古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ961

警官隊の発砲は致命傷にはならなかった。本来はゴム弾を発射するための空気圧で鉄球を射っても重さで飛翔速度が下がり、比例して威力も落ちる。それでも負傷させて苦痛を与えるには十分なので、僧侶たちはその場に倒れて呻き声を上げていた。
そこに10トンのコンテナ・トラックを緑色に塗り、側面に赤十字を入れた大型軍用アンビランス(=救急車)が入ってきた。これは戦闘・災害などで負傷者が同時多数に発生した時の専用車両なので、このような事態をあらかじめ想定していたとしか思えない。
アンビランスは僧侶たちが倒れている商店街の前に停車し、荷台から多くの衛生兵たちが下車して担架を持って駆け寄ってきた。その後をカメラを持った中国人の兵士が追ってくる。
「你還好嗎(ニィハイハオマ=大丈夫か)?」衛生兵たちは負傷者=僧侶を落ち着かせるように北京語で確認してくる。その口調は訓練通りなのかも知れないが目には敵意が満ちており、むしろ「ゾッ」とするような冷たさを感じさせる。何よりも北京語では意味がよく判らない。
「私は後で結構ですから店内で暴行を受けた人たちを先に・・・」僧侶が答え終わる前に脇の下と足を抱えられて担架に乗せられ、僧衣に入り込んでいた数個の鉄球が落ちて音を立てた。
アンビランスの周りでは僧侶たちが医官の応急処置を受けている。重傷なのはガス弾の直撃を受けた者で頭部なら脳挫傷、上半身でも鎖骨や肋骨が骨折している。鉄球の者は比較的軽傷だがそれでも医官と看護兵が僧衣をはがすと全身に発疹のような青あざが広がっていた。
「これは無駄だ。捨てて担架を開けろ。次」医官は手早く負傷者の生死を確認すると事務的に指示していく。指示を受けた衛生兵は少し離れた位置に遺骸を運ぶと転がすように捨てたが、その遺骸の中から弱い呻き声が聞こえていた。
「痛み止めの注射を打つ」「はい、医官」医官が処置を決めると看護兵(看護師の資格を持っている衛生兵)はアンビランスから下ろした金属製のケースの中から注射器を取り出して手渡した。医官は無表情に試し打ちをした後、看護兵が消毒した上腕の筋肉を摘むと機械的に注射をする。それにしても鎮痛剤が静脈注射ではなく、あらかじめ一体化した注射器であることに違和感があるが負傷者には何かを言う権利もない。その処置の様子をカメラマンは何枚も写真に納めた。
数分後、僧侶は意識を失ったのか動かなくなり、他の遺骸と同じように処理された。
その隣りでは路上に散らばったガラスを踏んで足の裏を怪我した僧侶が手当てを受けている。麻酔もかけずにピンセットで破片を取り出す苦痛に僧侶は歯を喰いしばって耐えていた。
「化膿止めを塗っておけ」「はい、上尉」医官は看護兵に指示を与えると立ち上がって次の担架に向い、カメラマンも同行した。その背中を見送った看護兵はゴム手袋をはめてから別のケースから取り出した丸い瓶に入った黄色い軟膏を傷口に塗った。すると僧侶は痛みの代わりに痺れと冷たさを感じ、それが足から下半身、そして胸、頭へと迫ってきて・・・やがて意識が消えた。

倉田が徒歩で会場になっているはずの広場に到着すると異様な光景が広がっていた。広場の中央には動物用の檻が置かれ、中には男女・年齢に関係なくチベット人の民衆が立ったまま押し込まれている。それは立ったままと言うよりも座るだけの広さがないのだ。
広場の入り口を見渡すと大通りの石畳みには多くの血痕が残っており、ここで鎮圧に名を借りた暴行が繰り広がられたことが判った。僧衣姿の倉田はオート・リクシャーを拾うことができず、デモ行進に合流するつもりで経路を逆行してきたのだが各所に配置されているはずの警官や歓声で迎える民衆の姿はなく、気がつけば抗議集会の会場に到着してしまったのだ。
「それで坊さんたちは・・・」広場の中には何台もの人民解放軍の車両が停まっているが、その向うで何が行われているのかを確認することはできない。大型のアンビランスがあるところを見ると負傷者が多数出たことは判る。その割に負傷者を搬送するアンビランスには会わなかったのは不思議だ。この状況に倉田は重大な危険を察知してこのまま徒歩でチベットへ脱出することを決めた。そのためにはもう一度、宮志瑛の家へ向かわなければならないがそれも危険だ。
そこに数名の若い僧侶が駆けつけてきた。僧侶たちは倉田の横で立ち止まり、嘆き声を上げ始めた。
「まさか本当に・・・」「何てことを・・・」「長老・・・」どうやら街中で自分は参加しなかった集会の会場で起こった事態を知り、確認のために来たらしい。
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  1. 2017/09/29(金) 10:39:06|
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