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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月10日・精進料理の大家・梶浦逸外猊下が遷化した。

昭和56(1981)年の2月10日に精進料理の精神=心得だけでなく具体的な技法から多くのレシピまで説き示された大家にして臨済宗妙心寺派の25世師家(管長)でもあった梶浦逸外=霧隠軒・逸外宗實猊下が遷化されました。84歳でした。
精進料理と言うと日本では道元の「典座教訓(てんぞきょうくん)」ばかりが持て囃されていますが、公家のお坊っちゃまである道元自身が調理場=典座(曹洞宗では「てんぞ」)に立って実際に料理の腕を振るった記録はなく(腰巾着で大佛寺=永平寺2世の孤雲懐奨が記した道元の言行録「正法眼蔵随聞記」にもない)、また典座教訓を含む「永平大清規」や「普勧坐禅儀」の大半は中国の禅宗からの盗作ですからやはり中身はありません。兎に角、精神論ばかりで「献立は5味(甘・酸・塩・苦・旨)5色(赤・黄・藍・白・黒)を基本とせよ」と言いながら具体的にどの材料をどう調理するのかは全く説かれていないのです。それに対して梶浦猊下の名著「精進料理の極意」は全編が体験談で、しかも自分自身の失敗談を教訓として紹介しておられるため曹洞宗の本山や僧堂でも典座になった修行僧に古参が「これを読んでおけ」とコッソリ手渡してしました。そう言えばレシピ本である「精進料理口傳」も必ず書棚にありました。
梶浦猊下は明治29(1896)年に愛知県で生まれ、臨済宗大学=現在の花園大学に在学中から大徳寺で川島昭隠猊下の薫陶を受けています。その時、初めて茶碗蒸しを作ったそうです。精進料理の茶碗蒸しは鶏卵ではなく豆腐や湯葉の素麩(ソップ)に昆布か椎茸の出汁と醤油を混ぜて作るのですが、具を入れて蒸しても中々固まらず、それが気になって何度もふたを開けるため益々固まらなくなり、煮えなかった具を抜いた単なる豆腐の固まりになってしまいました。また台湾の妙心寺派の布教監督をしていた梅山玄秀老師が川島猊下を訪ねてきた時、外国帰りの老師を驚かせようと悪戯を仕掛けたそうです。それは鮪の刺身、鰻の蒲焼き、蒲鉾の煮抜き卵と言う魚三昧のフルコースでした。勿論、精進料理で魚を使うはずがなく、鮪の刺身は小豆を茹で、その紫がかった赤色の上汁を別の器に取り、さらに茹でると色が濃くなってくるのでその都度別の器に取っておいて、最後の残った半液状の汁を寒天と一緒に煮溶かして重箱に流し込むのです。同じく別の器にとっておいた汁で寒天を煮溶かして上に重ねていくと鮪の赤身のようになります。一方、鰻の蒲焼きは水を絞った木綿豆腐に山芋を混ぜて練り、それを焼き海苔に厚く塗りつけ、鰻状に筋をつけて焦げ目がつくまで焼きます。焼き海苔が鰻の皮、山芋の繊維が小骨のような食感になるのです。ただし、滋養強壮の夏バテ防止になるかは不明です(多分、駄目でしょう)。梶浦猊下は自信満々、期待にワクワクしながら梅山老師に料理を出したところ川島猊下は「坊主が偽物を作るとは何事だ」と大喝を喰らわしたそうです。
その後、川島猊下が本山の師家から若い頃に修行した臨済宗の奥の院・正眼寺僧堂に移ったのに同行して、ここで本格的に典座(臨済宗では「てんざ」)になりますが、典座教訓を奉じて「典座が最も修行になる」と言っている曹洞宗でも典座出身の管長猊下は聞いたことがありません。その点、臨済宗は「道」を尊ぶ宗風が堅持されていたのでしょう。
  1. 2018/02/10(土) 09:23:56|
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