fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ990

私はロウソクに火を点けて香炭を焼き、焼香の準備を整えた。角香炉の抹香は綺麗に揃えてあるが所詮は素人の仕事で、微妙な盛り上げ方の作法は判っていないようだ。
「この方のお名前は」「ここでは必要ないだろう」「それでは御宗旨は?」「浄土真宗のようだ」私の確認には人事部長が答えたが氏名や階級を教えないところを見ると難しい立場の隊員らしい。本来であれば法要の功徳を回向する相手の名前は必要なのだが遺影を見ながら念ずることにする。
浄土真宗と聞いて頭の中で段取りを組み立ててみたが似て非なる点も多く、詠み慣れている浄土宗の四誓偈=浄土真宗の重誓偈(ちょうせいげ)と佛説阿弥陀経を勤めることにした。
やがて副官がドアを開け、参列者は自動的に姿勢を正した。やはり法要の場に「部隊、気をつけ」の指示と号令は場にそぐわない。
幕僚長は厳粛な空気をさらに重くしながら列の右に立ち、その隣りに副長、以下各部長と監察官、法務官、刑務管理官が並び、副官は退室した。私は自衛隊式に「実施します」と申告するべきか迷ったが失笑を買いそうなので黙ったまま合掌し、節度なしで45度の敬礼を行った。
法要は香を焚くことから始まる。浄土宗に回数の決まりはないが浄土真宗は1回なのでそれに従った。
「願我身浄如香炉 願我心如智恵火 念念梵焼戒定香 供養十方三世佛」そして香偈を唱える。
「奉請十方如来 入道場 散華楽、奉請釋迦如来 入道場 散華楽、奉請弥陀如来 入道場 散華楽、奉請観音勢至 諸大菩薩 入道場 散華楽」続いて佛さまと菩薩さんを招く四奉請だ。そして佛さまを讃える歎佛偈を唱えると前置きは終わる。それにしても鐘や木魚などの鳴らし物がないので今一つ調子が出ない。せめて戒尺を持ってきていればと残念に思った。
「それではご焼香をどうぞ。それぞれの宗旨の作法で結構です」勤経、回向が終わり、中央を外して並んでいる偉いさんたちに声をかけると幕僚長が私に向かって手を合わせて深々と頭を下げた。やはり気分では「お導師さま」になっているようだ。
こうして全員が焼香を終えたところで再び中央に出て焼香すると、念佛を唱えて合掌、低頭(ていず)する三礼、そしてお招きした佛さまと菩薩さんに亡くなった者を連れてお引き取りを願う送佛偈などを唱えて法要は終わる。それにしても亡くなった人物について教えてもらえなかったので阿弥陀佛さまに紹介もできなかった。その点だけが気がかりな法要になってしまった。

「それでは失礼します」「ちょっと待て」法要を終えて会議室から退室しようとすると幕僚長に引き留められた。確かに法要の後には供養として食事接待などを受けることが多いが、これはあくまでも私のワンマン・ショーだったはずだ。各部長たちは窓際で談笑しているがそれに加わることができる身分ではない。すると監理部の陸曹たちが入室してきて手早くソファーを元の位置に戻した。
そうして参列者全員が自分の席に着くと私は法務官に手招きされて幕僚長の正面対角位置の席に座らされた。この席は正面に裁判長、両側に検察・弁護が並んでいた法廷の被告人席を思い出させる。続いて2人のWACがコーヒーを配り、上座から順番にそれを飲んだところで開廷だ。
「モリヤ2佐、君が善光寺の聖火リレーの拒否を扇動したらしいな」やはり裁判、と言うよりも軍事法廷のようで、裁判長の代わりに幕僚長が罪状認否を始めた。
「いいえ、私は僧侶たちに実際の出来事を説明して資料を提供しただけです」「それを扇動と言うんだろう」私の弁明を隣りの副長が否定する。これから2等陸佐が政治的活動に関与した規律違反の事情聴取が始まるのかも知れない。しかし、私は軍事法廷が開かれた時、判事を務めるために陸上幕僚監部に配置されているはずだ。ならばこれは裁判官の罷免の可否を審議する弾劾裁判だろう。
誰も言葉を発しないため部屋の中が急に暗くなったように感じる。すると幕僚長が口元を緩めた。
「何にしても良くやってくれた。今日の法要の前に彼の供養をしたようなものだな」「はい、彼の無念も少しは癒えたことでしょう」突然、幕僚長と副長は私を誉めてくれた。両側の各部長たちもうなずいているところを見ると供養したのは中国に関係する事件で死亡した人物のようだ。
「ところで趣味で坊主をやっているモリヤ2佐がどうやって善光寺の若い坊さんたちを扇動したんだ」「君の宗教は曹洞宗だったはずだろう」監理部長と人事部長が連続攻撃を仕掛けてきた。
「そうでした。うっかり宗旨を変更した手続きを忘れていました」やはり雑談のような雰囲気の中で事情聴取が行われている。これは裁判での攻防戦の訓練になりそうだ。
  1. 2017/10/27(金) 09:35:24|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<振り向けばイエスタディ991 | ホーム | 振り向けばイエスタディ989>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/4230-e3626196
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)