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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・亜麻色の髪のドール・浜松編

聖美を亡くして半年、私は「父子家庭」と言う特別事情により、実家に近い浜松基地へ管理隊警備小隊長として転属した。
「モリオ3尉ィ」朝、警衛所で警備日誌の確認をしていると突然、後から声をかけられた。振り返るとそこには理美=麻野3曹が立っていた。
「お久しぶりです」理美は懐かしそうに笑って頭を下げた。
「おッ、元気そうだな」私が返事をすると理美は両手で手を握って来た。その様子を周囲の若い隊員たちが、驚いたような顔で見ている。
「今日は何だい?」「受付です」「今は?」「1術校で新型機の転換課程の教官をしてます」「美人教官かァ」私が冷やかすと理美は照れたように笑った。
「若い、やり手の警備小隊長が来たって聞いてましたけど、モリオ3尉だとは思いませんでしたよ」理美はマジマジと私の顔を見直した。こんな風に見つめられると、あの防府の公園での夜を思い出してしまう。理美は都会で磨かれたのか、防府の頃よりも美しくなっているような気がする。
「よろしくな」「はい」「それから今日の勤務もな」「勿論、張り切っちゃいます」理美は気合を入れるかのように口をギュッとつむってうなずいた。
麻野理美3曹イメージ画像
勤務を終えて理美が申告に警備小隊本部の私のところへ寄って行った。
「モリオ3尉、さっき若い人から聞いたんですが、奥さんを亡くされたとか・・・」「うん・・・」私は感情をいれずにうなずいた。
「あんなにお元気だったのに・・・」「交通事故じゃあ、仕方ないさァ」「そうですか、お子さんは?」「クレーマークレーマーなんだ」私は春日時代の仇名で答え、すべてを察した理美は顔を曇らしてうなずいた。そして「部隊の終礼があるから」と、理美はそこまででお辞儀をして帰って行った。
「小隊長は麻野3曹と知り合いなんですか?」理美が帰った後、先任空曹が関係命令の確認の手を止め、興味深々の顔で訊いてきた。
「彼女とは防府で一緒だった上に同郷なんですよ」「小隊長も岡崎でしたね」どこの部隊でも先任の情報収集能力には舌を巻く。
「あれだけの美人でしょう。一昨年、ここに来て以来、うちの若い奴等が何人もアタックしたんですけど総員討ち死にでした」「ふーん」私は黙ってうなずいた。
「1術校でも独身連中はみんな振られたらしいですよ」「へー」「何でも、防府に男がいるとか、いないとか・・・」「それはないね」私は先任の情報がどこまでなのか量りかねたが、取り敢えず否定をしておいた。
「それじゃ、同郷の男って話の方ですかね」「それも違うね(一応、私も同郷である)」先任の話は質問の形を借りた情報収集のニオイがして、私はまた否定した。
「まさかバージンってことはないでしょう、エエとこのお嬢様らしいですけど」話がシモに流れるのも先任たちの特性ではある。私は曖昧に笑って誤魔化した。
「あッ、終礼が遅くなると小隊長、お子さんのお迎えに遅れますね」そう言うと先任は待機室の隊員を呼びに席を立って部屋を出て行った。私はこれから周作を保育所に迎えに行き、夕食の準備をしなければならないのだ。
私は防府での噂が浜松にまで届いていなかったことに安堵し、ここで理美が新しい気持ちで頑張っていることを知り嬉しかった。

PXで理美に会った。いつも理美は1、2人の若い女性自衛官(WAF)を連れている。浜松で理美は聡明で上品な美人の、それでいて話が分かる先輩=空曹として若いWAFたちからの人望があるようだった。
「モリオ3尉、今度、奥さんのお参りをさせて下さい」理美は真顔で言ってきた。
「うん、だけど悪いさァ」私は遠慮と言うよりも理由のない懼れに似た感情でためらった。しかし、理美はそんな私の気持ちに気づかぬふりをして話を進めていく。
「それじゃあ、今度の日曜日の午前中、官舎に行きますよ」「うん」「子供さんは、何歳になったんですか?」「3歳さァ」「男の子でしたよね」「うん、周作って言うのさ」「はい、周作君ですね」理美は官舎の号棟と部屋番号を確認すると笑顔で会釈し、待たしてあったWAFの所へ「お待たせ」と言いながら戻っていった。
「麻野3曹はクレーマー3尉とお知り合いなんですか?」「私の憧れの人なんだァ」理美とWAFたちの話し声が聞こえてくる。どうやらこの基地でも私はWAFたちの間でクレーマー3尉と呼ばれているらしい。しかし、それ以上に理美の「憧れの人」と言う言葉に、若いWAFがあらためて振り返り私の顔をもう一度見直して首を傾げたのに困惑した。

