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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月11日・白隠禅師の命日

1768(明和5)年の明日12月11日に禅の巨人・白隠慧鶴禅師が遷化されました。 
白隠禅師は駿河の原の宿の生まれのため「駿河の国に過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」と謳われました。
松蔭寺には擂鉢松と言う名所がありますが、これは岡山の池田公が参じた折「何か欲しい物があれば」と問われて「擂鉢が欲しい」と答え、備前焼の擂鉢を贈られたのですが、暴風で松が折れた時、そこにそれを被せ、そのまま松が成長して今では上の方にかかっていると言う物です。
野僧が参じた小浜の僧堂には白隠禅師の禅画に感動して25年前にドイツから来日し、松蔭寺で得度を受けた元画家志望の超古参雲水がいて、他の雲水では通じない白隠禅師の法語を野僧が知っていたので雑談ついでに色々な知識を授けてくれました。特に公案を出せば即答するので面白がり、白隠禅師伝来のアレコレを出題されて随分詳しくなりましたが、残念ながら解答の可否は不明のままです。
何よりも松蔭寺仕込みの白隠禅師が禅病の治癒に指導された「夜船看話(内観法)」を手取り足取りで伝授してくれたので、その後、坐禅が健康法にもなりました。
野僧が参学した臨済宗の老師たちは「曹洞宗は開祖が立派なだけでそれを超えるような後嗣がいない先細りだ。その点、我が宗門には応燈関の後に一休、沢庵、盤珪と続き白隠禅師が出られた。明治になっても南天棒、洞宗令聡がいる」=「昔は兎も角、今は臨済宗の方が上だ」と言われましたが、確かに野僧も道元の教えを守りもしないで有り難がっているだけの曹洞宗よりは、臨済宗のダイナミックな「臨機不譲師(機に臨んでは師にも譲らず)」の気風を上位と見ています。
特に白隠禅師が遺された数多くの和讃は親鸞聖人の作とは違った味わいがあり、臨済宗の坐禅会で勤めた「坐禅和讃」には曹洞宗が常用する道元の「普勧座禅儀」と比べて人間に対する深い洞察と坐禅の意義に対する達見があり心酔しました。
ちなみに「普勧座禅儀」は道元の独創ではなく、中国の禅宗にある「座禅儀」から足を逆に組む方法を削除した請け売りだそうです(と中国人の禅僧が言っていました)。
和讃は長いので引用しませんが道歌でも「若い衆や 死ぬがいやなら 今死にや 一たび死ねば もう死なぬぞや」と言う秀逸な作があります。
白隠禅師の普段の姿は「虎視牛行」と言われていましたが、「自画賛」では「千佛場中千佛に嫌われ 群魔隊裡群魔に憎まる 今時黙照の邪党を挫じき 近代断無の瞎僧をみなごろしにす この醜悪の破瞎秀 醜上に醜を添うまた一層」と自己を評しています。
ただ、惜しむらくはこの一代の禅匠も現代社会では「何でも鑑定団」に高額鑑定を受ける画僧として紹介されるばかりで、それは博多の僊厓義梵禅師も同様でしょう。
白隠禅師曰く「一つには大信根、二つには大疑情、三つには大憤志。もしこの中の一つを欠いても鼎の足の折れたるが如く、到底弁道はおぼつかない。また末期の一句に「『勇猛』の二字を忘るるべからず」これが求道心、菩提心と言うものです、「やるぞォ」と大信根を立て、「何故だァ」と大疑情を掲げ、「どりャア」と大憤志で突き進む、こうでなくては・・・喝!
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  1. 2012/12/10(月) 08:09:59|
  2. 日記(暦)
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