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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月1日・厳島の戦い

1555(弘治元)年の明日10月1日(ただし太陰暦)は厳島の戦い、つまり陶晴賢殿の命日です。
陶晴賢殿は9月1日の大内義隆公の命日で謀反人として紹介していますが、謀反から4年と1カ月後のこの日に毛利元就公によって討たれています。
この時、元就公は作戦会議で「厳島に上陸されると不利だ」と発言し、それを会議に参加していた陶側の間者(かんじゃ=スパイ)が晴賢殿に伝えたため、真に受けて誘き寄せられたと言われています。つまり元就公はそれ程の重大な会議への出席者まで疑っていた訳で「毛利と言えば謀略」と評される代表例でしょう。
それにしても元就公の酷い所は、厳島は島全体が御神域の結界(けっかい)なので死者の魂魄は出入りすることができず、この戦いで斃れた双方の戦死者は成佛、往生は不可能なことです。
実際、神社の御神域で自殺する人がいますが、どんな葬儀をやっても魂魄は結界から出ることができず、亡霊としてさまよい続けることになっているそうです。
ただ、厳島では昔、住民が島で亡くなると、早急に遺骸を対岸の廿日市まで船で運び、そこで亡くなったモノとして葬儀その他の慰霊行事を行っていたそうですから、大量の戦死者をそのように処置していれば別ですが記録にはありません。
  1. 2012/09/30(日) 09:46:46|
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