fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

9月18日・韓国で江陵浸透事件が発生した。

1996年の明日9月18日に韓国の東岸北部の江原道(この地方は軍事境界線で分断されている)・江陵市の海岸で座礁した潜水艦が発見されたため軍・警察による大規模な捜索が開始され、南北双方に多数の死傷者を出す「江陵浸透(工作員を潜入させるの意味)事件」になりました。
事件の概要は1名だけ捕獲された北の工作人の証言によるしかないのですが、それによると新たな工作員を潜入させ、交代者を収容する任務を帯びて5日前にサンオ型潜水艦で北朝鮮のウオンサン付近の軍港を出発し、軍事境界線を越えた海岸したのです。
サンオ(=朝鮮語の「鮫」)型潜水艦はユーゴスラビアの小型潜水艦を模倣した旧式で、ユーゴスラビアが公表している諸元では全長35メートル、排水量25トン、航続距離350浬=463キロ、持続潜航距離40浬=74キロ、電動モーター(=潜航時)とディーゼルエンジン(シュノーケルを海面上に出す必要がある)駆動なのでこの程度の任務にしか使用できないのでしょう。この時も韓国海軍の警戒が厳しい(海上自衛隊に比べれば大きな網の目ですが)軍事境界線沖では電動モーターによる最大潜水深度で通過したようです。
何とか無事に目的地の江陵市の人気がない海岸に到着し、土台人と呼ばれる工作の中核的支援者(主に朝鮮戦争時に残留した北朝鮮出身者、日本では在日朝鮮人)と連絡を取らせるため工作員3名を泳いで上陸させ、潜水艦はその場で再度潜行して待機したのです。
しかし、戻ってきた工作員を収容するため浮上して海岸に接近したところ波に押し流されて座礁してしまい、離礁操作を繰り返す間にスクリューも破損して航行不能に陥りました。
このため艦長は艦の放棄を決定し、泳いで上陸した後、遠隔装置によって爆破・自沈しようとしたのですが爆発の効果が予定ほどではなく、朝になって海岸沿いの道路を走ってきたタクシーによって発見され、大騒ぎになりました。
当時は文民から就任した金泳三大統領でしたが即座に軍と警察による捜索と掃討を命じました。
その日のうちに現場から20キロ離れた山の中で艦長以下11名の遺体が見つかりましたが、現場の状況から10名は青酸カリで服毒した後、同行している政治将校が拳銃で頭部を撃って殺しており、本人は服毒の上、拳銃で頭を撃って死んでいました。この身の処し方を見ると「北朝鮮は帝国陸軍の遺児」と言う評価も納得できてしまいます。
翌日、軍が山の中に蛸壷を掘って隠れていた工作員を発見しましたが、先に飛び出して手榴弾を投げて逃げたためヘリコプーターで兵士を降下させて退路を塞ぎ、射殺しました
3日後、軍と工作員の間で銃撃戦が発生し、北の2名、南の1名が戦死しました。
4日後、軍事境界線付近で待ち伏せしていた軍と工作員の銃撃戦が発生し、双方2名が戦死したのですが、この時、夜間外出禁止命令を無視して茸採りをしていた民間人も誤って射殺されています。
その後も散発的に銃撃戦が続きますが、次第に軍が行動を把握していない民間人や警察官を誤って射殺する事件が頻発するようになり、韓国政府も投降を呼び掛けるようになっていた中、11月5日に軍事境界線から10キロ手前で追い詰められた工作員2名が持っている武器を使い切るように激しく抵抗し、北の2名を射殺したものの南も3名が戦死、14名が戦傷と言う損害を出しました。こうして事件発生から49日目の11月7日に終結宣言が発表されたのです。
最終的には北が集団自決11名、射殺13名、逮捕1名、行方不明1名、南は軍の戦死が8名、事故死が4名、警察官の事故死が1名、民間人は射殺が3名、事故死が1名でした。
2日目に逮捕された工作員は当初、乗員と工作員は20名と証言していましたが実際は26名で、これは「20名程度が射殺されれば韓国軍も納得して6名は逃れられるだろう」と言う冷静な計算だったのです。ところが煙草や焼酎などを与えながら尋問すると口を割ったそうです。
  1. 2016/09/17(土) 09:01:39|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<振り向けばイエスタディ582 | ホーム | 振り向けばイエスタディ481>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/3394-38fab1eb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)