古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

第60回月刊「宗教」講座・カソリック教団

日本人のカソリックに対する認識は欧米に比べて極めて特異です。現在、全人口の中でカソリックとプロテスタントが占める割合は、ヨーロッパではカソリックが半数なのに対してプロテスタントは30パーセント程度、北アメリカではカソリックが50パーセント超、プロテスタントは40パーセント超です。ところがスペインとポルトガルの植民地であった中・南アメリカやフィリピンでは90パーセント超になっています。そして現在のローマ教皇はアルゼンチン出身です。一方、日本ではクリスチャン自体が0・3パーセントに過ぎませんからわざわざカソリックとプロテスタントに分類するほどの数字ではなく、本来は「そんな人もいるのか」と存在を忘れてしまっても良いはずなのです。ところが日本人に染みついている舶来物を有り難がる気質を狙っているのか京都の寺の梵鐘よりも長崎の教会のチャペルを「異国情緒」などと売り出す観光業者が後を絶たたず、おまけに日本人は宗教と儀式を同義語だと思っているところがあり、ステンドグラスが美しい聖堂でパイプオルガンの伴奏で女性聖歌隊が合唱する賛美歌に陶酔してしまいがちです。その異常な観光事業を知事や市長が率先して推し進めている長崎でもカソリックの信者は全県民の4パーセントに過ぎないことを再認識するべきです。
ヨーロッパでも宗教改革が勃興し、プロテスタントが発展した北部の国々ではカソリックはカミの名を用いて人間の尊厳を踏み躙った悪の宗教と処断されています。人間を戒律で縛り、14世紀から17世紀にかけて異端審問と呼ぶ魔女狩りが横行した時には残酷な拷問によって自白を強要しただけでなく、水の中に投げ入れてカミの救いがあるかを確かめ、運よく浮き上がれば逆に悪魔の仕業として処刑する宗教裁判によって中世を暗黒の時代にした大罪を忘れるべきではありません。それだけではなく自分で作った身分の上下の中の最高位にある者として広大な荘園を領有し、その巨大な財力と権力の争奪を闘争を繰り広げた堕落した宗教なのです。実際、20世紀に入ってからもバチカン内の不正を検証し、組織改革に着手しようとした教皇は状況証拠から見て暗殺されたことは明らかなのですが、バチカン自体が独立国であるため闇に葬られています。さらにカソリックはイスラム教徒の手に陥っている聖地・エルサレムの奪還を企図したローマ教皇の命により、十字軍を派遣して経路上に在ったイスラム教徒の都市、集落、住宅を破壊し、財物を奪い、婦女子を凌辱する非道の限りを尽くしました。これらの罪をローマ教皇が認め、謝罪したのは20世紀最後の年になってからでした。また、大航海時代の幕が切って落とされ、ヨーロッパ諸国が世界各地を植民地化していった際の大義名分はカソリックの布教でした。
ところが日本では九州で宣教師の中心人物と面会した豊臣秀吉が、「布教のために来日した」と言いながら乗ってきた船は重武装した事実上の軍船であることを確認した上、領主から庶民までが宣教師を主君のように臣従していることを目の当たりにしたことで、その本当の目的である侵略的意図を察知して、禁教したことで難を逃れたのです。おまけに島原などでの殉教者を聖人扱いして強固な信仰を崇敬するようになっていますが、人数で言えば加賀や石山、長島などで繰り広げられた一向一揆での門徒の方が遥かに多いのですが歴史教育では無視しています。
日本でカソリックが禁じられている間にヨーロッパでは宗教改革の嵐が吹き抜けてカソリックも重大な危機感を持って自己改革に取り組んだのです。このためキリスト教が解禁になった明治の時点のカソリックは宗教改革で糾弾されたような政治権力や利権の争奪に明け暮れていた姿は影を潜め、むしろ日本人の目には厳格な戒律を守る伝統に基づいた正統派のキリスト教に映ったようです。このため全国各地にカソリックの修道院が作られ、その修道院での清廉で真摯な生活を踏襲した大学も設立されていくのですが、その人気を不動の物にしたのは神道のトップの後継者であるはずの皇太子が結婚した相手が幼稚園から大学までカソリックの一貫校で学んだ女性だったことでしょう。
なお、ローマ・カソリックは三国軍事同盟の一角であるイタリアのベニト・ムッソリーニ統領と強調しいたため、日本のナチズムである国家神道も弾圧・迫害を遠慮したようです。今回も北から順番に紹介していきます。
