古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ960

イギリス英語で暴動を実況中継している外国人の中にジェームズもいた。勿論、暴力を奮っている現場を至近距離から撮影している国営放送の社員たちに加わることはできないが、怪しまれないように細心の注意を払いながらカメラマンや記者の姿を撮影して回っている。
「この店でも中国人に対する暴行が始まったようです。私たちとしては助けに入りたいのですがチベット人、中でも僧侶たちの怒りは激しいようで、迂闊に制止すれば私たちにも暴力が及ぶかも知れません。このため2008年のチベット民族蜂起記念日にラサ市内で起こっている事実を世界に伝えることを使命といたします」ジェームズの胸には同胞が吐く虚構に満ちた母国語に怒りがこみ上げてきたが、同じ理由を自分に言い聞かせながら「使命」を続けた。
「酷い、酷過ぎる。どうしてここまで残酷になるのでしょうか」この食堂の店主は調理場にあった仕事道具の肉切り包丁で刺殺された。興奮気味に解説している記者の横でカメラマンは店主の遺骸が床を血で真っ赤に染めている惨状を撮影しているが、テレビでは流せないだろう。
「仕方ない。警官隊に鎮圧してもらおう」この集会を指導していた僧侶たちは同じ僧衣を着た暴徒が破壊を始めた現場に駆けつけていたが、その残虐さに説得による制止が無意味であることを覚り、本来は敵である中国の警官隊に鎮圧させることを決めた。
「この騒ぎを聞いて集まっているはずです。若い者を走らせてこの連中が偽物であること説明させましょう」「うん、その方が良いな」責任者がそう答えた時、広場に集まっていた民衆が叫び声を上げた。振り返ると広場に数台の警官車両が乗り入れ、同時に大通りは横一列になった警官隊によって封鎖されている。警官隊は集会の後に行う予定だったデモ行進の経路上に配置されていたはずなので、それをかき集めたとなるとかなり手回しが良い。
「このままでは我々も暴徒として逮捕されてしまいます」「しかし、大衆たちを残して逃げることはできない。若し逮捕されてもBJFがその事実を世界に発信してくれるはずだ」責任者の1人が協力者への期待を口にした時、破壊と商品の略奪を終えた一団が店から出てきた。
「見て下さい。あのカメラにはBJFと記されています」僧侶が暴徒に同行している外国人たちが手にしている機材を指差して叫んだ。それは気づいてはいたが認めたくない事実だった。
警察車両から指揮官のマイク放送が流れ始めた。どうやら鎮圧に向けた攻撃態勢が整ったらしい。
「今よりこの暴動を鎮圧する。お前たち僧侶は店を破壊し、商品を略奪しただけでなく、多くの中国人を殺害した。我々は1名も逃すことなく逮捕し、適切な刑に処する・・・やれ」指揮官の指示を受けて警官たちは先ず広場の隅に立っていた民衆に襲いかかった。それは逮捕ではなく抵抗しない人間に対する一方的な暴行である。警官は家族や仲間を守ろうと立ちはだかる男性を片っぱしから警棒で殴り倒し、逃げ惑う女性も襟首を掴んで引き倒すと足で踏んで地面に押さえつけた。母親に抱かれていた幼子でさえ足を掴んで振り回し、同僚に投げ渡した。
「BJFはこれを撮影しないのか」指導者の呟きに僧侶たちは周囲を見回したが、暴行を働いていた僧侶に扮した暴徒と外国人たちは姿を消しており、広場は完全に封鎖されていた。
「これでは大衆が犠牲になるだけです。我々が楯にならねば・・・」僧侶の1人が自己犠牲を呼び掛けた時、警察車両から下りた部隊が太い鉄製の筒が付いた銃を構えて広場の中央に展開した。その銃口はもう抜けの殻になった商店街に取り残された僧侶たちに向けられている。
「ガス銃だな。催涙ガス弾を発射するんだ」「2503(=1959)年の時には実弾でしたから随分と大人になりましたね」こんな緊迫した事態に陥っても僧侶たちにはどこか達観したところがあり、その皮肉に全員が口元を緩めた時、指揮官の号令でガス弾が発射された。
通常、ガス弾は上方から暴徒の中央に弾着させて催涙ガスの効果をいき渡らせるものだが警官たちは銃口を僧侶に向けて水平射撃してきた。目の前で頭部に直撃弾を受けた僧侶が倒れた。
「大丈夫か・・・」傍らの僧侶が膝をついて手で首に触れて脈を確認したが、力なく首を振った。それにしても催涙ガス弾だったはずなのに足元に転がっている弾頭からガスの噴出音はなく、特有の刺激臭もしない。何よりも警官たちは防毒マスクを装着していないのだ。
「パンッ」「パンッ」ガス弾に続いて警官たちは軽い音を立てる銃を発射しながら横一列になって前進してきた。どうやら治安用ゴム弾を発射する空気銃のようだ。しかし、それはゴム弾ではなく鉄球だった。僧侶たちは地面に腰を下して合掌したまま倒れて行く、これでは銃殺刑だろう。
スポンサーサイト
  1. 2017/09/28(木) 09:59:30|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<果たして高校野球は学校教育の一環なのか? | ホーム | 振り向けばイエスタディ959>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/4167-a8c34f9c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)