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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月18日・スコットランド女王・メアリー・スチュアートが処刑された。

1587年の明日2月18日(グレゴリオ暦)にスコットランド女王・メアリー・スチュアート陛下が亡命先のロンドンで処刑されました。
いきなり余談ながら野僧の沖縄時代、行きつけのスナックのマスターがカクテル作りに凝ってしまい練習作品を試飲する羽目になったのですが、「ブラッディ・マリー」と言うトマト・ジュース=10(比率)に40度のウオッカ=4・5とレモン・ジュース=0・5を加え、さらに塩、胡椒、タバスコで味つけするカクテルを出しながら「斬首されたスコットランドのメアリー女王の血に由来する」とウンチクを語ったのですが、本当はカソリック教徒として父王・ヘンリー8世が創設したプロテスタント=イギリス国教会の信者300人を処刑したメアリー1世の残虐さを揶揄した命名のようです。
メアリー女王は1542年にスコットランド王・ジェームズ5世とフランスの有力貴族出身のメアリー王妃との間に生まれましたが、6日後に父王が崩御したため新生児で女王に即位したのです。こうして王女を飛び越したメアリー女王が成長していくとイングランド王・ヘンリー8世が食指を伸ばしてきました。ヘンリー8世は生まれてくる男子が相次いで早逝しており、残った男子は先天性梅毒で病弱なエドワードだけだったためメアリー女王と結婚させてグレートブリンテン島を2分するイングランドとスコットランドを1王による連合国家にしようと画策したのです。これを察知した母親は母国であるフランスに王太子との結婚を申し込んで阻止したもののイングランドの攻撃を受けてフランスへ亡命することになりました。こうしてメアリー女王は王太子とノートルダム大聖堂で結婚し、間もなくフランス王妃にもなったのですが、即位した夫は国王としての武威を保とうと無理な鍛錬を重ねたため16歳で亡くなってメアリー女王は18歳で寡婦になったのです。
その頃、スコットランドにはドイツから宗教改革の風が吹き始め、ブラッディのメアリー1世の下、カソリックに復帰していたイングランドに対してプロテスタン信者が反乱を起こしたためスコットランドへ戻ることになりました。そこで問題になったのが呼び戻したのはプロテスタントでありながらメアリー女王はカソリックであることでした。
そんな不安定な地位にありながらもメアリー女王は自由に振舞い始め、若い有力貴族と再婚し、その再婚相手との仲が冷めると音楽家と愛人関係になり、やがて男子を出産したのです。この男子が現在のイングランド+スコットランド=イギリス王家の始祖・ジェームズ1世なのですが、父親が夫なのか愛人なのかの議論は当時からあったそうです。勿論、メアリー女王自身は「夫の子供」と主張していました。
ところが夫が殺害されて別の貴族と再々婚すると国民の不信・不満はイングランドの扇動工作も加わって反乱になり、メアリー女王は反乱軍に投降して廃位させられ、宿敵であるエリザベス1世を頼ってイングランドに亡命したのです。ところが独身のエリザベス1世の王位を継承する権利を公言するようになったことで危険視されるようになり、処刑されてしまいました。メアリー女王のデスマスクは現存しているので実際の顔立ちが判るのですが、現代の感覚でも大変な美人で多くの男性を虜にしたこともうなずけます。
メアリー・スチュアート
  1. 2018/02/17(土) 09:23:19|
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