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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1105

「僕は古い歌だけどお願いします」銀縁メガネは2杯目に違う銘柄の洋酒を頼み、美恵子が水割りを作っている時にリクエストしてきた。
「黒の舟歌」この長谷川きよしの「別れのサンバ」と並ぶ名曲は沖縄でも唄う客が多く、美恵子は自分のために作った主題歌のように思っている。
「男と女の間には 深くて暗い河がある 越すに越されぬ河なれど エンヤコラ今夜も舟を出す ロウアンドロウ ロウアンドロウ 振り返るな ロウ」歌詞が流れる画面には暗い夜に細い三日月の光に照らされた川面が映っている。沖縄にはない広い川幅の風景に美恵子は前夫と住んだ本土の風景が重なり、目つきが暗くなった。
「あれから幾年漕ぎ続け 大波小波 揺れ揺られ 極楽見えたこともある 地獄が見えたこともある ロウアンドロウ・・・」まるで三途の川を舟を漕いで渡っているかのような唄い方に今までは反応しなかった客たちも拍手した。
「ママさんが唄うと歌詞の主人公みたいで本当に感激します」「僕たちはカラオケで唄うんですがやっぱり本当に地獄を見た人には敵いません」「ママさんの歌を聴けただけで来た甲斐がありました」これも彼らとしては誉め言葉なのだろう。美恵子はもう1つグラスを出すと氷を入れ、水道の水を注いで飲んだ。客足が消滅して1ヶ月、氷は製氷機が自動的に作り、ミネラル・ウォーターは水道水をろ過するだけだが、ウーロン茶は品切れなのだ。
「最後に動画を撮りますからお願いします」美恵子に暗い歌を10曲以上も唄わせ続け、店の空気が重くなり切った後、肥満体が頼んできた。
「これで終わりだよ。流石に私も喉がおかしくなってきたさァ」そう答えて美恵子は水を飲み、3人は顔を近づけてコソコソと相談して曲を指定した。
「赤色エレジー」このあがた森魚の名曲も愛唱する客がいる。そんな客たちは幸子を美恵子の源氏名の美智子に代えて唄っていた。そう言えば前夫は三浦リカ主演の映画「サチコの幸」が好きで学生がいない時期の当直の前日に防府のレンタルビデオ・ショップで借りて部隊でダビングしてきていた。それを思い出して美恵子の目が再び険しくなった。
「愛は愛とて何になる 男・一郎 まこととて 幸子の幸は何処にある 男・一郎ままよとて・・・」疫病神が手を伸ばして画面を見ながら唄っている美恵子の顔を携帯電話で撮っている。他の2人は音をさせないように水割りを飲んでいる。この撮影には何か特別な意味があるのかも知れない。
「貴方の口からさよならは 言えないことと想ってた 裸電灯 舞踏会 踊りし日々は走馬灯・・・」美恵子にとって「さよなら」を告げられたのは矢田の方だった。前夫は何故、あそこまで優しくしていながら矢田に走った自分を責めなかったのか。
「幸子と一郎の物語 お涙頂戴ありが・・・」そんな疑問が胸に迫ってきて最後までは唄い切ることはできなかった。

「これがカッチンのママ・玉城美恵子さんだ」数日後、インターネットの例のサイトに美恵子の画像と動画が貼り付けられた。
「嘘!こんな可愛い顔して42歳なのか」「俺のタイプだ。街を連れて歩きたい」「唄う声も可愛いじゃん」「これって何て言う歌?」3人は沖縄への突撃取材を予告していたのでたちまち書き込みが始まった。
「これはあがた森魚の『赤色エレジー』だ」「この名前は何て読むんだ」「『もりお』だよ」「曲名は『せきしょくエレジー』だぞ」「へーッ、『あかいろ』じゃあないんだ」話題は美恵子から動画の歌に向かっていく。ところがそこに最初の取材目的を持ち出す奴が現れた。
「本当に精純そうなのにこれでセックスに狂っているのか」確かに薄化粧で髪形も普通にしている美恵子は年齢よりも若く精純そうに見えるから新聞の記事やテレビのワンドショーで取り上げられ、インターネットで素行を書き込まれているような淫乱な性悪女とは思えない。
「そうだった。男の上に乗って責め殺したんだろう」「不倫して沖縄へ逃げて来たんじゃあなかったか」同調した書き込みも先細りから尻切れトンボになり、さらに変質した。
「うーん、この人が若い頃ならレイプしたい」「今でも良い」「美熟女、大好き」「ハメ撮りはどうした」書き込みが危ない方向に暴走し始めた時、不可解な文章が入った。
「玉城美恵子さんの店は那覇市のどこですか」それは台湾の広東語から日本語に訳した書き込みだった。投稿者名は「DS(=ドラゴン・スピリッツ?)」とある。初めて見る名前だ。
「那覇市のバスターミナルの近くのテナント・ビルの2階です」誰かが無責任に答えた。
三浦リカ映画「サチコの幸」より
  1. 2018/02/20(火) 09:30:55|
  2. 夜の連続小説8
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