古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ962

「何をやっているんだ」「大衆(だいしゅ=仲間の僧侶たち)はどうしたんだ」若い僧侶たちは軍用車両で遮られているため状況が見えないことに苛立ち始めた。そして互いに目配せをすると揃って歩きだしたが、倉田はこの状況の重大な危険性を察知していたので1人だけ立ち止まっていた。それに気がついた僧侶の1人が振り返って声をかけようとしたが違う言葉を吐いた。
「何だ、何事だ」倉田も驚いて振り返ると背後の道路に広がった背後から数名の警官が迫ってくる。警官たちは即座に拳銃を取り出せるように右手でホルスターの蓋を外した後、両手で警棒を握り直した。つまり完全な戦闘態勢だ。こうなっては逃れようがない。迂闊に抵抗すればそれを理由に暴行を受け、下手をすれば射殺されることになる。
「トウシャン(投降=降服します)」倉田は両手を上げて北京語で申し出た。それを見て警官たちは顔を見合せて嘲笑し、倉田の正面の1名が腰から手錠を取り出しながら歩み寄った。武力紛争関係法では投降した捕虜に手錠をかけることは犯罪者扱いにした侮辱となり、逃走する可能性が高い場合以外には許されていない。中国ではこのような場面でも国際法は通用しないらしい。
自分たちよりも年齢が高い倉田が素直に逮捕されたのを見て若い僧侶たちもそれに倣って手錠をかけられた。こうして4人は手錠を紐でつながれて軍用車両の位置まで連行された。
「これは・・・」車両の影になっていた僧侶たちの遺骸を見て若い僧侶が叫んだ。無造作に転がされている遺骸は紅色の袈裟と黄色い僧衣を赤く血で染めている者がいれば死亡理由が判らない普通の状態の者もいる。ただ血と遺骸から漏れ出た尿や便の異臭が漂っていた。
「封鎖中の地域に不法侵入した現行犯を逮捕しました。暴動の共犯者である疑いがあります」4人を指揮官のところへ連行した警察官は北京語で報告した。これが手錠をかけた理由と言うことだ。つまり警察当局としては僧衣を着た暴徒たちが商店を破壊し、店主を殺害した行為を重大で凶悪な犯罪と断定することで、チベット佛教自体を日本のオウム真理教と同様の凶悪な犯罪組織に仕立て上げようとしているのだ。このため暴動は徹底的に残虐でなければならない。
「封鎖中と言っても阻止線がなく、立ち入りを禁止もされていない。封鎖と言う事実を知ることができなかった我々を犯罪者扱いするのは不当ではないか」突然、倉田が北京語で抗議すると指揮官だけでなく周囲の警察官たちも唖然としてしまった。このような場合、軍人や警察官の心証を害することは避けるのが常識だが、先ほど目にした僧侶たちの遺骸からは武器での無差別な攻撃・暴行だけでなく、薬物などによる殺害の可能性も濃厚に感じられる。であれば自分の生命も風前以上のシャワーの下の灯火であり、その前に筋を貫き通すのが武人の死に際だろう。
「お前はどこで我が国の言語を覚えた。チベットの僧侶でここまで完璧に北京の標準語を使いこなす者はいなはずだ」「そんなことはない。ここにいるじゃあないか」おそらくこの現場指揮官の階級は少校(3佐)程度だ。2等陸佐の自分よりも下位の者を圧倒することくらいは命を捨ててかかれば容易なことだった。他の僧侶たちは倉田の堂々とした態度を修行の結果の境地だと理解したようで、すがるような視線を投げかけてくる。しかし、倉田は自分と同じ運命を辿るであろう若い僧侶たちの顔を振り返ることができなかった。
「お前たちは封鎖地区に警備を配置しなかったのか」「はい、昼食の時間も迫っていましたので交代で喫食させていました」指揮官の詰問に最上位の警察官が決まり悪そうに答えた。それにしてもこれだけ残酷な大量殺人を犯しておきながら平気で食事ができる中国人の神経には恐れ入るしかない。日本人であれば血の臭いを嗅いだだけで食欲は吹き飛んでしまうはずだ。
「そろそろ飯時かァ。早く片づけて我々も食事にしよう」やはり指揮官こそ中国人だ。指揮官用車両の壁の時計を見ると横に立っている私服の男と小声で話し合った。この光景を見て倉田はホテルのフロントでの共産党政治局員を思い出した。このような暴動鎮圧の現場にさえ政治局員が立ち合い最終的な承認権を持っているのだ。
「お前たちの逮捕容疑である不法侵入は嫌疑不十分と判断する。したがってこのまま僧院に送ってやろう」この温情判決に謀略が隠されていることは間違いない。倉田は拒否する理由を考えていたが、通訳のチベット語での説明に若い僧侶たちは安堵の表情を浮かべている。
「待ってくれ。我々はこの事件の実態を確認して長老に報告しなければならない」「それは我々の仕事だ」折角、思いついた理由は指揮官によって簡単に否定されてしまった。
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  1. 2017/09/30(土) 09:25:45|
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