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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ987

チベット問題は北京オリンピックの出場選手の話題が報道番組の中心を占めるようになると急速に鎮静化してしまった。
「MI6のジェームズから会いたいとの連絡が入っているのですが」杉本が工藤に報告すると倉田=村田2佐を死なせる原因を作った人間の名前に元同僚たちは複雑な反応をした。
「用件は何だ」工藤も感情を押し殺して答えたが、胸の中では村田を引き留められなかった自責の念と危険な任務に巻き込んだMI6への怒りが交錯しているのが判った。
「若し、村田2佐に遺族がいるのなら雇用関係を結んだマスコミとして弔慰金を手渡したいと言うのです」杉本の説明に岡倉と松本はジェニファーの顔を思い浮かべて顔を見合わせた。
村田の遺作となった動画をジェニファーが投稿した後を引き継いだ杉本はそれを捏造とする投稿を詳細に分析し、両者を比較する解説記事を掲示して情報工作であることを明らかにした。
一方、イギリスに帰ったジェームズも暴徒とされる僧侶の顔とラマ市内で撮影した人民解放軍の兵士の顔を比較する画像を投稿してイギリス・ジャーナリスト連盟の批判報道の虚偽を証明して見せた。その結果、北京オリンピックの聖火リレーはヨーロッパ各地で激しい抗議運動に晒されたのだが、それでも参加拒否にまで至らなかったのはインターネットの個人投稿と大手マスコミの影響力と信頼度の違いだろう。
「そう言えば日本も善光寺が聖火のスタートを拒否しましたね」「右翼の過激なジャーナリストが『国辱だ』って騒ぎたてたことで抗議の手紙や電話が殺到したんで、寺としても動かざるを得なくなったみたいです」「そうですか?私は若手の坊主たちが『佛教に対する弾圧を許すな』と決起したと聞きましたけど」アメリカでは台湾が聖火リレーの通過を拒否したニュースが先行しており、日本がそれを受け入れたこと自体を否定的に報じていたため長野での出来事はそれ程の大きな扱いはされていなかった。話が完全に反れてしまったところで工藤が元に戻した。
「弔慰金を受け取るのは良いが、パートナーに村田2佐の死をどう説明するつもりなんだ」「それは自分とジェームズで詰めて思想統一を図ります」杉本の返事に工藤は反応しなかった。まだこの話を受けることを決めておらず、担当者を指名していないのだ。
「要するにジェームズの雑誌社の依頼でヒマラヤの撮影の経験がある山岳写真家の倉田哲郎がチベットへ行った。そこで暴動に見せかけた弾圧に巻き込まれたことにするんだろうが、僧院の倉庫の中で死んだことの説明がつかないぞ」「死んでいたのは全て僧侶でしたから・・・」「村田さんも僧侶に化けていたと考えるのが普通ですね」工藤と岡倉、松本の意見を杉本は黙って聞いている。どれ程知恵を絞っても「僧侶に化ける」と言う異常な行為の必然性が思いつくはずはない。
「それに村田2佐が出発前にどのような説明をしていたのかも判らないでしょう」「氏名は浦田徹郎と名乗っていたようです」「パートナーはアフリカ系女性専門のファッション雑誌の編集長ですが、雑談をしていてもガードが固くてむしろ村田2佐が秘密保全について指導していた可能性があります」村田がどのような形で軍事的な秘密保全を語っていたのか判らない以上、組織を守るためには弔慰金だけを送らせて顔を知られている岡倉と松本が届けるのが無難な線かも知れない。
「よし、私がジェームズに同行しよう。相手の女性の人格を見極めた上で話せる限りの真実を説明する。信用ができない相手なら黙って金だけを置いて帰ることにする」突然、工藤が結論を出した。工藤は困惑している3人に独り言のように理由を説明した。
「インドシナ紛争の時には陸軍中野学校出身者たちが自衛隊に籍を置かないまま情報任務に就いていた。そして北ベトナムの戦力や兵員の練度、基本戦術に関する情報を収集してアメリカに送っていた。そして多くが還らなかった」この話は何度か聞いたことがある。しかし、「時代が違う」と若い3人は思っていた。
「その時も相手によっては真実を教えて協力者に取り込んだんだ。それが現在の広範な人脈につながっている。村田のパートナーがジャーナリストなら利用価値はあるんじゃあないか」この冷徹な計算を聞いて3人は工藤が情に溺れたように誤解していたことを心の中で詫びた。
実は工藤は遠からずこの職を退任し、後は村田に譲るつもりだった。それが頓挫した以上、老骨に鞭を打たざるを得ず、しかもソ連が崩壊してからは最大の軍事的脅威となっている中国の専門家を養成しなければならない。その人選について東京からは何も言って来ていなかった。
  1. 2017/10/24(火) 09:00:43|
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