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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ245

「どうしたんだい?」「右足にマメができて処置してもらってきました」そう言うと伊藤候補生は爪先立ちで歩み寄って来て月明りでも顔が判るようになると懐中電灯を消した。
「初日に大変だね」「はい、困っちゃいます」「休憩時間には半長靴の紐を緩めて靴下のしわをのばすと良いよ」「そうなんですか?」「そうかァ、WACさんにはその話をしなかったな」前日、トラックに必要資材を積み込む作業をしている時、同期たちにその話をしたが、そこにWACはいなかった。
「罪滅ぼしに明日は少し荷物を持とうか?」私の申し出に伊藤候補生は首を振る。
「いいえ、最後まで頑張ります。私も幹部候補生、ソールジャー(兵士)ですから」月明りに照らされた伊藤候補生はギュッと唇を引き締めて真顔だった。
「そうかァ、かえって失礼したね、ゴメン」「いいえ、嬉しかったです」そう言うと伊藤候補生は「オヤスミナサイ」と言って懐中電灯を点け、歩いて行った。

翌日は徹夜で歩き、最終日の明け方に佐賀県の大野原演習場に到着する。山を下りて人里に入ると歩くには楽だが体力は限界で、小隊でも大学で運動部ではなかった連中がドンドン落伍していく。明け方の冷気に彼らが絶え絶え吐く息が白かった。
朝の早い田舎の年寄りたちは庭先に立ち毎年恒例の行軍を眺め、目が合うと微笑んで会釈してくれる。そんな感激を噛み締めていると前の小隊から非情な声がかかった。
「モリヤァ、寺だぞォ!」ようするにお地蔵さんではなく寺があるからお参りしろと言うことだ。しかし、石の地蔵や観音なら兎も角、寺では何を詠めばいいのか判らない。
私はダッシュしながら考えて、暗記しているお経の中では一番長い般若心経を唱えた。すると境内を掃除していた老齢のお坊さんが合掌して頭を下げ、「南無阿弥陀佛」と唱えてくれた。宗旨が違っていました。アシカラズ。
それにしても長いお経の上、挨拶までしたため追いつくのにエライ目に遭ってしまった。

演習場に到着して状況開始と言うのは「徐州 徐州と人馬は進む」と歩いて前線に赴き、戦った大日本帝国陸軍そのままにこれからが本番と言うことだ。
私は初日にマメを作っていた伊藤候補生が気になっていた。休止地点での健康状態の確認では「異常なし」と答えているが、それでも足を引きずっている。今までは歩きだったが、これからは発進・停止を繰り返すのだ。
「大丈夫か?」「はい、最後ですから」腰を下ろして靴下を換えている伊藤候補生は立っている私を見上げて微笑んだ。しかし、脱いだ靴下のかかとは真っ赤に染まっている。私は「座らない」と言う誓いを忘れて膝をつき、傷を確認してしまった。
それに気づいた伊藤候補生は驚いた顔をしたが目を潤ませて「ありがとうございます」と呟いた。
  1. 2015/10/17(土) 09:21:16|
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