古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

9月19日・苗字の日

明治3(1870)年の9月19日(この時は太陰暦でした)に太政官布告「平民苗字許可令」が出されたので「苗字の日」にしています。ところが手続きをする者が極めて少なく5年後の2月13日に「平民苗字必称義務令」が布告されて義務化したのでこちらは「苗字制定記念日」にしています。
野僧の頃は学校の社会科=日本史の授業でも庶民にも苗字を許したことを「身分制度の撤廃」に無理やり結びつけて明治新政府の業績の1つとして紹介していましたが実際は義務化しなければならないくらい不必要な行政命令だったようです。
歴史の授業ではそれまでの苗字は公家や武士などの支配階級か、功績があった庄屋や名主などが名誉として与えられたものと教えていましたが、実際には地主や店主なども屋号として姓を持っていました。その一方で小作人や下働きの職人、奉公人などには屋号がないので「××郷の△△」と地名と個人名の組み合わせでしたがそれで十分でした。
また明治新政府が特別な事情の有無を無視して例外なく強制するのは毎度のことなので、出家して佛道に身を置いている坊主も姓を名乗らなければならなくなり、僧侶としての道号をそのまま使用した浮世離れした苗字ができました。これはチベットやブータン、ネパール、タイやカンボジア、ミャンマーなどの南方佛教の国々でも言えることで、佛弟子や羅漢の名前を姓にしている人物に出会うと思わず「末裔ですか」と訊いてしまい、佛弟子は独身なので子孫はいないので失笑されてしまいました(流石に「オウム真理教のホーリー・ネームのようだ」とは言えなかったのですが)。
しかし、田舎では一族が集落を形成していることが多く、苗字を呼んでも隣近所が全て同姓なので名前になり、他の地域で人物を指定するのにも結局は「××郷の△△」になっています。
江戸時代には年貢・徴税収入を確保するため各藩・領主は庶民を定住させることを促進していたので、260年余りも顔を突き合わせていれば通称としての名前させ知っていれば、どこの誰かは家系から縁戚、個人情報まで熟知しており、苗字などは全く必要なかったのでしょう。
最近、当地で同姓の陶芸家さん(こちらは浄土真宗の寺の息子)と知り合い妙な交流が始まっていますが、どちらも自分の姓が大嫌いで「こんな苗字の家に生まれて可哀想に」と同情していたのです。
野僧の姓は関西の人には上方落語の大名跡「森乃福郎」と呼ばれ、関東の人には次郎長一家のお調子者「森の石松」を仇名にされてしまい、子供たちからは「ある日、森の中、熊さんに出会った」と唄われることになるので嫌だったのですが、アラスカ人の彼女の父親に「イタリア人の姓だ」と教えられてからは大のスパゲティー好きとして少しだけ嬉しくなりました。イタリアの「モリィノォ」姓はイタリア半島付け根のアルプスの山間の街の地名が発祥なので、やはり「森林」と「野っ原」のイメージなのかも知れません。
愚息たちには結婚の条件として相手の姓を名乗り、この忌まわしい姓を断絶することを要求していますが、今のところ予定がないようなのでしばらくは存続することになりそうです。このまま独身でいけば血統が断絶できますがこちらは本人の勝手です。
ところで最近は「苗字」ではなく「名字」と書くことが多くなりましたが、文部科学省あたりから通達でも出たのでしょうか。歴史的には「名字」は平安時代、「苗字」は江戸時代の初期あたりから用いられている言葉ですが明治の通達は「苗字」で出されていますからこちらが正式だったはずです。
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  1. 2017/09/19(火) 09:49:23|
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