古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

東京ロマンチカのボーカル・三條正人さんの逝去を悼む。

ムード歌謡の人気コーラス・グループ・鶴岡雅義と東京ロマンチカのボーカルを務めたこともあった三條正人さんが10月5日に亡くなったそうです。74歳でした。
野僧の母方の女性陣は大の歌謡曲好き揃いで、祖母は美空ひばりさんに橋幸夫さん、舟木和夫さん、五木ひろしさん、細川たかしさんなどの演歌を中心に世代を問わず、母親は橋幸夫さんと舟木和夫さんから沢田研二さん、さだまさしさん、大塚博堂さん、サザン・オールスターズなどと子供の影響も受けつつ幅広く、上の叔母は橋幸夫さんと舟木和夫さんからあおい輝彦さん、フォーリーブス以降のジャニーズ系統(特に50歳を過ぎてからは香取慎吾さんの追っかけを始め、テレビのファン選手権に出演して優勝しています)、そして下の叔母は橋幸夫さんと舟木和夫、西郷輝彦さんの御三家から西条秀樹さん、郷ひろみさん、野口五郎さんの新御三家へ走り、ミーハー路線をまっしぐらでした。
そんな中、4人ともムード歌謡が大好きで中でも鶴岡雅義と東京ロマンチカは娘たちの注文で祖母がレコードを買ってカセット・テープに録音して配るほどでしたから家で聞く羽目になっていた野僧も小学校時代には愛唱歌にしていました。
野僧の場合、高校時代から親の反対と厳命でつき合っていた彼女と引き裂かれることを繰り返していたため、勉強をしながら「愛しながらも親(本当は『運命』)に負けて 別れたけれど心は一つ・・・ああ今でも愛している 君は心の妻だから」と唄って泣いていました。現在は人を愛することができない同居人を押しつけられているので愛蔵しているカセット・テープで三條さんの甘いボーカルを聴くと亡き妻の面影がよぎり涙をこぼしてしまいます(この歌には限りませんが)。
東京ロマンチカは作曲家の鶴岡雅義さんが結成したコーラス・グループで当初は専属のボーカルなしでゲストの歌手の後ろで鶴岡さんがギターを弾き、メンバーがコーラスを唄って作品を発表する演出でしたが、昭和42(1967)年に「小樽のひとよ」が大ヒットすると三條さんをボーカルに迎えて独自のグループとして活躍するようになったのです。その翌年に「君は心の妻だから」も大ヒットして人気は不動になりましたが、自分自身が火をつけたムード歌謡ブームによってコーラス・グループが乱立するようになると次第にヒット曲に恵まれなくなり、そんな昭和49(1974)年、前年に女優の香山美子さんと結婚していた三條さんがソロに転向してグループから離脱するとサブ・ボーカルとしてコーラスとは別に三條さんとデュエットしていた浜名ヒロシさん(2008年没)がボーカルを務めることになりました。ところが昭和53(1978)年に三條さんは出戻って再び浜名さんとデュエット状態になりますが、この頃になると母方の女性陣も「後ろ足で砂をかけるようなことをしておいてよくも」と歌とは別の理由で嫌悪するようになり、高校になっていた野僧も深夜放送では聴くこともなく縁は切れてしまいました。
実際は昭和57(1982)年に再び三條さんがソロになり、浜博也さんが加入したそうですが、野僧が赴任した沖縄のカラオケでは復帰前のヒット曲はあまり知られておらず、北海道から来ている先輩が時折、「小樽のひとよ」を唄うくらいでした。しかし、流石に沖縄で「逢いたい気持ちがままならぬ 北国の街はつめたく遠い・・・小樽は寒かろう沖縄も(本当は『東京も』) こんなにすばれる星空だから」と言われても実感が湧叶ったのは当然です。
実は今年に入ってから再放送の「開運!何でも鑑定団」にゲストとして出演しているところを見たのですが、あまり調子が良いようには見えずやはり死因となったマントル細胞リンパ腫は進行していたのでしょう。ご冥福を祈ります。
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  1. 2017/10/12(木) 10:01:19|
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