古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ937

隣家の奥さんは管理人が出勤するまで電話をかけ続けてくれた。そうして連絡がつくと合鍵を持って駆けつけた管理人と一緒に部屋に入ってきて倒れている私を見つけた。
「モリヤさん、モリヤさん」「死んじゃっていますか・・・」管理人はうつ伏せに倒れている私の背中を叩きながら声をかけた。その声は私が握っている携帯電話を通じてはるか遠くハワイで佳織も聞いているのだが、まだ生存の確認はできていない。
「もしもし、至急、救急車をお願います。場所は□□□市△△町の自衛隊官舎・・・はい、確認します」管理人が我が家の固定式電話で119番に通報すると指令センターのオペレーターから確認の指示を受けた。先ず鼻の下に手の甲を当てて呼吸を確認すると、かすかに鼻息が当たるのを感じた。
「非常に弱いですが呼吸はあります。はい、確認します」次は脈拍だ。まだ半袖の3種夏服なのでむき出しになっている手首を親指で掴んで確認した。かなり荒っぽいやり方だ。
「うーん、脈を感じないなァ」「私がやってみます」管理人が首を傾げると横から見ていた隣家の奥さんが変わった。奥さんが細い指で手首に触れるとやはり弱い脈拍が確認できた。
「あります。生きています。体温もあります」奥さんの叫び声に玄関まで押し寄せていた同じ階段の住人たちの間から溜め息が漏れた。
「すでに救急車が向かっていますから隊員が到着するまでそのまま様子を見ていて下さい」電話口でオペレーターが説明している間に外から救急車のサイレン音が聞こえてきた。その音を聞いて佳織もようやく携帯電話を切った。
結局、私は病院には搬送されなかった。近傍の病院は夏場に体調を崩した高齢者や子供たちで満床のため意識が戻って緊急性を要しない患者の受け入れは揃って拒否されたのだ。
そのおかげで陸上幕僚監部では無断欠勤扱いされそうになった。やはり緊急車で運ばれることはそれだけで緊急性、重大性を際立たせる効果があるらしい。

「モリヤ2佐殿、お久しぶりです」私は法務官の指示で自衛隊中央病院に通院することになったのだが、担当医は久居駐屯地の衛生隊長として顔なじみの同期だった。同期は同じ階級になっている私をからかってから診断を始めた。
「先生の診断通り、血糖値が上がらないように食生活には注意しているんですが、同じ物を食べていても突然、数値が上昇することがあって困っています」「貴様はムショ暮らしをしていて血糖値が上がったんだったよな」「はい、そうです」本当は刑務所ではなく拘置所なのだが大差はないのでそのままにした。ただし、私の後ろに立っている看護師が驚いて身構えたのが判った。
「それにしても不整脈の発症が重篤過ぎるぞ。頻度はどれくらいだ」「うーん、不定期に起こるから頻度と言う尺度では説明できないな。ただ最近は増加傾向なのは確かだな」佳織がハワイに転属して自炊するようになってから私は「血糖値を上げないために炭水化物を摂取しないことが早道」と禅寺式の精進料理を食べて生活している。それでも定期的に衛生隊で受けている血液検査では大きく数値が変動し、それを生活の乱れと決めつけられて困っているのだ。ここの病院でも「糖尿病の予備軍」と聞いた看護師は飲酒量や外食の頻度、最近の献立などを詳細に確認してきた。
「俺は貴様の性格をよく知っているから食生活の乱れなんてことは全く考えないが、むしろ摂取カロリーが不足しているんじゃあないのか」「確かに自衛官の基準の半分にもなっていないな。炭水化物は米を1日1合半程度だ」「まさかァ」私の説明に後ろで妙な看護師が合の手を入れた。すると同期は厳しい顔をしてカルテに何かを詳細に記入し始めた。
「最近、無糖ダイエットとか言って炭水化物を全く摂取しない減量方法が宣伝されているが、それが神経障害を引き起こす危険性が指摘されているんだ。どうやら貴様もその症状が出ているらしい。神経がイカレ始めているから心拍数が乱れる。どこかに疼痛が走ることがないか」「うん、足や手の血管にガラスの欠片が流れて行くような痛みを感じることがあるよ」この答えも同期はカルテに記入した。神経と言えば電気信号を送るケーブルのようなものだ。それがイカレたのは航空自衛隊で電機整備員を辞めた祟りだろうか。
「やはり糖尿病と診断して血糖値を管理した方が良さそうだな」しかし、糖尿病は乱れた生活を原因とする生活習慣病に類別されているので身に覚えがない者としては屈辱であり、断固拒否したい。
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  1. 2017/09/05(火) 09:12:01|
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