○藤(ふじ)女子大学 
この大学は札幌市北区と北海道石狩市に所在します。1925年にカソリックでもドイツの「聖ゲオルギオの聖フランシスコ修道会」から派遣された3人の修道女によって設立されました。当初は高等女学校だったのですが、敗戦後の学制改革で女子中学校と女子高等学校になり、1950年に短期大学を設立、1961年から4年制を併設し、2000年からは4年制大学と中学校・高等学校の一貫教育に移行しています。
○天使大学 
この大学は札幌市南区に所在します。敗戦後の1947年にローマの「マリアの聖フランシスコ修道会」によって設立されましたが、その名の通り「白衣の天使」を専門的に教育しており、全国唯一の看護栄養学部で看護師、栄養士、管理栄養士を育てているだけでなく大学院には「助産研究科」を設置して高度な専門知識を有する助産婦も養成しています。※函館にあるトラピチヌス修道院はフランスに本部を置く「厳律シトー会」に所属していますから、この2つの大学とは直接の関係はありません。
○仙台白百合女子大学
この大学は仙台市泉区に所在します。その名の通り1992年になって後述する東京の白百合女子大学の仙台分校として設立されました。ただし、前身の仙台女学校は1893年の設立であり、戦前の一時期は文部省管轄の高等女学校になっています。
○上智大学 
この大学は東京都千代田区に所在します。日本のカソリック系としては珍しく男子修道会である「イエズス会」を母体としています。イエズス会と言えば初めて日本に来た宣教師であるフランシスコ・ザビエルが所属していた会派であり、教皇庁に対して「日本人には他のアジア人にはない真摯な信仰の資質があり、首都に神学・医学・法学を教える高等教育機関を設立するべきである」と提言していたことから、上智大学もその歴史の起源をザビエルが来日した1549年としています。ただし、実際の大学設立は1906年になってローマ教皇がイエズス会に対して日本への総合大学の設立を要請し、2年後にドイツ人、フランス人、イギリス人の宣教師が来日したことから始まりました。そして戦前から私立大学として認定されており、敗戦後も早々に新制大学になっています。
野僧の友人が入学していたため、東京へ行った時にシャワーを借りに行ったことがあるのですが、野僧が中退した大学は旧陸軍の師団司令部跡だったため広大な敷地に鉄筋コンクリートの3階建てまでの校舎と古びた旧兵舎が点在していたのに比べ、狭い敷地に所狭しと高い校舎が建ち並び、テニス・コートは皇居の石垣の下や校舎の間に設置されていて、「都会の大学って窮屈だな」と言うのが感想でした。我が山形県出身の故・渡辺昇一先生が教鞭を取っておられたことを補足しておきます。
○聖心女子大学 
この日本で最も有名なお嬢さま大学は東京都渋谷区に所在します。1916年にフランスの女子修道会「聖心会」が設立した高等女学校を前身として敗戦後の1948年に4年制の女子大学に移行しました。国際連合難民高等弁務官だった緒方貞子さんはその1期生だそうです。
この会派は世界各地で活動しており、42カ国に170の姉妹校があるそうです。しかし、神道のトップの妻は幼稚園から大学までここで学び、カソリックに染まり切っているはずなので、夫がトップに就いてから異常な頻度で大規模災害が続発しているのは土着の八百万の神々がお怒りなのでしょう。
○清泉女子大学 
この大学は東京都品川区に所在します。母体としているのは「聖心侍女修道会」ですが、こちらは1877年にスペインのマドリードで設立され、現在はローマに本部を置いていますから「聖心会」とは別の組織です。1932年に来日した3人の修道女が東京府の麻布に高等女学校を修了した女子を対象として設立した寮制の学校が敗戦後の1950年に大学になりましたが、空襲で校舎が消失していたため当初は神奈川県の横須賀で始まりました。現在の場所に移転したのは1962年になってからです。
○白百合女子大学 
この大学は東京都調布市に所在します。前述の仙台白百合大学の本校に当たります。1881年にフランスの「シャルトル聖パウロ修道女会」から派遣された3人の修道女によって設立された高等女子英和学校が前身とされますが、フランスから来た修道女が何故、英語を教えたのかは謎です。敗戦後の1950年に短期大学になり、1965年に4年制に移行しています。
