古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ949

1月中は雪中山岳基礎訓練(雪山登山と言うよりもスキーを担いで山を越え、滑降で襲撃する)で鍛えられていた安川3曹たちは2月になると北海道の東部・矢臼別にある大演習場での遊撃基礎訓練に入っていた。大阪市の3分の2に相当する広大な演習場を使って1日数10キロに及ぶスキーでの移動、盛り上げた雪山に横穴を掘って作った雪洞での宿泊、そしてモッティ戦術の実戦訓練である戦車部隊の襲撃などを繰り返している。
「安川レンジャー、次はお前もアキオを引け」「えッ?はい、安川レンジャー」ノルディックでの移動では交代で荷物を積んだ艝(そり)=アキオを引く。荷物と言っても軽迫撃砲や110ミリ個人対戦車弾とその砲弾などの重量物があり、スピードを競っていた連隊での訓練とは肉体的な負担がまるで違う。このため分隊長役の同期は牽引要員を1名追加したのだが、その指示に一瞬だけ困惑してしまった。やはり心理的限界に追い込まれれば「綺麗事」を保つ理性が薄らぐようだ。
「よし、出発だ」「おーッ、レンジャー」分隊長が先頭に立って滑り始めると安川を含む牽引要員が曳き始めるが、体重よりも重いアキオはノルィックでは簡単に進み出さない。
「ぐッ、糞―ッ、レンジャー」「この野郎、レンジャー」「チクショウ、レンジャー」アキオと身体をつないだ紐が胸元を締めつける。それに耐えながら気合いを入れる呪文は「レンジャー」だ。
「レンジャ」「レンジャ」「レンジャ」「レーンジャーァ」声を揃えてこの呪文を唱えながら曳き続けるとようやくアキオは滑り始めた。こうなれば次の休憩まで進み続けるしかない。しかし、矢臼別大演習場には目印になるような高い山がない代わりに緩やかな丘陵が続いており、行く手には長い上り坂が待っていた。

冬季戦技教育隊の遊撃課程で問題なのは夏季のレンジャー課程では比較的容易に確保できる食料の発見と調理だ。厳寒の北海道の原野で活動している野生動物と言えばウサギと鹿くらいで、これを発見しても人間がノルディックやカンジキで追いかけて捕獲できる相手ではない。かと言って巣で冬眠しているヒグマを殺して調理するのは実弾を携帯していない以上、危険が大き過ぎる。このためペットショップで買ってきたウサギを教材にするしかないのだ。
「設想、ウサギ捕獲」潜入に入って3日目の夕方、雪洞造りが終わったところで助教が声を上げた。助教の手には先ほど管理班のスノーモービルが届けに来たダンボール箱がある。ウサギは鳴かないため悲壮感は薄いが、これからペット用のウサギを殺して調理しなければならない。
「各分隊、1匹ずつ。処理方法は座学で教えた通り。以上、各分隊から1名受領に来い」助教は感情を見せずに指示したが、逆にその方が訓練として淡々と手を血に染めることができるのだろう。
「夏季レンジャーなら蛇やニワトリだからウサギよりも心が痛まないだろうな」「しかし、蛇よりはウサギの方が美味いぞ」分隊長に指名された1名が犠牲者を受領に行っている間、流石のレンジャー要員たちも罪の意識を誤魔化すための戯言を交わしている。そこに同期が1匹の白ウサギを抱えて帰ってきた。目が赤いところを見るとやはり飼いウサギのようだ。ウサギも自分の運命が判っているのか固まったように動かない。すると分隊長は同期からウサギを受け取るとナイフを抜いて首筋を深く抉り、足もとの雪に真っ赤な鮮血が飛び散った。
殺すまでに要する時間が躊躇になるのは間違いなく、交代制とは言え指揮官の任務を負っている者として自ら手を下したのだ。命を奪えば後は単なる解体作業として調理は終わった。

「零下20度でも外気から遮断されていると暖かく感じるものだな」宿営地で安川たちは歩哨に立つまで寝袋に入って束の間の仮眠を取る。この雪洞は2人用だが、積んだ雪山を円匙(えんぴ)で叩いて固めた後、側面に穴を掘って作るのでサイズも個人用天幕と同じようなものだ。
「このまま熟睡してしまいそうだよ」「それは命取りだぞ。見ろよ、ランタンで溶けた水がその場で凍っているじゃあないか」相棒はガス式のランタンを指差した。確かにホヤの上の雪の天井からは暖められた空気で溶けた水滴が垂れているが、そのまま凍りついて氷柱(つらら)になっている。やはり携帯式温度計の表示は間違っていないようだ。
「安川レンジャー・・・何だ眠っちまったのか」すぐに安川レンジャーは声をかけても返事をしなくなった。仮眠でも夢は見る。夢の中では聡美が体を温めてくれていた。
け・葦田伊織イメージ画像
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  1. 2017/09/17(日) 09:32:30|
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