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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

7月13日・名馬中の名馬・シンザンの命日

平成8(1996)年の明日7月13日に戦後の競馬界に於いて幾多の不滅の記録を打ち立てて戦前のクリフジと並び称せられる名馬中の名馬・シンザンが死にました。
シンザンは昭和36(1961)年の4月2日に北海道の松橋牧場で生まれましたが、野僧も同年生れのため小学校時代の競馬ブームでもシンザンは大人気で特に詳しくなってしまいました。
シンザンは馬主の方針で乳離れして直ぐに広大な牧場に移され、幼馬の頃から成馬が集団で運動しているのに付いて走り回ったことで決して離されないスタミナと執念を身につけたと言われています。何よりもサラブレットとしてはズングリとした洗練されない体型ながら、調子を崩すことがない強健な馬体を持ち、「無事是れ名馬」そのものの馬に成長しました。
こうして昭和38年11月13日に京都競馬場で迎えたデビュー戦で優勝し、それから4連勝を飾りますが、厩舎の責任者は管理していた同年生まれの他の馬の方に期待をして一流の馬との対戦を避け、阪神3歳ステークスにも出場できませんでした。
それでもデビュー以来破竹の4連勝と言う成績が知られるようになると東京でのメジャーデビューが実現し、スプリング・ステークスに出走すると半馬身の僅差ながら優勝を果たしました。こうして迎えた昭和39(1964)年4月19日の皐月賞でも優勝し、以降は同年5月31日の東京優駿=日本ダービー、11月15日の菊花賞のクラシック3冠を制覇します(東京オリンピックの開会式が行われた10月10日にも阪神競馬場ではレースがあり0・1秒差で2着でした。どうやら関西の競馬ファンに国家的イベントは関係ないようです)。
クラシック3冠は現在でもセントライト、シンザン、ミスターシービー、シンボリルドルフ、ナリタブライアン、ディープインパクト、オルフェーヴルの7頭しか達成していません。しかし、シンザンが名馬中の名馬と称賛されるのは、この上を行く記録を達成しているからなのです。
翌昭和40(1965)年に入っても活躍は続き、6月27日の阪神競馬場の宝塚記念で優勝した後、東京競馬場で11月23日の(秋の)天皇賞、12月26日の有馬記念を制覇し、前馬未踏の5冠を達成したのです。
日本の競馬ではこの5レースに桜花賞、春の天皇賞、優駿牝馬を加えて8大競争とされますが、桜花賞と優駿牝馬はメスでなければ出走できず、春の天皇賞は過去に天皇賞で優勝していると出走できない勝ち抜け制であるため、牡馬=オスはこの5冠で全勝と言うことになります。
シンザンのレースはぶっち切りの大勝は少なく、半馬身や1秒未満の僅差のことが多かったようです。このためシンザンの勝ち方は「鉈(なた)の切れ味」と言われたのですが、それでも出場したレースの全てで2位以内の単勝複式の対象になっているのは流石でしょう。
シンザンは極端に脚力が強いため踏み込みが深くなり過ぎて前脚の蹄鉄が後脚の蹄に当たり負傷したそうです。このため後脚には通常の蹄鉄に補強材を加えた特製の「シンザン鉄」を装着するようになりました。しかし、この蹄鉄は通常の2倍以上の重さがあるため並みの競走馬では脚を痛める危険性があったのですが、強健な馬体に生れついていたシンザンはこれにも順応したようです。
引退後は種付け馬となりますが、それまでの外国馬の血統を偏重する風潮に対してシンザン・ブランドを確立するとミホシンザンなど多くの血統を残しました。なお、ミルキーウェイは馬術競技に転向し、ソウル、バルセロナ両オリンピックに出場しました。
そしてこの日、サラブレットの国内最長寿記録と最高齢種付け記録を更新したまま老衰で死にました。死に方まで凄い馬です(この記録は既に破られています)。
  1. 2015/07/12(日) 08:53:31|
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