この大学で興味深いのはジャンルダルクの白百合を模した学章です。欧米諸国では聖者に列せられていてもジャンヌダルクはやはり血生臭い武人であり、信仰の対象としては敬遠されているようですが、やはり母体である「シャトル聖パウロ修道女会」がフランスの組織であるため認識を異にするのでしょう。
○東京純心大学 
この大学は東京都八王子市に所在します。カソリックにとっては殉教者を出し、禁教を受けても信仰を捨てなかった隠れ切支丹が住む聖地である長崎で初めて日本人の司教が誕生した時に設立された「長崎純心聖母会」が母体になって、一九六三年に東京純心学園として設立されました。当初は高等女学校でしたが、1967年に短期大学、1982年に4年制大学、そして1986年に中学校を開校して中高大学の一貫教育の学校となっています。
○聖マリアンナ医科大学 
この大学は神奈川県川崎市宮前区に所在します。この大学の特色としては日本でカソリックを母体とする医療活動を展開するために設立された「聖マリアンナ会」が開戦間際の1941年に横浜市中原区に設立した東横病院を起源としていて、その後、川崎市宮前区に移転した東横病院(現在の東横恵愛病院)が開学したことでしょう。このように民間の病院が開学した医科大学は同じ川崎市の川崎医科大学と埼玉医科大学だけなのだそうです。ところで開学当初の名称は東洋医科大学でしたが、中国伝来の漢方式医療やインドのアーユルヴェーダーを教えていた訳ではないでしょう。
○清泉女学院大学 
この大学は長野市に所在しますが、東京の清泉女子大学と同じ「聖心侍女修道会」を母体として2003年に設立されました。主に看護系の教育を行っているようです。
○南山大学
この大学は名古屋市昭和区と愛知県瀬戸市に所在し、野僧が高校生だった頃には「愛知県内の私立大学では最もレベルが高い」と言われていました。ところがここの学生たちは妙に「上智大学と兄弟校である」ことを自慢していて「お前たちには県下トップとしてのプライドはないのか」と腹を立てていた記憶があります。愛知県から東京であれば距離、交通の便を考えてもそれ程の遠方ではなく、そこまで上智大学に憧れるのなら本家本元の方に入学すれば良いのです。それも愛知県人特有の異常な地元への執着に原因があるのかも知れません。
1932年にドイツの修道士会「神言会」から派遣された宣教師が現在の所在地の近傍に設立した南山中学校を発祥としています。この校名はこの土地が「南山(みなみやま)」と呼ばれていたことに由来します。ただし、当初の経営母体はカソリック名古屋教区でした(上智大学とはカソリック同士と言うことで兄弟校になっている)。戦時下にはこの中学校を名古屋市に移管させられますが、敗戦後には取り戻し、新制高等学校、外国語専門学校を併設すると同時に経営母体を「神言会」に移し、1949年に4年制の南山大学を開学したのです。ちなみに人文学部キリスト教学科は司祭養成コースになっているようです。
○京都ノートルダム女子大学 
この大学は京都市左京区に所在します。1833年にドイツの修道女が女性の教育確立と向上を目的に設立した「ノートルダム教育修道女会」のアメリカ支部が派遣した4名の修道女によって1852年に設立されたノートルダム女学院中学校が発祥です。それから1953年に女学院高等学校、1954年に女学院小学校を設立し、1961年に4年制大学を開設しました。
○神戸海星女子学院大学
この大学は神戸市灘区に所在します。1951年に「マリアの宣教者フランシスコ修道会」を母体として設立された海星女学院を前身とします。その後、1955年に短期大学、1965年に4年制大学を開学しました。経営母体である「マリアの宣教師フランシスコの会」は1877年にローマで設立された修道女会「マリアの贖罪会」がインドでの宣教に失敗して帰国し、1882年に最大の宣教師会である「フランシスコ会」と合併したことで誕生しました。その後、1900年に中国で発生した義和団事件で7人の修道女が殉教しています。
余談ながら長崎市と三重県四日市市にある海星高等学校もカソリック系で三重の方は一時期、南山大学の付属高校でした。
○ノートルダム清心女子大学 
この大学は岡山市北区に所在します。1886年にフランスの「ナミュール・ノートルダム修道女会」を母体として設立された私立岡山女学校を前身としています。その後、校名を清心高等女学校に変更し、敗戦後の1949年に4年制のノートルダム清心女子大学を開学しました。
