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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月16日・ニュルンベルク裁判のA級戦犯の死刑が執行された。

1946年の明日10月16日にナチス・ドイツの戦争責任のみを裁いたニュルンベルク裁判で死刑判決が出ていたA級戦犯12名のうち前日に服毒自死したヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング国家元帥と行方不明のまま告訴されていたマルティン・ルードヴィヒ・ボルマン官房長官(後に1945年5月2日にヒトラーの遺体を運び出して荼毘=焼却処分した後、青酸カリで自死していた遺骸が発見された)の2名を除く10名の死刑が執行されました。
ニュルンベルグ裁判にA級戦犯として起訴されたのは前述のボルマン官房長官、ゲーリング国家元帥の他にヒトラー総統から死に際して大統領に指名されたカール・デーニッツ海軍元帥、ハンス・フランク法律アカデミー総裁、ヴィルヘルム・フリック内務大臣、宣伝省の新聞及びラジオ局長だったハンス・フリッチェ、ヴァルター・フンク経済大臣、ルドルフ・ヘス総統代理(=副総統)、アルフレード・ヨ―ドル陸軍上級大将、エルンスト・カルテンブルンナー国家保安本部長官、ヴィルヘルム・カイテル陸軍元帥、重工業企業グループの総帥であるグスタフ・クルップ、労働戦線指導者だったロベルト・ライ、開戦前のコンスタンティン・フォン・ノイラート外務大臣、フランツ・フォン・バーベン副首相、エーリッヒ・レーダー海軍元帥、開戦後のヨアヒム・フォン・リッペントリップ外務大臣、ナチス党の外交政策の指導者だったアルフレート・ローゼンベルグ、フリッツ・ザウケル労働力配置総監、ヒャルマン・シャハト経済大臣、ヒトラー・ユーゲンスの指導者だったパルドゥール・フォン・シーラッハ、オーストリアにおけるナチスの指導者で首相にも就任したアルフトゥル・ザイス=インクヴァルト、アルフレッド・シュペー軍需大臣、そして反ユダヤの新聞社を経営していたユリウス・シュトライヒャーなどの手当たり次第状態でこのうちホフマン官房長官、フランツ法律アカデミー総裁、フリッツ内務大臣、ゲーリング国家元帥、ヨードル陸軍上級大将、カルティンブルンナー国家保安本部長官、カイテル陸軍元帥、リッペントロップ外務大臣、ローゼンベルク党外交政策指導者、ザウケル労働力配置総監、ザイス=インクヴァルト(オーストリア)首相、そしてシュトライヒャー新聞経営者の12名に死刑判決が下ったのです。
日本の東京裁判で死刑になったのは東條英機首相(陸軍大将)、土肥原賢二陸軍大将、松井石根陸軍大将、武藤章陸軍大将、板垣征四郎陸軍大将、木村兵太郎陸軍大将、広田弘毅首相(開戦前)の7人で文民は広田首相だけなのと比べるとナチスの罪は国家ぐるみであったと見るべきなのかも知れません。
ただし、ニュルンベルグ裁判は近代法学の総本山であるドイツで行われていただけに公判中の段階からその正当性に疑問が示されていました。その問題点とは連合軍側の戦争犯罪を不問に伏したことや勝者側のみの判事の中立性への疑念もありますが、何よりも法学上の不可逆性の原則(新たに制定した法律で過去の行為を罪として裁くこと)に背くことが大きく、ニュルンベルクと東京の両裁判で被告人たちを訴追した「平和に対する罪」「人道に対する罪」は開戦時にはどこの国家でも提起されておらず、敗戦国の政治と軍の最高指導者を裁くために急遽、創作した口実に過ぎないのは明らかです。
ニュルンベルグ裁判では弁護側がこの問題を強く主張したのですが、「ナチスの罪を裁く」と言う大義名分の前に押し切られ、東京裁判では日本陸軍に同様の罪を科すため南京事件が捏造されることになりました(存在した人数よりも多くの人間を大量殺害することは絶対に無理です)。
野僧は国内留学した横田基地の米空軍憲兵隊で個人的に両裁判の死刑囚の執行前後と遺骸の写真を見たことがありますが、落ち着いて刑を受け、穏やかな死に顔だった日本側に比べてナチスの戦犯の方は悲惨でした。
  1. 2017/10/15(日) 00:31:34|
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