「こんにちはァ」日曜日の十時過ぎに理美がやって来た。今日は黄色のポロシャツにGパンの軽装だ。手には小さな花束と買い物袋を抱えている。
「周ちゃん、こんにちは」理美は私の脇で見上げている周作に顔を近づけて挨拶し、周作は初対面の若い女性からの挨拶に、恥ずかしそうに挨拶を返した。
「周ちゃん、ケーキを買って来たから後で食べようね」「やったァ、ありがとう」無邪気に喜ぶ周作の顔を理美は優しく見つめた。
「お花を買って来ました・・・」「あッ、花瓶ね」私は台所の流しの下から聖美が遺した琉球ガラスの小さ目の花瓶を取り出して、花を受け取ろうとした。
「私がやります」理美はそう言って逆に花瓶を受け取って台所で花を生け始めた。我が家に佛壇はなく、周作の小さな箪笥の上に春日で知人の神父からもらった(聖美によく似た)マリア像と聖美の写真を飾り、花とコーヒー、果物を供え、ロウソクと線香を上げているだけだった。
マリア像
私は理美が花を生けている間にロウソクに火をつけ、土産のケーキを供えた。理美は、花を飾り、私が火をつけた線香を受け取って立てて手を合わせた。
「奥さん、有難うございました」理美は目を閉じて呟いた。
「あの時の奥さんの言葉が私を生き返らせてくれました」そう言った理美の頬に一筋涙が伝う、私も隣で一緒に手を合わせながら目頭が熱くなってくる。
「お父さん、お母さんが『周ちゃん、お姉ちゃん好き?』って言ったよ」私たちにならって手を合わせていた周作が突然、言い出した。
「そんなこと言っちゃ駄目だよ」私が嗜めると、周作は哀しそうな顔をした。
「でも、私にも宜しくって言われましたよ」理美はそう言うと周作の顔を優しく見つめた。理美の言葉に周作は嬉しそうに微笑んだ。
「周ちゃん、ケーキ食べよう」理美はもう一度、手を合わせると立ち上がった。狭い台所に理美に私、周作まで入って、お湯を沸かし、紅茶とジュースの準備をし、皿とスプーンを出しているのは賑やかで楽しく久しぶりに華やいだ気分になっていた。
居間の座卓の上に、ケーキと飲み物を並べて茶飲み話を始めた。周作は2人の間で美味しそうにケーキを食べている。
「奥さん、本当に素敵な人でしたよね」「うん、素敵な人だよ」私は理美の過去形の質問に現在形で答えながら居間の本棚の聖美の写真を振り返った。この写真の聖美も優しく微笑んでいる。そんな会話の間にも理美は周作から眼を離さない、それを私は確かめていた。
「奥さんのお墓は?」「妻の母親が沖縄へ連れていっちゃたんだ」「そうですか・・・」私が寂しそうな顔をすると理美も一緒に哀しそうな顔をしてくれた。
「でも、お義母さんはどうして・・・」「俺に再婚しろってさ、でも無理な相談さァ」私は周作と2人、聖美との思い出を守って生きていく覚悟をしているのだった。
「奥さんも一緒のことを願っているのかも知れませんよ・・・」「そんなことないさァ」私は理美にからかわれているような気がして、少し語気を強めた。
「ごめんなさい」理美は謝りながら目を潤ませた。「こっちこそ、ごめん」私も自分の大人げない態度を謝りながら鼻をすすった。
その日の昼食は理美が作ってくれた。
「スゴーイ!これ全部、モリオ3尉が作ったんですかァ?」「うん」理美は、冷凍庫に作り置きしてある手作りのギョーザやハンバーグ、カレーを見つけると感心してくれる。
「これじゃあ、私の出番がないですよォ」「そんなことはないさ、期待してるよ」「はい、頑張ります」さっきから台所とテレビの前を往復している周作も嬉しそうだ。
「それじゃあ、かくし味に愛情を入れますね」そう言うと理美は鍋の蓋を開け、スープに「愛情」と声をかけた。
理美のどちらかと言えばクールな容姿に似合わぬお茶目な姿に、私は思わず噴き出し、受けたのが嬉しかったのか理美も一緒に笑った。
理美の料理はオムライスとパンプキン・スープ、周作には初めてのメニューだった。理美は大喜びで美味しそうに食べる周作に「よく噛んでね」と声をかけ、「美味しい?」と確かめていた。
午後からは3人で近所の公園に遊びに出かけ、来週の買い物にまで付き合ってくれた。
「周ちゃん、また来るね」「うん、またね」夕方、官舎の駐車場まで見送った私たちに理美は運転席の窓から顔を出して周作と指切りをした。
「理美さん、ばいばい」周作は嬉しそうに手を振って見送っていた。

