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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

8月18日・裏は真っ黒の韓国大統領・金大中が死んだ日

2009年の明日8月18日に「人柄の小渕」こと小渕恵三首相が「最も親日的な大統領」と絶賛した金大中さんが死にました。
日本のマスコミも金さんについては金泳三さんに続く非軍人出身の大統領であることだけで擁護に値する上、こちらの金さんが韓国中央情報部(KCIA)に日本国内で拉致されたことで勝手に共犯者のような負い目を国民に喧伝していたため「痘痕も笑窪」「癌もおでき」式の偏った報道に終始していました。
金さんは李承晩政権の思想弾圧が厳しかった時代に(と韓国では言われている)野党の活動家として政界デビューし、苦労の末に国会議員になったものの朴正煕さんの軍事クーデターで無効にされてしまいました。
その後も反軍事政権の野党の活動家として頭角を現し、国会議員に当選してから実施された大統領選挙に出馬し、現職の朴さんの634万票に対して537万票を獲得したことで注目を集めた反面、「危険な政敵」として当局がつけ狙う結果を招きました。
こうして東京に滞在していた昭和48(1973)年8月8日にホテルから拉致され、韓国の自宅に姿を現すまで行方不明になった「金大中氏事件」が起こったのです。
その後も民主化運動の指導者としての地位を与えられながらも、朴さん以降も続く軍人政権下では「危険人物」として扱われ続け、光州事件や学園浸透スパイ団事件などの首謀者とされ、懲役刑や死刑判決を受け、刑務所で暮らすことになりました。
それでも屈することなく異常なまでの執念を燃やし、国際世論を利用し続けた結果、1998年に大統領になったのです。
確かに金さんは色々な意味で画期的な大統領だったのは間違いありません。例えば朴正煕、全斗煥、盧泰愚、金泳三と慶尚道出身の大統領が4代続いたため(李承晩は北朝鮮領内の黄海道出身)、日本以上に国家予算の分配が偏り、地域対立が深刻化していたので、全羅道出身の金さんの登場で是正されることが期待されたそうです。
またそれまで北朝鮮を敵視する軍人出身者の政権が続いた後を受けた金泳三政権でも米国との関係を重視したため政策の転換を図ることができなかったのを経済援助と南北交流を積極的に進める融和政策に一転させました。
実際、多くの韓国人は北朝鮮を同じ民族の同胞国家と見ており、本音では朝鮮戦争を民族と国土を統一する好機であったとする意識があって韓国軍人は国土を2分する戦争を行った米軍の先兵と蔑視されていますから国民の熱烈な支持も受けました。
金政権はこれをイソップ物語「北風と太陽」の暖かい日差しで旅人のコートを脱がすことに成功した逸話から「太陽政策」と呼びましたが、日本や欧米では平和外交への歴史的転換と大絶賛したものの実態は多くの問題も孕んでいたようです。
その最大の問題は北朝鮮の金正日主席個人への資金提供で、経済援助以外の名目では国家予算を支出することができないため、財閥の1つである現代グループに5億ドルを送金させ、その見返りに南北首脳会談を実現させたのです。
この南北首脳会談の実態は16歳も年下の金正日に臣下のような態度をとったことが明らかになっていますが、そこには金さんのしたたかな計算と野望がありました。この南北首脳会談が評価され現職中の2000年にノーベル平和賞を受賞しますが、その工作資金を国家予算から支出していたことが退任後に暴露されています。
小渕首相が「親日的」と賞賛した最大の理由はそれまで韓国国内では禁止・制限されていた映画やテレビ番組、マンガを含む書籍などの日本文化を自由化したことと言われていますが、小渕首相個人としてはそれまでの「日王」の呼称から「天皇」に改めさせた一事だったようです。
マスコミの勝手な思い込みで黒に近い灰色を真っ白と報じるのはやめてもらいたいものです。
  1. 2016/08/17(水) 09:23:48|
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