古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ971(かなり事実です)

「ガラスを割れないか」倉田は数少ない活路を探したが経蔵の中には使えるような棒や固形物はない。こうなれば熱を帯びているガス弾を叩きつけることだ。倉田は本棚を下りると床に伏せて咳込んでいる僧侶たちの間を抜けて音をたよりにガスを噴出し続けているガス弾を手に取った。両目は涙が止まらず視力は失われていた。
「ジュッ」掌がガス弾に貼りつき肉が焦げる嫌な臭いを立てた。ガス弾自体は天安門でも使用した重迫撃砲で発射して大規模な暴徒の中央で炸裂させる軍用らしくかなりの重量がある上、手の激痛に耐えながらでは持ち上げることはできない。倉田は数十年ぶりに空挺魂を燃え立たせた。
「クーテー(空挺)、セイエイ(精鋭)」口の中で気合いを入れる呪文を唱えながらガスを噴出して掌を焼き続けているガス弾を脇に抱えると片手で棚を持って上に登り始める。脇の下でも皮膚が焦げる音がして激痛は脊髄から脳を貫いた。それでもこの呪文を唱えれば生命さえも超越した力と勇気が湧き起こり、あらゆる苦痛や困難、恐怖をも打ち砕くことができる。
「クーテー、セイエイ」その間にも僧侶たちは床に倒れ、もがき、動かなくなっていく。倉田自身も気管から胸部に激痛が走り、意識が遠くなっていくのを感じていた。
「クーテー、セイエイ・・・」あと数段と言うところで倉田は崩れるように下に落ちた。脇の下から離れたガス弾は床に倒れている僧侶の背中を直撃したが動かない。すでに命が尽きてしまったようだ。倉田も数人の僧侶の背中の上に落ちたが何の反応もなかった。
「ハツコーカー(初降下)、二―(2)コーカー、サン(3)コーカー・・・」落ちる時、無意識に空挺降下の番号呼称をしていた自分に気づき、僧侶たちの背中に座りながら倉田は自嘲していた。
倉田はアメリカの第101空挺師団で業務研修した時、同じ機体から飛び降りた兵士の傘が開かず烽火(のろし)を上げて(=長い布を引いて落ちる姿からの隠語)落下するのを目撃した。無事に降下している仲間たちは「無駄だ」と判っていても必死になって両手を伸ばし、烽火を掴もうとする。そんな仲間の間を抜けて落ちていく兵士を見送った時のやり切れない気持ちを思い起こした。
あの時の木っ端微塵に砕け散った遺骸が空挺隊員の死に様なのだとすればガス室で殺される自分は幸せなのかも知れない。そう思った時、倉田は僧衣の下に隠していた携帯電話を思い出した。そして室内の様子を動画で送信することを決めた。送信先はアメリカで帰りを待っているつれ合いのジェニファーだ。僧院内では携帯電話を充電できないためどこまで送信が続くか判らないが、多分、命が尽きる方が先だろう。

ニューヨークでは9時間の時差で深夜に倉田の送信が届いた。それでもジェニファーは倉田からの着信曲「空の神兵」で目覚め、むしろ嬉しそうに枕元から携帯電話を取った。
「ハロー、ダーリン」しかし、それはメールだった。ジェニファーは枕元の灯りを点けると携帯電話を操作する。すると「TETSURO」と言う名前の後に文章が表示された。
「この動画を今、チベットで行われている事実として世界に向けて発信しろ。アイ・ラブド ユー」短いメールに続く動画は受信継続中の表示が出て現時点では再生はできない(当時のアメリカ製の携帯電話では)。それを待っている間にジェニファーはささやかだが重い1つの言葉の意味を考え込んでいた。徹郎は「アイ・ラブド(愛していた)・ユー」と過去形を使っている。これが一般的な男女であれば「別離」を意味するだけなのだろうが、決して明かさない徹郎の仕事を考えると「死」を告げたことになる。その前の「チベットで行われている事実」と言うのもニュースで報じている僧侶による暴動のことではないはずだ。
ジェニファーは動画の送信が終わるのを待ち続けたが、やがて徹郎の携帯の電源が切れたことを表示して停止した。これも停止の操作ができなかったことに他ならず現実は確定的だ。
それでもジェニファーは胸に一縷の望みを抱きながら動画を再生してみた。すると薄暗い部屋の中で紅色の布をまとった僧侶たちが折り重なって倒れ、その向こうで「ガスが漏れる」、と言うよりも「噴き出す」ような音が入っている。徹郎の声が入っていないところを見ると送信の操作を終えたところで倒れたのかも知れない。
「テツロー、アイ・ラブ(愛している)・ユー」ジェニファーは徹郎の過去形が「自分を解放する」意味であることを察して携帯電話を頬に当てながら泣いた。
JenniferBeals.jpgイメージ画像
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  1. 2017/10/09(月) 08:47:43|
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