古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ939

「ダディ、島田准尉からこれが届いたんや」次の休日、佳織は志織を連れてノザキ家を訪ねた。
「シマダ・ジュンイってマイ・センセーのことだな」父は先日の歌唱指導以来、島田元准尉のことを「ワラント・オフィサー(准尉)」ではなく「センセー(先生)」と日本語で呼ぶことにしているらしい。その割に「私の」は英語だが。
島田元准尉は亡き祖母が愛唱していた父にとって大切な歌「ここに幸あり」を高度な歌唱法も丁寧に指導して完璧に仕上げてくれた。それだけでなく天草からの移民3世である妻のスザンナが好きな八代亜紀や石川さゆりのヒット曲を伝授してくれた。特に「天城越え」では妻と2人で独特の振り付けまで伝授してくれたのでスザンナはステージで唄う日を待ちわびているのだ。
「どうも日本の歌と同じ曲のカラオケみたいなの」「流石はセンせー、教育熱心だ」「早速、聞きましょうよ」夫婦でもスザンナは日本語があまり得意ではないので耳で歌を理解するつもりのようだ。
「それでも1枚当たり1時間分くらい入っているから、1日1枚にしないと疲れちゃうよ」「そうだな、聞きながら好きな歌をチューズしておかないといけないからね」日本人は選択することを名詞の「チョイス」に「する」を付けて動詞化しているが正しい英語では「チューズ」と言う。すると佳織の隣で志織が5枚のCDをトランプのようにして祖父に引かそうとした。
「ほう、オールド・メイド(ババ抜き)だな。しかし、全てラッキー・カードだからどれでも良いな」そう言って父は「日本の唱歌(ジョーカー?)」を引いた。それをスザンナが興味深そうに覗き込んだが、難しい漢字の曲名が多く首を傾げた。
「そうだ、志織に題名をアルファベットで書いてもらうと助かるわ」「私は読めない漢字があるからマミィに頼んでちょうだい」「漢字の勉強になるから志織がやりなさい」他の防衛駐在官や領事館の日本人職員、更に在ハワイの日本企業の社員たちは子供をホノルル市内の日本人学校に通わせているが、志織はアメリカンの小学校なので漢字を学ぶ機会がない。その意味では題名どころか歌詞カードを作らせても良い。
「ふーん、ジャパニーズ・ショーカねェ」「直訳するとシンギング・ソングになるけど判る」「さっぱり判らない」佳織に「日本の唱歌」の意味を説明されてもノザキ夫妻には意味が判らないようだ。確かに直訳すれば「シンギング・ソング=唄う歌」になるのだが、歌は唄うためのものなのでワザワザ分類して独立させる意味が理解できないのは当然だ。
「要するに文部省が品質保証している歌のことだから本来は文部省推薦曲と言うべきかもね」「早い話が『この歌を唄いなさい』ってことだな」父の理解は少し行き過ぎだが、佳織自身もそれに似た印象を抱いているので苦笑いをしてうなずいた。
「マミィ、この漢字、何て読むの」父娘で談笑している横で題名のアルファベット化を始めた志織が訊いてきた。テーブルに広げている紙と横に置いてあるCDを覗くとそれは「早春賦」だった。
「ハヤハルじゃあないよ。これはソウシュンフって読むの」「判った、オンヨミ(音読み)だね」アメリカ人的な言語理解では同じ漢字を音読みと訓読みを使い分ける日本文は中国語以上に難解だ。おまけに音読みも中国語の変化によって漢音(かんいん)や呉音(ごいん)などに分かれることがあり、「経」と言う漢字も夫が唱えるお経の「キョウ」と読んだり経済の「ケイ」と読んだりする。
「でもこの漢字、どう言う意味なの。貝にサムラーイ(=武士)でしょう」この質問は夫譲りなのだろう。疑問を抱くと納得するまで探究する姿勢は尊重したいが、つき合う方には大変な労力が必要になる。ところが今回はノザキ夫妻まで生徒のように答えを待っていた。
「その漢字は贈り物、給料と言う意味だよ。春の始まりの情景を謳った歌だからそれを自然からの贈り物って名づけたんだね」実は前川原を卒業する前の小春日和の日にモリヤ候補生=夫がこの歌を口ずさんでいるのを聞いて佳織も同じような質問をして詳細な説明を受けたことがあったのだ。つまり請け売りなのだが、志織は真顔で紙の隅に書いてみた。
「天賦の才の賦だな」その字を見て父が補足説明した。やはり同じ日系人でも移民の子供である父と孫のスザンナでは日本人としての教育の密度が違うようだ。何よりも第2次世界大戦後には敵国となった祖国の文化を日系人自身の手で否定しなければならなかったのだ。
「春は名のみの 風の寒さや 谷のうぐいす 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず・・・」佳織が夫から習った「早春賦」を口ずさむとノザキ夫妻は目を閉じて聞き入っていた。
「これが日本の四季、春の情景なんだな」「私たちが知らない祖国のね」流石は島田元准尉だ。
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  1. 2017/09/07(木) 09:50:04|
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