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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

9月18日・正岡子規忌

1902(明治35)年の明日9月18日は俳人・正岡子規くんの命日です。
子規くんもNHKの「坂の上の雲」で取り上げられていましたが、昨年末の第3部には回想シーン以外は登場しませんでした。
野僧は高校時代、国語の教師から「子規の横顔に似ている」と言われたことがあってその気になり(素直と言うか単純と言うか)、句集を買って読み耽ったことがあり、芭蕉さんの無駄を削ぎ落し研ぎ澄ましたような世界観、蕪村さんのそこに日溜まりを感じさせる温もり、一茶さんの一緒に遊ぶ戯れの味とは違う独特の感性を見て感動しました。
奈良の幹部候補生学校から法隆寺に参るのもワザワザ秋になるのを待って出掛け、途中で買った柿を三門の前でかじっていると、観光客たちが「坊さん(法衣を着ていた)、『柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺』だね。風流だな」と声をかけて行ってくれましたので、子規くんの句の風景になれたようです。 
「虫の音や 踏み分け行くや 野の小道」「卯の花を めがけてきたか 時鳥(ほととぎす)」「名月や どちらを見ても 松ばかり」「紫陽花や きのふの誠 けふの嘘」どの句も単に風景を眺めているのでなく動的かつ主体的で不思議な躍動感があります。
その中で野僧が最も好きなのは、祖先の地・山形県最上の地を詠んだ「ずんずんと 夏を流すや 最上川」です。芭蕉さんの「五月雨を あつめて早し」の句も太陰暦なので夏なのですが、梅雨時の最上川の流れはズンズンの方が合うような気がします。
辞世代わりの糸瓜の句「糸瓜(へちま)さいて 痰のつまりし 佛かな」「痰一斗 糸瓜の水も まにあわず」「おとといも 糸瓜の水を とらざりき」
そして子規が逝った夜、弟子の虚子くんが詠んだ句「子規逝くや 十七日の 月明に」いいですねェ。
  1. 2012/09/17(月) 09:27:07|
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