○エリザベト音楽大学 
この大学は広島市中区に所在します。「イエズス会」を母体と1963年に開学していますが、学名はカソリックの聖人ではなく後援者であったベルギーの王太后に由来します。それにしてもベルギー王室はアフリカの植民地で人類史上他に類を見ない原住民の大量虐殺を行っていますが、そんな家系の人物の名前をキリスト教系と名乗る大学に用いても良いものなのでしょうか。
○聖カタリナ大学 
この大学は愛媛県松山市に所在します。「聖ドミニコ宣教修道女会」が1966年に短期大学を設立し、1988年に4年制の聖ドミニコ女子大学を開学、2004年に男女共学に移行したため現在の名称になりました。この経営母体である「聖ドミニコ会」は1206年の設立で「聖フランシスコ会」と並ぶ長い歴史を有する修道士会ですが、厳格な戒律保持を自己に課すと共に信者にも強要したため中世の異端審査、宗教裁判では検事兼判事兼拷問の立会人を務めることが多く、カソリック内でも表では畏敬を受けても裏では敬遠され、プロテスタントでは「カソリックの悪事の実行犯」として忌み嫌われています。ちなみに愛知県岡崎市の生徒が「聖女生徒」と呼ばれナンパが禁じられていたカソリック系の女子高も「ドミニコ会」傘下であり、この大学の姉妹校になっています。
また学名の由来となっている聖カタリナは14世紀に実在した女性で、6歳の時にイエスに会ったと信じ込み、7歳でイエスの母・マリアに「私の処女は貴女の息子に捧げます」と誓い、18歳でドミニコ修道会に入信したのです。その後は食べた物を吐いてまた食べるなどの極端な禁欲生活を送り、奇跡とされている異常行動を繰り広げたのですが、教皇とイタリアの諸侯との権力抗争に利用され、苦悩の内にイエスと同じ年齢の33歳で死にました。果たして日本の若き女性たちをこのような人生に導いて良いものなのでしょうか。
○聖マリア学院大学 
この大学は福岡県久留米市に所在します。1915年に久留米市太刀洗(隠れ切支丹の潜在地域)で医院を開業していた信者が地元カソリック教会の援助を受けて1953年に設立した聖マリア病院=「雪の聖母会」を母体にしています。2006年に看護師養成を専門にした短期大学として開学し、2010年に4年制に移行しました。
○長崎純心大学
この大学は長崎市に所在します。母体は東京純心大学と同じく「長崎純心聖母会」ですが、こちらの方が古く1935年に設立された純心女学院を前身としています。
1945年8月9日にカミの名を以って投下されたプルトニウム爆弾によって壊滅的打撃を受けますが、敗戦後の10月には大村市の海軍工廠で再開しており、1947年に改編した純心女子専門学校を1950年に専門学校を短期大学にしています。そして1994年に4年制の長崎純心大学を併設しました(後に短期大学は廃止)。
○鹿児島純心大学 
この大学は鹿児島県川内市に所在します。カナダの「ホーリー・ネームズ修道会」が1933年に設立した聖名高等女学校を前身にしていますが、1940年に「長崎純心聖母会」に移管されたため鹿児島純心高等女学校に改称しました。敗戦後の1948年には鹿児島純心女子高等学校となり、1961年に短期大学を開設し、1994年になって4年制の鹿児島純心女子大学を開学しました。
鹿児島県は島津藩主が禅宗に深く帰依していた上、一向一揆の波及を恐れたことで浄土真宗を禁教したため切支丹と同様の探索と弾圧が行われていました。したがって明治の解禁は「隠れ門徒」に歓迎され、キリスト教が入る余地はなかったようです。強いて言えば廃佛毀釋で土着の信仰まで禁止されたことで島を訪れたカソリックの宣教師に村長が騙されて村中を入信させてしまった奄美大島の龍郷町なら入学希望者がありそうですが川内市では離島との交通の便が悪いのでどうでしょう。
60a・上智大学昭和57年当時の上智大学(テニスコートは堀の跡)
60b・正田美智子この女性に日本人は騙された?(本人に罪はないが)

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  1. 2017/10/01(日) 08:51:56|
  2. 月刊「宗教」講座
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