fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月25日・戦車伯爵・シュトラハヴィッツ大将の命日

1968年の明日4月25日は第2次世界大戦前のドイツ貴族の士官の中で逸早く戦車に着目し、多くの戦車戦で無類の強さを発揮したため「戦車伯爵」と呼ばれたヒアツィント・グラーフ・シュトラハヴィッツ・フォン・グロース=ツァウヒェ・カミネッツ大将の命日です。この長いフルネームのうちグラーフとは伯爵のことです。
シュトラハヴィッツ大将は1893年に当時はドイツ領だったポーランドとチェコの国境に位置するシレジア州グウォグフのグロース・シュタイン城で生まれました。
成長すると名門貴族の慣例としてベルリンの帝室士官学校へ入校し、卒業後は皇帝の護衛部隊に配属されます。この部隊もまた1740年代から歴代国王の護衛を務めてきた名門中の名門=スーパー・エリートでした(日本で言えば十津川郷士のようなものか?)。
シュトラハヴィッツ伯爵は部隊に配属されてからも勉学と鍛錬に励み、第1次世界大戦によって中止になった1916年のベルリン・オリンピックの選手に決まっていたのです。
第1次世界大戦が始まると西部戦線に配属され、中尉に昇任して第1級鉄十字勲章を受けていますが、開戦半年後にはフランス軍の捕虜になり、その時、軍服を着用していなかったため陸戦規則に違反する重大な不法戦闘行為(=戦争犯罪)として死刑の判決を受けています。
陸戦規則をはじめとする武力紛争関係法では指揮官によって指揮され、武器を公然と携行し、軍服(=服装と言うよりも階級章)を着用していることが戦闘員の要件であり、これに反すれば文民(一般的に言う民間人)が戦闘行為を行ったことになり、文民保護に疑義を生ずるため重大な戦争犯罪として処罰されていました。
しかし、ヨーロッパの名門貴族の人脈は敵味方の別なく広がっており、シュトラハヴィッツ伯爵も減刑されて捕虜収容所に送られています。
終戦後は自分の領地に帰りますが、ドイツ全土で激化していた共産主義運動との闘争に個人参加で加わり軍人としての鬱憤を発散していたようです。
その後はワイマール共和国軍の予備役騎兵士官として過ごしますが、再軍備を党是に掲げるナチス党が政権を握ると陸軍の自動車化・機械化を要求するデモに参加し、ベルサイユ条約を破棄するまでスターリンとの密約によりソ連領内で建設・訓練させていた戦車部隊が帰国するのを待って転属しました。ただし、身分は予備役のままです。
第2次世界大戦が始まると戦車部隊を指揮してポーランド、フランス、バルカン半島を暴れ回り、独ソ戦ではソ連軍の猛攻を何度も撃退した戦功で騎士鉄十字勲章、さらにスターリーグラードで包囲された中で敵戦車を100台以上撃破しながら、その時の戦傷で脱出すると柏葉勲章を贈られました。
戦傷からの恢復は形勢逆転してからでした。ソ連の侵攻を迎え撃つ防御戦でも自領を含む東部戦線で多くの戦功を挙げて剣勲章やダイヤモンド勲章を得たものの時すでに遅く、1945年4月に部下を引き連れてアメリカ軍の捕虜になるためソ連軍の包囲を突破してチェコに逃れ、ドイツ南部のバイエルン州で投降しました。
戦後はシリアの軍事顧問になった以外は自領を共産主義・ポーランドに奪われたため西ドイツで暮らしました。
なお、居城だったグロース・シュタイン城はポーランド古城街道の観光名所の1つのようです。
  1. 2016/04/24(日) 08:50:10|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<振り向けばイエスタディ436 | ホーム | 振り向けばイエスタディ435>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/3097-87509e2f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)