古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

月刊「宗教」講座・別編=魂魄さんの夏の帰省はお盆か?秋夕か?

今年の夏は不可解なことがあって坊主として頭を悩ませています。3・11の東北地区太平洋沖大震災が発生しても健康と金銭上の理由で何もできなかった野僧は本州の西の端に住んでいることに気づき、「命尽きるまで犠牲者の魂魄を西方淨土に案内しよう」と発願し、24時間絶え間ない読経と念佛を開始しました。結局、49日目に意識を失って3日間眠り続けたため死に損いましたが案内はできていたらしく、その年の盆の時期からは西方浄土から帰省する魂魄さんたちが寄っていくようになったのです。
特に16日の送り火で西方浄土に戻る前には集合場所になっているらしく、来庵した人が「他にお客さんがいるのですか?」と訊くほど賑やかになります。おまけに魂魄さんがいるとヒンヤリとするため冷房がない小庵でも快適なので助かります(今年の炎暑は1人や2人では効果不足でしたが)。
ところが今年の夏は妙なことになっていました。毎年、東京を中心とするカレンダーの7月15日の盆に帰省する魂魄さんは皆無なのですが、8月15日の地方の盆では男性の声で「おい」と呼ばれたり、佛間から口笛が聞こえたりしていたのです。例年は(当地には習慣がない)送り火を焚けばそこままで静かになるのですが、今年は9月上旬になって再び女性の声の話し声が始まったのです。
確かに亡くなって西方浄土に向かう魂魄さんや朝夕の鐘で呼び寄せられた無縁佛さんが「もう1回、お経を聞かせて」と立ち寄ることも珍しくないのですが団体さんなので少し違うようでした。九州の豪雨災害の犠牲者は位置関係から当地を通らないのでこれも違うでしょう。そこで思案しながらカレンダーを確認したところ、今年の太陰暦は閏月がある関係で9月5日が7月15日で韓国の祖先供養の秋夕(チルソク)に当たることが判りました。
つまり男性は日本式の8月15日(明治政府の命令で太陽暦の7月15日にしたお盆では季節感が合わないと1カ月遅らせた)に、女性は本来の太陰暦の7月15日に帰省したことになります。やはり男性は職場と社会の中で生きてきましたからカレンダー通り、女性は地域の伝統や家風を守って生きてきたので往生した浄土でご先祖さまから「お盆は7月15日だ」と言われれば素直にそちらに従うのかも知れません。それともこの女性たちは生前、韓流ドラマのファンだったのかも知れませんが。
もう1つ考えられるのは小庵では8月15日以降も継続した戦闘の犠牲者を加えるため戦艦ミズーリの甲板で降伏文書に調印した9月2日に敗戦の戦没者慰霊法要を勤めていますが、やはり全国企画の8月15日に合わせて戦死した魂魄さんが集合している可能性です。
どちらにしても盂蘭盆会の法要を8月15日にするのか、太陰暦の9月15日にするのか。戦没者慰霊行事はこのまま9月2日で良いのか。来年の夏まで野僧が生きていれば答えを出しておかなければなりません。
明治政府が「欧米が太陽暦なのだから」と大した思慮もなく改暦し、それを徹底するために太陽暦を禁止した暴挙をそろそろ見直さなければなりません。これは尺貫法でも問題になり、「メートル法では日本建築や和服が作れなくなる」と言う関係業界からの陳情を受けて「黙認」と言う形で復活しました。明治政府は尺貫法を禁じてメートル・キログラム法に統一しましたが、欧米にもヤード法、フィート法、ポンド法などがあることは知らなかったのでしょうか。その程度の政策決定では太陰暦と太陽暦の使用分布も勘案しなかったのでせう。
日本以外のアジアの国々では公的行事は太陽暦、私的行事は太陰暦を用いるのが常識で(イスラム圏のヒジュラ暦は閏月を設けないので別)、明治政府の欧化政策の誤りは明白です。ご先祖さまが帰省していない太陽暦の7月15日に盂蘭盆会を勤める虚構が祖先供養と言う宗教儀礼を形式に堕し、実家のお盆の8月15日に帰省する矛盾した二重構造を作っているのです。
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  1. 2017/09/08(金) 10:27:10|
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