古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ938

夫の不整脈の発作も一段落した頃、ハワイの佳織に島田元准尉から平べったい小荷物が届いた。
「何やこれ・・・このサイズはCDかDVDみたいやね」確かに島田元准尉はオレゴンにも時折、日本の歌のCDを送ってくれたが今回は枚数が多い。志織が隣りから興味深そうに覗き込んでいるので、開けてみると2つに分けた梱包が出てきた。小包には書簡を同封できないため梱包の表に「父上にどうぞ」とだけ書いてある。1つ目の包装を開くと5枚のCDが出てきた。
「日本の演歌」「日本の民謡」「日本の歌謡曲」「昭和の懐メロ」「日本の唱歌」これらは元准尉手作りの名曲集のようだ。志織が手を伸ばして元准尉自筆の曲目を確かめ始めたので、その間に佳織が2つ目の梱包を開けると同じ枚数のCDが出てきた
「日本の演歌(カラオケ)」「日本の民謡(カラオケ)」「日本の歌謡曲(カラオケ)」「昭和の懐メロ(カラオケ)」「日本の唱歌(カラオケ)」こちらにも手書きで題名と曲目が記されているが「(カラオケ)」を赤ペンにしているところが几帳面な島田元准尉らしい。
「フーン、私が唄える曲が半分くらいあるね」志織は「日本の演歌」のCDを見ているはずなのだが、意外なことを口にした。
「だってこれ演歌だよ」「ダディがよく唄っていたもん、私も覚えちゃった」言われてみれば夫はロシアのクラシックを愛好している癖に演歌も聞いていた。特に村田英雄のファンで「夫婦善哉」「無法松の一生」「花と竜」「王将」「人生劇場」などはパジャマ・ミーティングの話題の流れで始まる定番だった。また前川原の宴会では拓殖大学から入校してきた同期と拓大の寮歌「まず一献(男の酒)」を熱唱していた。志織は胎教の時から聞いていたのだから覚えても不思議はないのだ。
「あッ、こっちも半分くらい唄える」「そっちは民謡でしょう」「うん、手拍子で唄わないとね」そう言いながら志織は手拍子を打ち、いきなり「黒田節」を唄い始めた。
「酒は飲め飲め 飲むならば 日の本一のこの槍を 飲み取るほどに 飲むならば これぞまことの黒田武士 武士に二言はないものと 飲み取る名槍・日本号・・・」これは播磨武士を自負する佳織の愛唱歌でもあり、浪曲入りで唄えるようにした夫の英才教育に感謝した。
「これも大好き」今度は歌謡曲のはずだが元准尉の趣味なのか戦後歌謡の名曲が多い。そして夫も橋幸夫、舟木和夫、西郷輝彦の御三家やクールファイブ、東京ロマンチカ、ハッピー・アンド・ブルー、ロス・インデォスなどのムード・コーラスが大好きなのだ。これは祖母と叔母の影響らしい。
「雨が小粒の真珠なら 恋はピンクのバラの花・・・」いきなり小学6年生の娘に橋幸夫の「雨の中の2人」を聞かされても母として何と言っていのか判らない。ただ、この中に亡き母が好きだった「ブルーライト横浜」を入れておいてくれた元准尉の気配りに少し目頭が熱くなった。
「街の灯りがとても綺麗ね横浜 ブルーライト横浜 貴方と2人 幸せよ・・・」佳織も口ずさんでいると志織が次に手を伸ばしたが今度は「昭和の懐メロ」だ。ところが志織は自慢げに口角を上げた。
「こっちも半分は唄える」驚いて曲目を確認すると夫が好きな藤山一郎や灰田勝彦、田端義夫、東海林太郎、霧島昇、大津美子、コロンビア・ローズ、渡辺はま子の名曲ばかりだ。それにしても自分も唄えることに気がついて佳織は夫の影響力の凄さに今更のように感心してしまった。
「丘を越えて行こうよ 真澄の空は朗らかに晴れて 楽しい心・・・」この「丘を越えて」は佳織も好きな歌なのでデュエットにする。昔から夫といると感情表現が歌になるのでミュージカルのように思っていたが、これ程幅広い歌をマスターしているからこそ可能な技なのだとあらためて納得した。
「最後はどうかな」残りは唱歌だ。志織は小学1年生からアメリカン・スクールに通わせてきただけに少し心配でもある。と言っても最近の日本の学校では伝統的な唱歌は「歌詞が難しい」「時代に合わない」などの理由から敬遠する傾向があり、子供たちも唄えない曲が多いと聞いている。
「ふーん、素敵な曲ばっかり、全部唄えるよ」このCDの曲目を確認していた志織の顔はこれまでの興味ではなく1つ1つを確かめるような表情になり、夫の音楽教育が情緒に訴えていることが理解できる。そんな志織が選んだのはハワイで唄うと不思議な感覚になる歌だった。
「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ・・・」この島崎藤村の名曲の舞台は愛知県の渥美半島だ。夫は大の愛知県嫌いだが岡崎市と蒲郡市、そして眼前に太平洋が広がる渥美半島だけは別なのだ。ただし、ハワイは椰子の実が落ちて流れ出る「遠き島」の方だろう。
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  1. 2017/09/06(水) 09:37:53|
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