古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ959

3月14日のラサ市内は朝から異様な雰囲気が満ちていた。外国人たちはホテル内に足止めされ、窓に近づくことさえ禁じられた。それでも眼下の市街地から聞こえてくる叫び声に引き寄せられて窓際に出ると外から監視している警察当局の指導が入り、フロントから電話で注意を受けた。
そんな中、倉田は宮志玲の家に泊まり、激しい性交を終えて深く眠っている志玲をベッドに置いたまま僧衣に着替えて、僧侶たちが抗議運動を起こすラサ市内の大通りに向かっていた。
この日もラサ市内の中心地にある普段は市場になる広場で僧侶たちが集会を開いている。多くの僧侶たちを中心にして遠巻きに民衆が注視している前で急ごしらえの壇上から指導者である僧侶が肉声で演説をしていた。
「佛教暦2503(=西暦1959)年の本日3月10日に我が民族を守り慈しむために現れられた肉身の観世音菩薩であるダライ・ラマ14世猊下を殺害しようとする中国共産党の謀略に大衆(だいしゅ)が決起し、武器を前に身を盾にして猊下を救い、ヒマーラヤを越えてインドへ遷座していただいた」通常、僧侶の集会ではシュピレ・コールや拳を振り上げるような戦闘的な行動は取らないのだが外側に輪を作っている若い僧侶たちは興奮したように蛮声を上げ始めた。それを見て壇上の指導者や僧侶たちは驚いたように顔を向けたが叱責する者はいなかった。
「猊下も今は73歳になられている。お元気な間にこの御佛が鎮座する聖なる街・ラサのポサラ宮にお戻りいただくのは我ら民族の悲願であり、我々僧侶の責務でもある」この言葉に民衆たちは両手を天に挙げて嘆きの声を漏らしたが、居並ぶ若い僧侶たちは雄叫びと共に拳を突き上げている。
「すでに猊下がこの地を離れられて59年目となった。60年になるまでに必ずお帰りいただくよう決意を・・・」「ガシャーン」演説が呼びかけに変わった瞬間、背後でガラスが割れる音が響いた。女性たちが悲鳴を上げると数名の僧侶が次の石を拾って広場の奥に連なる中国人が経営する商店に投げ、それを合図にして外側に立っていた僧侶たちが一斉に石を拾い商店に向って投げ始めた。
「バリーン」「ガチャーン」「バリーン」「ガシャーン」広場の周辺の商店の窓は次々と粉々に砕け散り、展示してあった商品にも石が当たり倒れていく。
「止めなさい。暴力は佛祖の御教えに背く行為だ」「我々の抵抗運動を非暴力とすることは何度も申し合わせているじゃあないか」壇上の指導者だけでなく中央に集まっていた僧侶たちも声を上げるが止める気配はない。むしろ下手なチベット語で民衆たちを扇動し始めた。
「お前たちも実力を以って中国人を追い出せ」「圧政を許すな。今こそ報復の力を示すのだ」しかし、敬虔な佛教徒である民衆たちは手を合わせて怖れ慄くばかりだ。すると僧侶の中でも先頭に立って石を投げていた数人が顔を見合わせた後、路上に落ちていた棒を拾って商店に向かって走り出した。それに一緒に石を投げていた僧侶たちも続き、さらに数人の外国人カメラマンが後を追う。このカメラマンたちは外国人が外出禁止になっている中でも何故か許されているらしい。
僧侶たちは破壊した店内に乱入すると手当たり次第に商品を叩き壊し始めた。そんな情景をカメラマンは間近から中継し、記者が正調のイギリス英語で解説している。
「チベットの独立を求める集会に参加していたチベット佛教の僧侶たちの怒りが爆発したようです。会場付近にある中国人が経営する店舗の破壊を始めました」そんなカメラの前で高価な腕時計や装飾品を肩から提げている頭陀袋に押し込む者も現れた。
「とうとう略奪も始まりました。これが佛教の聖地から世界に向かって信仰を説いている宗教者の姿なのでしょうか」記者は暴動に民衆が参加していないことを隠すように僧侶の行動を強調する。チベットとロンドンの時差は約5時間なので朝のニュースまでに編集を終えてスクープとして流すのだろう。そのためには更に衝撃的な場面を演出しなければならない。するとそこに2階の住居から店主が下りてきた。
「止めてくれ。私は貴方たちに何もしていない」「そうだ、僧院に布施をしていないな」「お前は御佛への信仰を持たない守銭奴だろう」そう答えた僧侶2人が棍棒で交互に背中を打ち、店主は前に倒れた。その首筋を草履で踏んだ僧侶の顔を見上げて店主が驚いたように呟いた。
「貴方は蒋2級士長(下士官の階級)・・・」その言葉が終わる前に僧侶は棍棒を振り下ろし、店主は頭から血と脳髄を吹き散らして痙攣を始めた。カメラマンは1歩踏み込んで遺骸になったばかりの顔を大きく撮影したが、記者はマイクを握り締めて絶句していた。
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  1. 2017/09/27(水) 09:47:24|
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