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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月27日・最初に宇宙を経験した人類・ガガーリン大佐が事故死した。

1968年の明日3月27日に宇宙船・ボストーク1号により初めて大気圏外=宇宙を飛行して帰還した人類であるユーリィ・ガガーリン大佐が航空機事故で死亡しました。34歳でした。
ガガーリン中尉(発射時・飛行中に少佐へ特別昇級している)がボストーク1号で宇宙へ旅立ったのは野僧が生まれる直前の1961年4月12日のことなので物心ついた頃には世界的英雄になっており、宇宙飛行士と言えばアメリカのライトスタッフを差し置いてユーリィ・ガガーリンでした。この図式はアメリカが月面着陸に成功してアームストロング船長とオルドリン飛行士が脚光を浴びるまで変わりませんでした。
ガガーリン大佐の伝記は、宇宙開発に於いてアメリカよりも優位に立っていることを誇示するのに利用したソ連政府=共産党によって手を加えられているため真実は判らないのですが、1934年3月9日にモスクワの西でベラルーシとの中間に位置するグジャーツク市(現在はガガーリン市に名前を変えている)郊外で生まれたのは間違いないようです。
ただ「労働者階級出身」と言うことを強調するため本当は腕が立つ大工(=ある程度の富裕層)の3男であるにも関わらず集団農場の農夫の息子にされていました。
7歳の時、スターリンの野望に気づいたヒトラーのナチス・ドイツがソ連へ侵攻を開始するとガガーリン一家も巻き込まれ、兄2人はドイツ軍に拘束され、ポーランドへ連行されています。
その頃、ガガーリン大佐は小学校の低学年でしたが、数学の教師が義勇パイロットとして従軍したことに感動し、自分の夢とするようになったと言われています。
修学を終えると金属工場に就職しますが、やがて夢を実現するため21歳で空軍士官学校へ入校しました。こうしてパイロットとしての腕を磨いている頃、ソ連では宇宙開発が本格化し、アメリカに先んじるため十分な実験も行われないまま有人飛行へ進もうとしていました。
そしてガガーリン中尉も宇宙飛行士候補者に選ばれたのですが、その理由は身長158センチの短躯であったことだと言われています。何故なら当時のソ連のロケットは有人宇宙船を打ち上げるには出力が不十分で、極めて小型であったため乗員も小柄である必要があったからです。
その意味ではボストーク6号で女性のワレンチナ・ヴラディミヴナ・テレシコワさんを試したのも同様の理由だったのかも知れません(テレシコワさんが宇宙でパニックを起こしたため他の女性宇宙飛行士は使わなかった)。
また、2号のゲルマン・ステパノヴッチ・チトフ中尉(後の大将)よりも先にガガーリン中尉が選ばれたのは、顔立ちが整っていて宣伝向きであったためだと言われています。
なお、ガガーリン少佐の名言として日本で紹介されている「地球は青かった」は誤訳に近く、命日のモスクワ放送の番組によれば実際は「青味がかったベールに包まれていた」だったようです。
もう1つ、世界的に有名な「宇宙にカミはいなかった」もロシア正教の総主教とフルシチョフが登場するロシアン・ジョークの摘み食いのようです(総主教に「宇宙ではカミに会わなかった」と言ってたしなめられため、フリシチョフに「カミに会った」と言ってたしなめられる)。
この日の事故は世界的英雄としての宣伝活動が一段落したところで大佐の階級に見合う空軍の部隊指揮官としての能力を練成するため飛行訓練を受けている中で起きました。
練習機仕様の複座式ミグ15に搭乗しての訓練飛行中、何らかの理由で操縦不能に陥り、モスクワ北東に位置するキルジャチ郊外の森林に墜落して死亡したのです。
亡くなったのは1968年だったため、1970年の大阪万博のソ連館では宇宙船を展示した大ホールの壁には巨大な遺影が掲げられていました。
  1. 2016/03/26(土) 09:54:00|
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