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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月25日・楠木正成公の命日

明日5月25日は戦前のスーパーヒーロー・楠木正成さんの命日です。打算功利を排して道義に殉ずる日本的美意識の象徴と言われる武士道も、当時は恩賞を目当てに強い方につくのが常識であり、そんな中、討幕計画の発覚で笠置山に逃れていた後醍醐天皇が夢のお告げで召し出し、参陣したと登場シーンからドラマチックですが、その後も赤坂・千早城での活躍などは何処まで史実か創作かが判らないほどです。江戸時代のクーデター首謀者である由比正雪も楠公流軍学を唱えていました。そして不利を主張しながらそれを戦さには出ぬ公家に退けられ、敗れることを覚悟しながら息子・正行と桜井の駅で別れて湊川で圧倒的な足利尊氏を迎え討ち、「七生報国」の言葉を遺して死んだ。戦前派ならずともハラハラドキドキ、ついホロリの生涯です。この最期の地には水戸・徳川光圀が建立した「嗚呼忠臣楠子之墓」と言われる碑があり、これが光圀がここまで旅してきた=水戸黄門漫遊記を実話とする根拠にされていましたが、これは資料集めに全国を旅していた佐々介三郎(=助さんのモデル)が光圀の命を受けて建てたのでしょう。
この碑には後に吉田松陰先生も立ち寄って感激していますから本当にすごいヒーローだったようです。
余談ながらこの南北朝の時代、皇室は二つに分かれていた訳で、このどちらを正統とするかは長く論争になっていました。江戸時代の水戸学では三種の神器があった南朝側を正統としていましたが、明治以降は現在の皇室が北朝側なので議論そのものを取り止めさせました。実際、明治期には「我こそは南朝の末裔=正統な天皇」と言う輩が現れていましたから。
  1. 2012/05/24(木) 21:12:19|
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