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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ637

李知愛(イ・ジアエ)中尉にアフガニスタンから手紙が届いた。差出人は学士士官の同期・高仁智(ゴー・インジ)中尉だ。
「仁智かァ、久しぶりだわ」高中尉とは学士士官課程では同じカソリックの信者であったこともあり士官学校内の聖堂へ一緒に通ったものだが、卒業後は衛生士官と法務士官に道が別れたため、時候の挨拶くらいしか連絡していない。今回は公用の書簡としての体裁で私信を送っている。つまり軍の検閲を受けたくないような内容が書かれているようだ。そのため知愛も公用の書類を読むような顔をして便箋を開くと、それは自筆の英文だった。
「親愛なる知愛、私が異教徒の地・アフガニスタンに来て2ヶ月が過ぎました」ここまで読んで知愛はカレンダーを確認したが、確かに3月上旬に派遣されてから2カ月が経っている。
「この悪しき信仰に犯された地にもカミの愛が広まり根づくことを願って努力していますが、中々成果は上がりません」知愛の脳裏に人一倍生真面目で頑なだった仁智の顔が浮かんだ。彼女は佛教徒だけでなくプロテスタントの同期とも対立し、色々な場面で論争を繰り返していた。だから今回の派遣に加わった時の意気込みは強烈なモノがあったのだろう。
「食事は米軍から供給されていますが油濃いオカズが多くて、そろそろキムチが食べたくなっています」「街中には一日に何度も野蛮な歌声が響き渡るので、ウチの兵士たちと讃美歌を合掌して聖なる空気を守っています」ここで突然、筆記体の流れが滞り、一気に走り出した。
「昨日、島村と言う日本人のジャーナリストが取材に来ました」「島村・・・」知愛にはそれが誰なのか判ったような気がする。あの夜、夫には高仁智のことを話したはずだ。
「島村は勝手に診療所内を覗き、私にはイスラム教徒の信仰を尊重しろと言ってきました。だからスパイと疑って捕獲して憲兵に引き渡そうとしたのですが、パスポートとプレスのIDカードが一致した以上、取材を認めろと言う指示を受けてしまいました」この辺りから仁智の文字は濃くなり、筆圧が増していることが判る。それにしても夫と同期がアフガニスタンで対面した上、捕獲騒動を起こしていたことには呆れるしかない。
「しかし、正しい教えはイエスの使徒・パウロから伝わる我々の信仰だけだと言う私の信念は揺るぎません。島村は私の心を試すためカミが遣わされた使者だと確信しています。そうでなければ悪魔でしょう」これは旧約聖書で繰り返されている説話だ。天地を創造し、人間を生み出したカミは自分に背く者を容赦なく滅ぼしただけでなく、従う者にまで殊更な苦難を加え、それでも信仰が揺るがないことを確かめた後で祝福を与えている。何にしても疑り深いカミなのだ。
「知愛、私がこの汚れた地を浄め、カミの御旗を立て、泥にまみれ迷える子羊たちを栄光の国に導けるよう一緒に祈って下さい。こんなことを頼めるのは貴女しかいません」ここで文字は綺麗に整った。李知愛中尉は読み終えた便箋をたたんで封筒に戻すと机の引出しにしまった。
この同期からの手紙で思いがけず夫の仕事ぶりを知ることができたが、その親身な助言も高中尉には通じなかったようだ。
知愛は毎朝夕に夫の無事を祈願しており、そして休日には聖堂に赴いて十字架の前に膝まづいている。だから高中尉を加えることは容易なことなのだが何故か躊躇われた。
「仁智、貴女の信仰は貴女とカミとの約束であって、それが全てではないのよ」知愛の信仰も揺らぐことはないが、岡倉と結ばれてからカミの下に続く道の両側に建っていた塀が崩れたように感じている。松念院で住職から教えられた禅語「大道無門 千差道あり 此の関を透脱すれば 乾坤に独歩せん」の通り、天に向かう坂道は峰ごと谷ごとに千差万別なのだ。
自分や高中尉はカソリックと言う道を歩いているに過ぎないことを教えたいと思う。しかし、それは彼女が帰ってからになるだろう。
  1. 2016/11/12(土) 00:01:59|
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