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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ989

「何か質問はありますか」ジェームズの説明が終わったところで工藤がジェニファーに訊ねた。ジェームズは自分の雑誌社と村田の契約内容、取材目的、現地での行動などを「自分もチベットへ取材に行っていた」と断った上で説明を始めたが、中国当局の監視が厳しかったためは別行動だったとも言っていた。これは事実なのだがジェニファーが信じるかは別の話だ。
「あの人が最後に送ってきた動画は倉庫のような暗くて狭い部屋でした。それに倒れている人たちの服装はチベットの僧侶のものです。どうしてそんなところにいたのでしょうか」これは予想された疑問だった。少しでも想像力が働く者であれば動画に映っている場面で撮影者が置かれている状況を推理するはずだ。ましてやジェニファーは雑誌編集者と言うジャーナリストの一員なのだ。工藤はこれまでの発言を思い起こしながらカップに残ったコーヒーを飲み干した。
「貴女の夫の本当の名前は村田達郎と言います。貴女がその村田が最後まで愛し、信じた女性だからあえて質問に答えるのです」工藤の言葉にジェニファーは表情を引き締めて膝の上で手を結び、ジェームズは空になった自分のカップをもてあそびながら視線を反らした。
「村田は以前から中国によるチベット人の迫害に憤っていて今回の蜂起記念日に大規模な抗議行動を起こすと聞いて実態を探るために潜入すること決めました。彼の会社からの取材依頼は格好の理由になったのです」工藤が無難な落とし所を作ったのを聞き、ジェームズは横顔で安堵の表情を見せた。しかし、ジェニファーはやはりジャーナリストだった。
「実態を探るためにチベットの僧院にまで潜入する必要があるものでしょうか。そこまでやるからにはもっと重大な任務があったと見るのが自然です。例えばCIA(中央情報局),例えばNSA(国防総省の国家安全保障局)、例えばBDS(国務省の外交保安局)・・・私は日本のそれに当たる部署だったのではないかと考えています」これは村田が身分を漏らしたのではなくジェニファーのジャーナリストとしての研ぎ澄まされた直感と取材力が発揮された結果だろう。若し、人格に信用が置けない判断すればこの場で命を奪うしかなくなった。ジェームズは冷たい目で工藤を見たが、横顔の表情は変えていない。
「そうです。村田は個人資格で情報活動を遂行していたのです。日本には公的な情報機関はありませんから」工藤の答えを聞いてジェニファーは自分が負った責任を自覚したように重くうなずいた。
「するとやはりエアボーン(空挺)だったんですね。彼が好きだった歌は日本のエアボーンのものですから」そう言ってジェニファーは携帯電話で村田専用の着信曲を再生して聞かせた。それは日本の戦時歌謡曲で第1空挺団の部隊歌にもなっている「空の神兵」だった。
「この女性を戦力化できれば・・・」工藤はジェニファーをスカウトしたいとの衝動を抑えながら面談を終えた。

「モリヤ2佐、今から殉職者の供養はできないか」突然、法務官に声を掛けられた。自衛官の宗教行為は憲法第20条の末尾「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」の一文によって事実上は禁じられている。それが陸上自衛隊の法務を統括する最高責任者から要望されたのだ。私としては遠回しに予防線を張るしかない。
「できないことはないですが、あくまでも個人的な趣味の披露としてです。副業になりますからお布施は受け取れません」「誰もお布施を出すとは言ってないぞ」法務官の呆れたような返事に少し気分が楽になる。そんな私の顔を見て法務官は打診を命令に変えた。
「それでは幕長室で頼む」「へッ?幕長室でですか」「うん、今から一緒に行くから準備をしろ」私としては市ヶ谷駐屯地にある殉職自衛官慰霊碑の前で読経するつもりだったのでこれは驚きだ。それでもアタッシュケースから数珠と香合、略威儀、そして浄土宗の経本を取り出してポケットに入れるとドアの前で待っている法務官の後に従った。
供養は陸上幕僚長室の隣りの応接兼会議室で行われる。ソファーの半分を部屋の隅に運んで参列者が立つ空間が作ってあり、そこには部長たちが集まって沈痛な表情で黙って待っていた。
正面の白いシーツを被せた台には殉職自衛官の慰霊行事で使われる香炉(基本的には献花だが遺族の要望によっては焼香を行う場合もある)やロウソクまで持ち込まれていて、その中央には人事記録用の写真を拡大コピーした胸に空挺徽章を着けた若い幹部の遺影が飾られていた。
  1. 2017/10/26(木) 09:36:13|
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