fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月1日・スマランの慰安所でオランダ人女性が客を取った。

昭和19(1944)年の明日3月1日からインドネシアのスマラン(現在はジャワ州の州都になっている)慰安所で17歳から28歳のオランダ人女性35名が慰安婦として客を取るようになりました。
日本が第2次世界大戦に参戦して約1ヶ月が経過した昭和17(1942)年1月11日に今村均中将が指揮する帝国陸軍第16軍がボルネオ島の北東にあるタラカン島に上陸を開始してインドネシア方面での蘭印作戦が始まりました。作戦は順調に推移して3月1日にはジャワ島に上陸し、9日にオランダ軍が降伏したことで日本の占領下に置かれることになったのです。大本営の戦略目標では開戦から120日間でオランダ軍を降伏に追い込む目算でしたが、それが92日間と大幅に短縮できたのには今村中将の卓越した作戦指揮だけでなくオランダの植民地政策が極めて苛酷であったため現地民の激烈な反発を買っており、進んで日本軍に協力したことが大きかったと言われています。
現在も帝国陸軍切っての常識人と評されている今村中将の占領政策は現地視察に訪れた大本営参謀から「手ぬるい!」と非難されるほど人道に配慮した国際常識に則ったもので、逆にジュネーブ委員会の視察団からは「理想的な処遇である」と称賛を受けました。ところが今村中将が転任し、次第に戦況が悪化すると糧食や生活物資などの補給が滞るようになり、捕虜や保護している文民に対する処遇も低下し、日本の軍人たちも精神的な余裕がなくなったことで人道的な配慮を見失うようになっていきました。
そんな中、現地で開業していた慰安所の日本人の慰安婦たちの間で性病が蔓延したため兵士たちに利用させることができなくなり、精神的に追い詰められると性欲が昂揚する人間の本能から勘案すると「現地女性の強姦」と言う軍の規律においては絶対にあってはならない事態が発生する危険性が高まってきたのです。これを受けて占領軍は新たな慰安所を設置することを決定したのですが、すでにアメリカ軍の潜水艦によって日本からの航路は遮断されていたため娼婦を連れた売春業者を誘致することは不可能であり、慰安婦を現地調達せざるを得なくなりました。そこで目をつけられたのが文民として保護されていたオランダ人女性たちで、始めは公募しましたが誇り高きヨーロッパ人が劣等民族である日本人に抱かれる仕事を志願するはずがなく、担当者の焦りもあって「脅迫や強制が行われた」と戦後のB・C級戦犯の裁判や近年の国連人権委員会の調査では断定されています。しかし、刑事裁判では「被害者本人の証言は怨嗟による誇張があるので信憑性は低い」とされるのが法慣習であり、逆にそれだけを根拠に多くを処刑したオランダ軍の軍事法廷と国連人権委員会の調査は「国際法慣習・常識から逸脱している」と断罪し返すべきでしょう。
確かに強引な勧誘は日本軍内でも問題化しており、若い娘に代わって自ら志願した老女や建物に立て篭もって抵抗した女性たちの逸話が伝えられていますが、記録にある慰安婦の中には老女は含まれておらず、生活面の保障と引き換えに嫌々でも志願した女性はいたはずで、オランダが客相手の性行為を一律に「強姦」としているのは韓国と同様の歴史の歪曲と言うべきです。最近は朝日新聞でなくても簡単に一方的な虚構を流布することができますから本当に困ります。野僧も虚構ではなく誤述にならないよう十分に気をつけます。
  1. 2018/02/28(水) 09:39:08|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<振り向けばイエスタディ1114 | ホーム | 振り向けばイエスタディ1113>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/4484-95d91192
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)