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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月20日・松根油等緊急増産対策措置が決定した。

大日本帝国が燃料枯渇に苦しむ中で迎えた昭和19(1944)年の明日10月20日に最高戦争指導会議で松根油等緊急増産対策措置要領が決定しました。最高戦争指導者会議と言うのは東條英機内閣の退陣を受けて成立した小磯国昭内閣がこれまでの大本営政府連絡会議を改称したもので、内閣総理大臣、外務大臣と陸軍大臣、海軍大臣、そして参謀総長(陸軍)、軍令部総長(海軍)の6人で構成されていましたが、このうち陸海軍大臣は政府側とは言え軍の代表でもあり、小磯首相も陸軍大将でしたから本当の文官は重光葵外務大臣だけです。
松根油は樹齢10年以上の木の根の部分を掘り起こして木片にした上で蒸留用の缶に入れて加熱し、その蒸気から得た水滴を精製して製造します。ただし、元来は水を弾く性質から漏水防止用に継ぎ目の補強材として使用されており、「これを燃料に転用しよう」と提案したのは同じく燃料不足に悩んでいたナチス・ドイツから噂程度の情報を得た海軍でした。日本はベトナムやインドネシアからの輸入航路がアメリカ海軍の潜水艦によって遮断されていたのですが、ナチス・ドイツはルーマニアなど東欧からの陸路輸送だったはずなので、このような窮余の策を研究するほど追い詰められたのは近代戦では機械力の発揮が不可欠なため燃料の使用量が日本とは違うのでしょう。
しかし、これは松根油の実用化の確証もないままの決定であり、こんな対策を本気で採用しなければならないほど日本は追い詰められていたと言うことです。実際、航空燃料として使用すると配管が詰まってエンジンが停止してしまい、戦後に占領軍がジープで試しても同様の結果になったような発動燃料として使い物にならない代物でした。おまけに樹齢10年以上(若木では含有量が半分以下になる)の松の根1本で精製できる松根油は飛行時間20秒以下の分量です。松根油は樹液や松脂(まつやに)と混同されることが多いのですが、樹液は根が吸った水分が幹を通って枝葉に流れる糖などを含む液体で全くの別物です。松脂は松明(たいまつ)の燃料になり、松根油も精製できますが含有量はわずかなので燃料としては期待できません。
この決定を受けて翌年の3月16日に植樹を含む(「緊急」と謳いながらも大変に長期的な対策措置だったようです)松根油等緊急増産対策措置要領が閣議決定され、全国規模で松の伐採と根の掘り起こしが開始されましたが、その労働力は国民に勤労奉仕として科されたのです。ちなみに学徒動員されて航空機搭乗員としての教育を受けていた予備学生たちもこの作業に参加させられており「自分たちが乗る航空機は松の根っこの油で飛ぶのか」と聞いて愕然としたそうです。
さらに乏しい金属を使って2320個しかなかった蒸留用の缶を20倍以上の46978個も製造して全国に配り、こうして始まった松根油の製造は現地での第1段階として軽量油を精製し、これを三重県四日市市と山口県徳山市にあった海軍工廠に集めて水素化合物などを混合する第2段階の工程を経て航空燃料にする計画でした。ところが両海軍工廠は空襲による被害が深刻で本格的な製造には至らず、「徳山で500キロリットルが製造されただけだ」と言われています。その一方で「製造量は20万キロリットルに達した」との証言もあり、報告用の数字と記録用の数字が大きくかけ離れていたようです。
余談ながら仙台市御立場町の当時は有名だった松並木は全て伐採されてしまったそうですから戦争が長引いていれば日本三景の松島や羽衣伝説の美保の松原、旧東海道の御油の松並木も危なかったかも知れません。これが松ではなく杉根油で全国の杉を大量伐採していれば花粉症対策にはなったでしょう。
  1. 2017/10/19(木) 09:01:19|
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