古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ956

「この僧院は外国人には解放されていません。ですが私と一緒なら門前までは許されます」これが単独行動なら直接僧侶たちから事情を聴取し、警告を与えることができるのだが監視付ではチベット語を使うことさえできない。.むしろ一見して漢見族の宮志玲と一緒にいるところを見られれば不信感を与えてしまうはずだ。そこに僧侶が1人出てきた。
「何か質問があれば通訳しますが」「うん、この寺院では外国人の修行希望者を受け入れるつもりはないか訊いてくれ」「それは出来かねます」この答えは予想されたものだ。最初のガイドはダライ・ラマの名を出すことを禁じたが、実際にはチベット佛教と外国人の接触を禁じているのだ。そもそも南方佛教では僧侶が女性と話すことさえ戒律に触れるはずなので始めから連れてきた意味がない。やはり志玲は午前中に倉田が僧侶と直接接触したとの報告を受けた政治局員から僧院内に不信感を醸成する任務を与えられたらしい。
結局、オート・リクシャーでラサ市内を回り、中国人が経営する店での買い物を楽しんで夕方が近づき気温が急に下がってきた頃、帰ることにした。
「よろしければ私の手料理でも如何ですか。ホテルの食事に飽きた頃でしょう」倉田がオート・リクシャーを拾うと志玲が誘ってきた。
「独身の女性が恋愛の対象外とは言え男を家に入れてはいけないよ」しかし、倉田は断った。これは日本の相撲的には「はたき込み」と言う決まり手だろう。すると試合巧者の志玲は清純派を演じながらの攻勢に転じた。これまでも志玲は外国の要人の通訳としてラサ市内を案内し、若く清純な乙女を演じることで中年男性を「萌え」させ、半ばレイプのような形で性的関係を持ってきた。このため処女膜再生手術や乳首の脱色処理を繰り返し受けている。
今回は政治・経済に影響力を持つ要人や傘下に引き入れるべき著名人ではないが、中国共産党が何らかの重大な事業を起こそうとしている時期に入域し、素性が在アメリカの華僑の情報網でも確認できない人間として監視対象になっている相手だ。ホテルでの行動も常時監視しているが疑わしい点が全くなく、むしろその完璧さが疑惑を深めているのだ。
「私のこと嫌いですか・・・やっぱりチベットを愛する貴方には私たち中国人が許せないんですね」今度は「かぶり寄り」だ。こうなれば両まわしに手を掛けての「引き倒し」しかない。
「そんなことはないよ。それではお言葉に甘えることにしよう」そう答えると2人は後席に乗り、志玲がチベット語で行き先を指定した。
志玲の住居はホテルに近い一軒家だった。オート・リクシャーを下りると吸い込まれそうな深い目で見詰めてくる。並みの要人なら特別に好色でなくても忽ち籠絡されてしまうだろう。
倉田は運転手に料金とチップを手渡すとパスポートと財布を入れたセカンド・バッグを持ってオート・リクシャーから下りた。
「この家に男性を入れるのは初めてなんです。暖房が効いていなくてゴメンナサイ」玄関を開けると志玲は窓から射している月明かりで息が白くなるような部屋の空気に上着を脱ぐのをためらいながら謝った。一軒家と言っても石垣を積んで壁にしたチベット式の造りではなく、鉄筋コンクリート平屋の人民住宅なので外の気温は大きめの窓から直接影響してくる。すると志玲は突然、上着を脱ぎ落して倉田の前に歩み寄った。
「温めて・・・」志玲の言葉は白い息になって足元に落ちていく。そのまま映画で使えそうな場面だが、それでも倉田はとぼけて「それじゃあ、暖房はどこだ」と訊き返した。

志玲の手料理はおそらく自宅で作って冷凍しておいたもので、電子レンジで加熱するためホテルの料理よりも美味かった。次に志玲は食後酒を用意した。ここからがハニー・トラップの開始だろう。
倉田はテーブルに2つ並んだグラスに細心の注意を払う。若し薬物を投与するのなら怪しまれる酒ではなくグラスに塗布するのが常識だ。おそらく飲む時に口にする縁(ふち)に自白剤や精神を誘導する特殊な薬物が塗られているに違いない。
志玲が紹興酒を注ぐと倉田はつまみを要求した。そうして志玲が立ち上がっている間にグラスに触れて軽く音を立てたが何もしなかった。すると志玲は乾燥した木の実を小皿に盛って来て、皮を剥いて勧めながら本当にさりげなくグラスを交換した。
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  1. 2017/09/24(日) 00:25:25|
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