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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

第2回月刊「宗教」講座・年末増刊号

年末増刊号として第2回月刊「宗教」講座を開催させていただきます。
12月23日は天長節、今の天皇誕生日ですが、これは神道の行事でもあります。
日本の天皇さんは神道のトップであり、その存在は国家元首と言う政治的な地位よりもカトリックの宗教的権威のシンボルであるローマ教皇に近いのかも知れません。一方、皇室の御先祖さんの物語は「日本神話」と呼ばれますが、これは旧約聖書などとは違いあまり倫理的ではありません。
この国土が出来た場面から始まるのは旧約聖書の天地創造に通じますが、古事記ではいきなり男神・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と女神・伊邪那美命(いざなみのみこと)が登場し、自分の身体を確かめた後、男神が「お前の身体はどうなっている」と問い、すると女神が「私の身体は出来上がっているが一カ所足りないところがある」と答えたので、男神が「私は一カ所余っているところがあるので、それで足りないところをふさいで国を生もう」と言います。つまり、いきなりエッチなシーンから始まるのがこの国の神話なのです(詳しくは「戦士の先史」で述べましたので繰り返しは避けます)。
その後も郷に降りて来ては美しい娘をはらませることの繰り返しで、こんな神話を読むと「神道が説く宗教倫理って何?」と言う疑問が残りますが、実は日本の神道は教義がないのが最大の特色で、国学者・本居宣長も神道が理想とする人間像を「善くも悪しくも生まれたるままに=素直さ」と述べています。
現在の神道が説いている自然尊重や愛国心、家族愛などは江戸時代も後半になってから平田篤胤などの国学者が当時の武士階級が尊重していた儒教や道教などを取り入れた盗作で、神道本来の理想とは別物です(天理教や黒住教などの教義を持つ神道系新興宗教は「教義神道」と呼ばれます)。
つけ加えれば、本居宣長は「良くも悪しくも人を超えたる者を神と為す」とも言っていて、ようするに常人に出来ないことをやった者はそれが良いことであろうと悪いことであろうと「神」として祀られるのが日本の神さんなのです。ですからヤ○ザの大親分・清水の次郎長や大泥棒・ネズミ小僧次郎吉も庶民レベルでは神様扱いされているでしょう。
この時期、神社と言えば初詣ですから少しその話をしますが、神道では人間の生活を「ハレ」と「ケ」に分けて考えます。
日常の生活は「ケ」で「気」に通じるとされますが、これを過ごすことで人は次第に疲れてきます。これを「気枯れ=穢れ」と言うのですが、これを特別な時間「ハレ=晴れ」を過ごすことでリフレッシュするのが神道の考え方です。つまり初詣や祭礼はこの「ハレ」の時間ですから、思い切り「晴れ着」で着飾って、いつもは出来ないように楽しく過ごして日常を忘れるのが本来のあり方なのです。
ついでに言えば神道では「死」を気が枯れ切った結果ととらえ、リフレッシュではなくリセットするために黄泉の国へ往くとされています。そこでパワーを充電して、また家族の元へ戻って来ると言うのが神道の死生観です。ちなみに神道が葬儀を行うようになったのも江戸時代後半からです。
神道の話が長くなりましたが、25五日はクリスマス(降誕祭)です。
ところが12月25日をクリスマスにしているのはローマ・カトリックとプロテスタントで、それ以前のギリシャ正教(オーソドクス)やエジプトのコプト、エチオピアの原始キリスト教では1月7日(別説もある)をイエスの誕生日としています。
これはローマ・カトリックがヨーロッパの冬至の祭りと重ねたためで、ヨーロッパで成立したプロテスタントもこれを踏襲しました。
オーソドクスの一派であるロシア正教も本国では1月7日にクリスマスを行いますが、日本のロシア正教会では「12月25五日のクリスマスが定着している上、1月上旬では正月に重なって盛り上がらないから」と12月が多数派になっています。
と言うことで新年早々に生まれたはずのイエスさんは、信者の都合と思い込みで年末生まれにされてしまったのです。
ちなみにイエスさんはコーランにも「イーサー」と言う呼び名で登場していて、預言者としては認めていますが、キリスト(救世主)、神の子としては認めていません。コーランでは「天地を創造されたカミ(日本の神と区分するためカミと書きます)が、人間の女の身体を借りて子を作る必要はない」とマリアの処女懐妊を否定しています。さらに言えば、古代遺跡から出土する人骨の解析などから、イエスさん時代の中東の人々は現在のユダヤ人、アラブ人よりもアフリカ系の特色が強く、奥目で頬骨が貼っていて顎が大きく、唇が厚かったと言われます。
したがってマリアさんはカトリックの聖画に描かれているような金髪の優美な女性ではなく、もっとゴツゴツとして縮れ毛で、例えば映画「天使にラブソングを」のウーピー・ゴールドバーグさんのようなイメージかも知れません。
イエスさんも面長でひ弱そうな優男ではなく筋骨隆々のマッチョだったのでしょう。
そもそもイエスさんは父のヨセフさん同様に元は大工で、当時の中東の家屋は石積みだったので石を運び慣れており、いくら拷問を受けたとしても木製の十字架くらいは軽いモノだったはずです。
大体、当時の磔刑は十字架でなく、立ち木に横板をだけを打ちつけて行ったと言うのが最近の学説です。
ついでに言えば当時の中東の家では人間と馬は同居しており、馬小屋と言う独立した建物は存在しておらず、マリアさんが馬小屋で生んだ伝説にも疑問があります。
日本の聖徳太子も馬小屋で生まれたため厩皇子(うまやどのみこ)と呼ばれたとされていますが、これは当時、すでに中国には「大秦教」と言うキリスト教が伝来していて、この伝説を太子の神格化に取り入れたのではないかと言われています。
ただ、友人のアメリカ人の牧師は「日本ではイエスよりも、サンタクロースとバレンタインが信仰されている」と嘆いていますが、確かにクリスマスもイエスさんの誕生日を祝うよりも、サンタクロースのプレゼントを心待ちにする御祭りのようです。
サンタクロースはセント・ニコラウスのオランダ語読みで、古代ギリシャの人ですから、あのようなフカフカの厚着ではありません。参考までに。
結局のところ日本人の宗教観は、この神道を基盤にしているように思います。
宗祖の教えは兎も角、念佛や坐禅も「ハレ」と同様に、非日常の行為を通じて自分をリフレッシュする手段としてしか理解できず、そのこと自体を道とする理解には至れないようです。
それはキリスト教も同様で、日本人のクリスチャンにとってはカミの教えを実践することよりも、教会での宗教儀式に参加して、祈ることが信仰なのでしょうから。
冬至の日には、庚申(こうしん)が天に告げ口に行くので徹夜で飲み明かして見張る習慣があります。「乾パーイ!」 
                      南無十方三世一切諸佛八百万神々+ヤハウェイ=アッラー
セント・ニコラウスウーピー・ゴールドバーグ
セント・ニコラウス
ウーピー・ゴールドバーグ(マリアのイマージ)
す・ピエタ像ミケランジェロのピエタ
  1. 2012/12/20(木) 09:55:05|
  2. 月刊「宗教」講座
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