古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ963

倉田は先頭を行く人民解放軍のトラックの助手席の中央に乗せられ、隣の席から指揮官が拳銃を突きつけていた。倉田自身はこのような状況に慣れているが、他の3人の僧侶たちも別のトラックの同じ席に座らされている。彼らは銃口を突きつけられただけで恐怖に慄き、生きた心地がしていないだろう。尤も、どちらにしても長い命ではないのだから死亡時間の前後に大した意味はない。
「お前の僧院はどこだ」出発して間もなく指揮官が訊いてきた。ラサ市内には大中小様々な僧院が数多くあり、倉田はそのどこかの指導者だと思われているようだ。
「私の僧院はラサ市内ではない」「別の街から来たと言うのだな」「今日のために遠路はるばるやって来たのだ」倉田の答えに警察官は疑わしいそうに顔を覗き込んだが表情を変えなかった。
「仕方ない。市街の中心にある大僧院に向かえ」「はい、指揮官」運転手は返事をすると即座にアクセルを踏んで速度を上げた。大通りの歩行者などは引き殺すつもりのように見える。
「僧院で何をするつもりなのだ」「それを私に言わせるのか。お前は我々の動きを完全に見抜いているらしいじゃないか。世間知らずな僧侶にしては中々の鋭さだと評判だぞ」確かに言われなくても判っている。僧侶たちを凶悪な犯罪者に仕立て上げれば、籍を置く僧院を居住地・所属組織として捜索することは当然の処置である。それが捜索だけで済まないことはトラック4台に乗った警察官の人数と武装でも判り切っていた。
倉田が無表情なまま前を見ていると指揮官と呼ばれた警察官は脅しを掛けるためなのか拳銃を脇腹に喰い込ませてきた。しかし、この至近距離で発射すれば倉田の身体を貫通した後、運転手にも致命傷を与えるだろう。つまり射てないと言うことだ。やはり倉田は表情を変えなかった。

「これで本国への送信は完了した」僧衣を着た暴徒たちとその模様を撮影した外国人たちは破壊現場から逃亡した後、裏通りに停めていた中国の放送局から借りた専用車両で画像と音声を母国に送っていた。チベットとイギリスの時差は約5時間なので朝のニュースの準備には間に合っただろう。ただし、この凄惨な映像をどこまで放送できるかは判らない。むしろ地上波のニュースよりもインターネットで流した方が残酷な場面も閲覧者の自己責任にできる上、迅速に世界中へ拡散できるはずだ。おそらく自分たちのチベット入りの背後に中国共産党からの誘いがあったことを察知しながら容認した経営陣もそのように処理するはずだ。
「我が国の人民も14人犠牲になってもらったが、これでマオ・タオシィ(毛同志)の言葉の正しさが証明できたな」「マオ・タオシィと言うのはマオ・ツォトン(毛沢東)のことか」「そうだッ、敬称をつけて呼べ」送信作業を見ていた僧衣を着た男は人民解放軍の下士官の顔に戻って叱責した。
「その毛同志は何と言ったんだ」「宗教は人民を酔わす麻薬だと言ったんだ」「それはマルクスがヘーゲル哲学批判・序説の中で『宗教はアヘン』と言った台詞だが・・・」インテリの記者に指摘されて下士官は言葉に詰まった。同じ台詞をスターリンも演説の中で引用しており、毛沢東はどちらかの請け売りだったようだが、人民解放軍の下士官では上官の教育以上の知識を有しておらず反論できるはずがなかった。
「それでもアイツらがやっていることを見れば末期の麻薬患者みたいなものじゃあないか」「麻薬患者?」「そうだろう。時代をさかのぼるような生活を送って好きな物を食べず、楽しみは全て否定する。まともな神経では考えられないことだ」下士官の断定を聞いて記者は「命令を受ければ罪も恨みもない同胞を迷わず殺害できるお前たちの方が狂っている」と思いながらも、自分の方こそ命令ではなく勧誘を受けてその「犯罪」の協力者になったことを噛み締めていた。

「この僧院を閉鎖する。ここを中央広場で我が国人民14名の殺害と店舗の破壊、商品の略奪を伴う暴動を起こした僧侶たちの居住地として家宅捜索し、お前たちを共犯として取り調べる」指揮官の一方的な宣告に応対した高齢の僧侶は即答できなかった。先ずはチベット佛教の僧侶がそのような暴力行為を犯したことが信じられず、何よりその集会への参加者が誰も返っていないのだ。
「したがって捜索と取り調べが終わるまでの僧侶の居場所を指定せよ」指揮官の北京語をチベット語に翻訳している僧侶はあまりにも一方的な命令に怒りを露わにしたが、高齢の僧侶に目で窘められて感情を抑えた。倉田もチベット人の僧侶としてこの僧院に収監されることになった。
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  1. 2017/10/01(日) 08:47:58|
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