古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

9月18日・「坂の上の雲」トリオの1人・正岡子規の命日

明治35(1902)年の明日9月18日に俳人・正岡子規さんが亡くなりました。34歳の若さでし
たが正岡さんの生涯については司馬遼太郎先生の名作「坂の上の雲」で詳細に述べられている上、NHKが3年越しで放映したドラマの記憶もまだ鮮明なので、素人があまり深く立ち入ることは避けたいと思います。
ただ野僧は地方歌人だった祖母の影響で小学生の頃から俳句、短歌、詩作を嗜んでおり、正岡さんの作品についても慣れ親しんでいました。そのためなのか文学を趣味にしていることが変人扱いされていた中学校では国語の資料に掲載されている正岡さんの写真が野僧に似ていると指摘され、「こう言う顔の人間は俳句を詠むのかァ」と国語の教師までからかっていたのです。
野僧が正岡さんの句が好きなのは松尾芭蕉さんに代表される正統派の俳句が禅的な単純化を志向して一点だけを注視しながら簡潔に描写しているのに対して、与謝蕪村さんにも通じる季節の出来事に動いた心を素直に表現しているのびやかな作風です。そして何よりも田舎俳諧と見向きもされていなかった小林一茶さんを発掘して高く評価してくれたことも後進として感謝しなければなりません。
松尾さんの「奥の細道」には野僧の出自である出羽を詠んだ秀作が数多くありますが、正岡さんが同じ場所を詠むと別の味わいがあり、その対比で風情が数倍増するのは確かです。例えば我が祖父の出身地を流れる最上川を松尾さんが「五月雨を 集めて早し 最上川」と詠んだのに対して正岡さんは「ずんずんと 夏を流すや 最上川」ときます。最上川の急流は「早し」と言う客観的な説明よりも「ずんずんと」と空気までを詠み込んだ方がその雰囲気が伝わるのですが、その一方で松尾さんの時代は太陰暦なので五月雨は梅雨の時期に当たり、その豪雨が集まれば最上川は激流になるのですが、正岡さんの時代には太陽暦なので五月雨は梅雨入り前の春の雨になり、模倣・踏襲することができず「夏を流すや」になったのかも知れません。また水の在り様を「ずんずん」と表現したのは与謝さんの「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」にも通じる擬音的手法でしょう。
正岡さんの秀作の中で最も有名なのはやはり「柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺」なのではないでしょうか。野僧は奈良の幹部候補生学校に入校中、自転車で斑鳩に行ったのですが、作務衣姿だったため途中の畑で柿をもらい、法隆寺で夕方の鐘が鳴るのを待って山門でかじってみました。すると観光客たちが「ほう、正岡子規だな。風流だな」「『柿くえば』だね。ワシも喰いたい。どこに売ってたんだ」「坊さん、鐘が鳴ってから食べていなかった?」と口を揃えていました。そのくらい有名な句であり、本当に法隆寺に似合う句でもあります。
日本人的には情感を込めて詠うはずの秋の句では「虫の音や 踏み分け行くや 野の小道」「名月や どちらを見ても 松ばかり」などがあり、与謝さんの「西吹けば 東にたまる 落葉哉」、小林さんの「麦秋や 土台の石も 汗をかく」「大根(だいこ)引き 大根で道を 教えけり」と並べれば笑ってしまうような秀作が揃っています。
それにしても日本人はどうしても水墨画や詫び寂びの方向へ進みたがるようで与謝さん、小林さん、正岡さんの句の博多の名僧・仙厓義梵禅師の禅画にも通じる味わいは松尾さんよりも一段低く見られるしかないようです。
病床で「糸瓜(へちま)さいて 痰のつまりし 佛かな」「痰一斗 糸瓜の水も まにあわず」「おとといも 糸瓜の水を とらざりき」の句を遺し、弟子の高浜虚子さんは死に際して「子規逝くや 十七日の 月明に」「桐一葉 日当たりながら 落ちにけり」と詠みました。
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  1. 2017/09/17(日) 09:35:46|
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