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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月29日・下関市赤間関に阿弥陀寺が創建された。

1191(建久2)年の明日12月29日に赤間関・阿弥陀寺が建立されました。
平家物語によれば壇ノ浦の合戦で平家が滅びる時、清盛の妻・二位の尼は孫である安徳天皇を抱き、「夕日が沈む西方には極楽浄土がございとやら。尼がご案内いたします」と言って海中に身を投じたとされ、その菩提を弔うために建立されたのがこの阿弥陀寺です。
ところが阿弥陀寺は明治初期に吹き荒れた廃佛棄釈の暴風で神道に乗っ取られ、現在は赤間神宮になっています。しかし、神道の単に祓い清めるだけの宗教儀礼では西方浄土への往生を願って無念の死を遂げた幼帝や平家一門の追悼は出来ないでしょう。
何よりも寺院として祀っていた本尊をはじめとする佛像の行方は観世音菩薩像が一体、下関市内の真言宗寺院におられることが判っている以外、神社の宝物館、下関市教育員会も把握しておらず、赤間神宮の初代宮司は戊辰戦争で倒幕過激派を支援した豪商・白石正一郎ですが、所詮は商人の卑しい感覚で売り払ったのではないかとの疑念を払拭できません。
野僧は明治新政府の宗教政策の失敗例として戊辰戦争の薩長側戦没者の慰霊施設であった招魂社を幕軍戦没者を賊軍と差別しまま国家の戦没慰霊施設の靖国神社としたことと共に佛神分離とその延長で生じた廃佛棄釈を挙げています(この他にも僧侶の妻帯・蓄髪を許可し、佛教の戒律を有名無実化したことなどがある)。
そもそも厩戸皇子により佛教が受容されて以降、我が国では神佛習合によりその両者が融合し、共存してきたのであり、それを江戸幕府が寺院を切支丹の監視や檀家制度により住民の管理の業務を担わせてきたことで幕府側の一員であるかのようにとらえられ、戊辰戦争では皇室を信仰対象とする神職が薩長側に立った恩賞として佛教が被っていた権益にとって代わろうとしたのが廃佛棄釈であります。
神道界と津和野藩の福羽美静の口車に乗って廃佛棄釈を推進した山口県は、あの暴挙が日本の貴重な文化遺産を深刻な危機に晒し、多くを海外に流出させた罪科を真摯に猛省し、そのシンボル的に奪い取った赤間神宮を真言宗に返し阿弥陀寺に戻すべきです(もう一つ、出羽三山神社も寺・修験の行所に戻しなさい!明治以降に続発している東北地方の天災はその佛罰だぞ!)。
  1. 2012/12/28(金) 09:38:49|
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