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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ805

「海の音と匂い、それに砂浜の感触を憶えたわ」あかりは裸足になって砂浜を歩いた後、ビーチに下りる階段に並んで座ると潮風に髪をなびかせながら感激を口にした。
「でも本物の海はもっと大きいんだよ」「本物の海?」「うん、ここは人工的に作った砂浜だから海水のプールみたいなものさァ」これは水産高校の生徒土としての率直な見解だった。
「プールは学校の体育の時間に泳ぐことがあるけど、ここもそうなんだね」「ビーチがコンクリートの壁で仕切られているんだ」淳之介の説明にあかりは自分が知っているプールのイメージとこの海岸を重ね合わそうとしていた。
「いつか本当の海岸に連れて行くよ」「本当、次の約束ができたね」あかりははしゃいだように笑うと、また淳之介の知識を試すような質問をしてきた。
「ねェ、この歌も知ってるでしょう」「どんな歌?」淳之介は先ほど「ゆうなの花」で自分の記憶を当てられたため今回は回答を避けた。
「海に抱かれて男ならば たとえ敗れても燃える夢を持とう 海に抱かれて男ならば たとえ独りでも星を読みながら 波の上を行こう・・・」これは加山雄三の「海・その愛」だ。海が大好きな癖に陸上自衛官をやっている父の愛唱歌だった。したがって当然唄える。
「海よ 俺の海よ 大きなその愛よ 男の想いを その胸に抱きとめて 明日の希望(のぞみ)を 俺たちにくれるのだ」やはり3番まで歌詞カードなしで唄えた。
「この歌もお母さんが教えてくれたの?」「うん、淳之介さんのお父さんから習った歌の中でも一番好きなんだって」あかりの説明に淳之介は母の梢さんと父の交際や別れた訳が知りたくなった。しかし、そこまで立ち入ることが許されるのかが判らないので黙ってあかりの横顔を見詰めた。
「私の両親はお母さんが私を早産して目が見えなくなったことをお父さんに責められて離婚したんだ。でも早産したのはお父さんがお腹が大きくなってもお母さんを大切にしなかったからだってお祖母ちゃんが言ってたよ」「ふーん」これは淳之介が知りたい内容ではなかったが、あかりの家庭の内幕のようなので鼻息で返事をしながら聞くことにする。
「それでお母さんが私の世話に一生懸命になったら家に帰ってこなくなって・・・だから私はお父さんの記憶がないの」「それじゃあ、お母さんが1人で育ててくれたんだ」「ううん、お祖母ちゃんにも助けてもらったよ。だからマッサージ師の資格を取ったらお祖母ちゃんの肩を揉む約束なの」そこまで話してあかりは手で足の砂を払い、靴下と靴をはいた。払った後に手で砂が残っていないかを何度も確認するのは視覚障害者の工夫だろう。その時、海岸沿いの木立の中から三線(さんしん=蛇皮線)と指笛、手拍子の音が聞こえてきた。
「何だろう?」「楽しそうだね」2人は呟き合ってゆっくり立ち上がった。ウチナー正月なので公園で宴会を始める家族がいても不思議はないが、それにしては少し時間が早いようだ。
淳之介はあかりと腕を組んで誘導しながら木立の中に入って行くと、波の上宮へ続く木立の中に緋寒桜が植えられていて今が満開だった。どうやらその下にシートを敷いて花見をしながら正月を祝っているようだ。その中には先ほど「ゆうな」を教えてくれた小母さんもいる。
「お酒と料理の匂いで良く判らないけれど桜が咲いているでしょう」「うん、満開みたいだね」本土の桜を見慣れている淳之介には色が濃く、花弁が小さい緋寒桜は梅か桃に近いように見えるが、それでもウチナー正月を祝うには格好のタイミングに咲く花のようだ。
「私、桜に触れたい」「うん、判った」そう言うとあかりは杖を淳之介に渡して両手を伸ばして桜の枝を探し始める。淳之介は「右、右」「左、左」と誘導しようと思ったが、あかりには桜の声が聞こえているような気がして黙って見守っていた。
「あッ、いたいた・・・今年も甘酸っぱい香りで咲いたね」淳之介は低い枝の下で立ち止まり、鼻を向けているあかりの頬に垂れている細い枝を近づけた。
「待って眼鏡を外すから」あかりは花の香りが間近になったことで淳之介がやっていることを察したらしい。淳之介は枝を右手で持ち、左手で外したサングラスを受け取った。
「花びらが少し固いからまだ咲き始めね。香りもまだ若いもの」あかりは淳之介から枝を引き継ぐと頬ずりするように顔を近づける。それを見ながら淳之介は視覚で眼前の情景を理解する自分よりもあかりの方が花との間隔と感覚が近く、会話ができているのかも知れないと思った。
う・安里あかりイメージ画像
  1. 2017/04/26(水) 09:07:40|
  2. 夜の連続小説8
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