古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ948

岡倉は今年も一家団欒の新年を迎えることができた。自分が負っている特殊な任務を考えると信じられないことだが、ジアエと言う妻を得られたことで手にしたカミの恵み、佛の慈悲のような気がしている。大学生の時に両親を交通事故で失って以来、味わうことがなかった家族の温もりを異国で思い出している自分に戸惑いを感じながらも、この妻と生まれてくる我が子を連れて岐阜と福岡の先祖の墓に報告に行きたくなった。
「タイガー、昨夜のソンニョンフェ(送年会)には君も招待したかったよ」学校がソルラルの連休に入っている義父は昼前まで寝ていたが、義母が用意した遅い朝食を食べた後、居間に来て娘夫婦の談笑に割り込んできた。
「何か日本の話題でも出ましたか」岡倉は不満そうな顔をしたジアエとは逆に義父の機嫌を損ねないよう丁寧に応対する。すると義父は向いのソファーに腰を下ろして話を続けた。
「最近の我が国は民族主義が蔓延していて独立してからの現代史が根本的に覆されているんだ」この話は昨年の正月にも聞いたような気がする。つまり金大中が北朝鮮を訪問したことを切っ掛けにして中国を宗主国と仰ぐ長年にわたる民族意識が復活したため、朝鮮戦争をアメリカによる支配から同じ朝鮮民族を解放するために金日成が起こした救国行動とするものだ。だから中国の軍事介入もアメリカによって敗北寸前に追い込まれた金日成を救うための宗主国としての恩恵にされている。
「若い教師たちもそれに同調していて、公共の場でもアメリカを敵視して北朝鮮を讃えるようなことを平気で口にするようになっている。そんな情けない現状を君にも見せておきたかったんだ」義父の出身地である済州島では朝鮮戦争前に共産主義を待望する住民が李承晩政権によって送り込まれた右翼団体に虐殺される事件が起こっている。その意味では若い教師たち以上に北朝鮮と戦った李承晩政権を敵視しても良いはずなのだが、そこはアメリカ人の神父に育てられた人物は違うようだ。
「このままでは時代を逆行して中華帝国の膝元で忠誠を尽くしていることだけを誇りにする属国に戻ってしまうよ」今日の義父は酒が入っていないので言葉を慎重に選んでいるのは察せられる。
「折角、儒教の呪縛を捨て去って民主主義を手に入れたのに、まだ昔に逆戻りになってしまうのね。この子をそんな国に生まれさせたくはないわ」義父の言葉に娘のジアエが反応した。自分の腹を撫でながら我が子に語りかけている顔は真剣だ。それにしても日本の若い女性たちの中に国家の形態が自分たちに影響を与えることを真剣に考えるような人がどれ程いるのだろうか。少なくとも思い当たるのは前川原の帰国子女の同期だけだ。
「日帝が我が国を占領している時に行っていた学校教育の修身では儒教の教えがかなり色濃く投影されていたが、やはり儒教が社会規範の基本なのかね」娘の顔に少し翳りが漂ったため義父は話を婿に向けてきた。しかし、この質問は回答するのが難しい。何故なら日本の封建社会は武士と庶民の二重構造になっており、明治以降の歴史教育ではその武士の部分だけを取り上げているのだ。加えて父の言葉には韓国で反日的な意味で用いられる単語が混在しており、あまり好意的であるようには思えなかった。
「日本は儒教を信奉していたのは武士だけで庶民は現状肯定で逞しく生きていました」「ほう、日本には庶民にも道徳があったのかね」「はい、道の文化は武士だけの専売特許ではありません」思いがけない展開に義父は頭の中の先入観を再確認したようだ。
「商売には商道、職人には匠(たくみ)道、農家は耕(こう)道、芸人は芸道、ヤクザでも任侠道、全ての職業が自己完成の道なんです」これは幼い頃から薫陶を受けてきた松念院の住職の教えの請け売りだったが、義父は深く考え込んだ。そう言えばジアエは「松念院の住職とは年賀状を交換するようになっている」と言っていたから後で見せてもらうことにしよう。
「我が国では庶民の識字率が低くて口述以外に学習する手段がなかったんだ。ハングルが普及したと言ってもそれは商売なら店主、職人なら棟梁くらいまでが仕事の記録と契約書を記すために学んだ程度だ」義父は自分の見解を口にしてから苦虫を噛み締めた顔になった。昨夜の送年会では若い教師たちが韓国民の優秀さを強弁しながら熱狂するのに歴史的実態を説明して水を浴びせたのだが、それは自己卑下にもなり、愛国者として不味い酒をあおることになったようだ。
「お前がタイガーと結婚してくれて本当に良かった。我が孫は国内外の現実を冷静に客観視できる人間になるだろう」ジアエは父の言葉をアフガニスタンでの体験に重ねながら深くうなずいた。
つ・李英愛イメージ画像
スポンサーサイト
  1. 2017/09/16(土) 09:18:47|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<9月17日・果たして芸術家で良かったのか(?)・高島野十郎の命日 | ホーム | 振り向けばイエスタディ947>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/4141-dd50af8b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)