古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

9月27日・昭和天皇がマックアーサー元帥を訪問した。

昭和20年の明日9月27日に昭和の陛下が占領軍最高司令官であったダグラス・マックアーサー元帥を訪問されました。
マックアーサー元帥は8月30日に専用機「バターン(ダグラスCー54の改装機)」で神奈川県の厚木基地に降り立ち、9月2日に戦艦ミズーリ甲板上での降伏文書への調印式を終えてから東京入りしていました。東京では最高司令部を置いた皇居の前の第1生命ビルに陣取っていましたが、堀を隔てた皇居との距離は果てしなく遠く、着任から1カ月が経過する直前のこの日になって御召車両が正面玄関に横付けしたのです。
この時、マックアーサー元帥はムッソリーニのファシスト政権を支持していたイタリア国王・ヴィットリオ・エマヌエーレ3世がイタリアの国土を舞台にしたナチス・ドイツとの戦争に勝利した連合軍に命乞いと王制の維持を懇願したように陛下も助命と皇位の保障を要請するのだろうと思って出迎えもせずに自室から冷やかに到着を見下していたそうです。敗戦時のイタリア国王が76歳だったのに対して陛下は44歳であり、65歳だったマックアーサー元帥にとっては国を滅ぼした惨めな若き皇帝にしか見えなかったのも当然でした。そのためマックアーサー元帥は正装で訪れた陛下にそれまで宮中では行うことがなかった握手を強制してから記念写真を撮影したのですが、普段着(軍服としても略式=陸・空自衛隊で言う第2種夏服)の元帥は腰に手を当ててふんぞり返り、一方の陛下は呆然としたように半分口を開けた顔で写っておられました。実はこの時、写真は3枚撮影されていたのですが、1枚はマックアーサー元帥が目をつぶっていたため却下、もう1枚は2人とも肩の力が抜け過ぎていて不採用になったそうです。それでもこの写真を見た東久邇宮首相は発禁処分にしようとしたのですが占領軍は許さず、国民は天皇を上回るマックアーサーの威勢を実感し、皇族内閣は退陣したのです。余談ながらこの頃から「朕(ちん=天皇の1人称)の上」を意味する「マックアーサーはへそ」なる珍語が流行しました。
写真撮影を終えた後の雑談でもマックアーサー元帥は通訳に「テル・ザ・エンペラー(天皇に言え)」と命じるような傲慢な態度でした。ところが通訳だけを残して日米の随員を退室させてからの懇談になると陛下はこう切り出されたのです。「私は日本国を代表する天皇としてこの身を貴方たち占領軍の手に委ねるためにやってきました。私自身はいかなる処置をも受け容れる覚悟でおりますが、国民に対しては何卒、格別のご高配をいただけますようにお願いいたします」この言葉を聞いてマックアーサー元帥は冷水を浴びた想いがして、「今、自分はこの国で最高の紳士に会っているのだ」と震えるような感動を味わったと自身の回想録で述べています。
占領軍内では明らかにファシズムに加担したイタリア国王と違って昭和の陛下が軍部を抑制しようとしていたことは周知されており、日本での共産革命を企図していたソ連と国内戦の恨みを抱く中華民国を除けば陛下の戦争責任については否定的でした。つまり大人しくしていれば現状を維持できる可能性は高かったにも関わらず自ら負う必要がない責任に言及し、その代りに国民への救済を要望する国家元首はヨーロッパにも例は思い当たらなかったのでしょう。再び随員たちが入室するとマックアーサー元帥の態度は一変していて、通訳には「ユア・マジョリティ=貴方の陛下」と最高の敬語を使っていたそうです。
この日を境に占領政策は食糧・衣類の配給と医療の充実など国民の救済に重点が移り、マックアーサー元帥自身がアメリカ国内における救済物資のヨーロッパ方面との奪い合いを演じました。
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  1. 2017/09/26(火) 09:28:42|
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