棄して逃げ出したように描いていたのは遺族・関係者などから批判を浴びました。アメリカ映画は日本映画以上に勧善懲悪の単純なストーリーにすることが多く、観客が賞賛するヒーローを際立てるため憎悪する対象を作るため、実在の人物までも平気で極悪非道や強欲利得の悪人俗物、職務を放棄する卑怯者にしてしまいますから要注意です。特に日本人は昔から狙い撃ちで、実際に乗船していた細野正文氏が「他の乗客を押しのけて救命ボートに乗り込んだ」と言う批判が事故直後にヨーロッパから流れてきて、日本では官民を問わず「日本人の恥」と指弾され、鉄道院主事を免職になったのですが、実際は指摘されたのとは別のボートに細野氏は乗っていてイギリス仕立ての紳士服で髭も生やしていたため小柄なヨーロッパ人と間違われたようです。さらに非難された行為があったボートには下働きの中国人が乗っていたようですが、多くの男性が女性を優先して死んだ中、自分が生き残ったことを細野氏は恥じたようです。
  1. 2015/04/13(月) 08:44:11|
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