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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1106

あの3人組が来て以来、美恵子の店には本土からの観光客が集まるようになっている。ただし、来店の目的は美恵子に暗い歌を唄わせることで理由を訊いても「ネットで見た」と口を揃えるばかりだ。
「今日、お葬式をします どうぞ涙は流さないで なぐさめの言葉も要りません ただ名もない花を一輪 今日、お葬式をします 私の愛が死んだのです・・・お棺は秋の木の葉を二枚 そっと包みましょう 壊さないように 白い煙は哀し過ぎます どこかの小川に流しましょう・・・」 これはウィッシュの「御案内」だ。同じように暗い歌をリクエストしても女性客の場合は美恵子の気持ちにも響く優しさがある。
「ママさんも愛を失った時、泣きましたか」東京からの2人組の女性客はどちらも同棲していた男に捨てられたのだ言う。しかし、美恵子はそんな女心は持ち合わせていない。
「泣いていても何にもならないさァ。出て行った男の荷物を捨てたらそれでお仕舞い。今日からの生活のために頑張るだけだよ」それは美恵子が真剣に人を愛することをしないからできる切り替えなのだが2人は感心したようにうなずいた。
「ママさんは集団レイプされたんですよね。同じ女として絶対に許せないし、深く傷ついたんだろうなって心から同情しています」「あんなのは相手が知らない男だったと言うだけのことさァ。夫だろうと知らない相手だろうとやられることは同じだよ」こう答えた美恵子の顔を見て2人はそれが強がりではないことを察して「感心」の次の段階「感動」をした。
「どうしたらママさんみたいに強くなれるんですか」「私もママさんみたいに前向きになりたいんです」この2人は自殺サイトにアクセスしようとしていたのかも知れない。それが美恵子の話題を選んだことで繰り返し悲惨な目に遭いながらも全くめげていない図太い人間性に救いを求めたらしい。
「そんなの考えるからいけないのさァ。頭なんて髪形と帽子のお洒落を楽しむためにあるんだよ。軽ければ軽いほど楽でしょう」この偉そうな御託宣はそれを実践していた結婚生活を経験している被害者には許し難い暴言だが、この2人は神のお告げのように受け取った。
「私、彼が初めてだったんです。結婚しようと一生懸命尽くしてきたのに他の女を作って・・・でも考えるのは止めます」そう言って1人は他のお客のボトルで作った薄めの水割りを飲んだ。するともう1人が深刻な顔をして告白を始めた。
「私は彼の店の借金を背負ってしまって・・・」「私だって旦那がヤクザの女に手を出して脅し取られた金を肩代わりさせられたさァ」やはり何を言っても悲惨さでは敵いそうもない。2人は顔を見合せて敗北を認めるようにうなずいた。
「それじゃあ景気づけに明るい歌でも唄おうか」それを見て美恵子は自分からマイクを持って声をかけた。元々が能天気なだけに明るい歌のレパートリーには不自由しないのだ。
「いいえ、私たちに似合う歌をお願いします」「今の気持ちをこの歌に込めて・・・」しかし、2人はそう言うと研ナオコの「かもめはかもめ」を指定した。
「諦めました貴方のことは もう電話もかけない あなたの傍に誰かいたら 羨むだけ哀しい・・・この海をなくしても 欲しい夢はあるけれど かもめはかもめ 独りで空を行くのがお似合い」今回は2人が唄ったが、美恵子には「諦める」と言う感覚が判らない。諦めるのは何かを期待するからであって始めから期待しなければ裏切られることはないはずだ。
確かに前夫には自分の仕事を応援してくれることを期待して裏切られたが、矢田には快楽だけを求めていたから終わってもそれまでだった。国際通りで妻と歩いているのを見て怒ったのは所有物を奪われたことへの怨嗟であって嫉妬ではない。しかし、そんな難しいことを考えるのも無駄なことだろう。

「すみません。玉城美恵子さんのお店ですか」ある日、1人の男性客が来店した。暗い歌の愛好者は単独行動をしないらしく1人で来るのは珍しい。しかし、その言葉には聞き覚えのある癖があった。
「はい、そうです。お客さんは台湾の方ですね」「・・・スー(是)」美恵子に指摘されて客は戸惑った後、中国語で認めた。
「ウォー・チャン・シンピン・ゴンスー・デ・グウユエン(我 周食品公司 的 雇員=私は周食品社の社員です)」いきなり中国語で自己紹介されたが美恵子に理解できるはずがない。返事をしないで睨みつけると男は愛想笑いを作りながら言い直した。
「私、台湾の周食品社の社員です。今日は御案内に来ました」死んだ周志竜の会社の社員だ。
  1. 2018/02/21(水) 09:23:49|
  2. 夜の連続小説8
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