「モリオ3尉、また遊び行きますよ」PXで理美が声をかけて来た。
「だって悪いよ」「駄目です、私、周ちゃんと約束したんですよ」「だって・・・」ためらっている私の顔を理美は何故か可笑しそうに見つめている。
「それに奥さんにも頼まれたんですから」「そんな悪い冗談は言わないでくれよ」私は理美の優しさに甘えること、理美に迷惑をかけること、何よりもそれが途絶えて周作を傷つけることになることが怖かった。理美はそんな私の臆病を見通しているようだ。
「冗談なんかじゃあないですよ」理美は真顔で言いかえしたが、その目には有無を言わさぬ力があり、私はゆっくりうなずいた。
「それじゃ、また日曜の十時です」そう言うと理美は手を振って後輩の所へ戻って行った。
「麻野3曹、クレーマー3尉とつき合っているんですか?」「押し掛けてるの」理美の答えに「こんなオジサンのどこが好いのか」と言うような顔で、若いWAFたちは振り返って私の顔を見た。

それから理美は、毎週末に官舎に来て、手料理を食べさせてくれるようになった。それはまるで一緒に暮らすための準備、練習をしているかのようだった。やがて周作も理美の来宅を待ちわびるようになって、私はそれを当たり前にすることを懼れていた。
そんな私に聖美は「相変わらずねェ」と呆れ、「頑張れ」と励ましていた。

「僕ねェ、理美さんと一緒にお風呂に入りたい」夕食後、いつものテレビを見た後、突然周作が言い出した。「でも・・・」流石に理美も困った顔をしている。
「駄目、理美さんはもう基地に帰らないといけないの」「私、特外ですよ」「エッ?」私が周作を諦めさせようとした言葉を、何故か理美は自分から否定した。
「周ちゃん、一緒に入ろうネ」理美は鞄から着替えの下着、Tシャツ、短パンを取り出すと周作と一緒に浴室に入っていった。
その間に私は寝室に、いつも周作と一緒に寝ているダブルの布団を敷いていると、浴室から理美と周作の楽しげな会話が聞こえてくる。
「理美さんのオッパイ、小さいね」「本当?」「うん、お父さん、裸の本が好きなんだよ」「へーッ、そうなんだァ」私は心の中で「馬鹿野郎!」と叫んだが、同時に理美の小さなオッパイを想像して少し興奮していた。
「周ちゃん、おやすみ」そのまま理美は周作に添い寝をしてくれて、私は風呂に入った。一人で風呂に入るのも久しぶりだ。先ほど理美が使ったばかりのタオルを使うのは少し胸がときめく、考えてみれば私の禁欲生活も随分長くなる。
「ごめんな」私は湯に浸かりながら、そんな自分の浅ましい気持ちを聖美と理美に謝った。
風呂を出て、理美を基地に帰そうと思って寝室をのぞくと、理美は周作に添い寝しながら、すっかり寝入ってしまい、声をかけても肩をゆすっても起きない。仕方ないので私は、理美にも布団をかけ1人居間で酒を飲んだ。
「ごめんな」聖美の写真を見ながらもう一度謝ると、「頑張れ」と言う不思議な返事が返ってきた。

朝、台所からの物音、人の気配で目が覚めた。味噌汁の匂いがする。
「おこしちゃいましたか」台所から理美が顔を出したが私は咄嗟に状況がつかめない。
「目覚めにキスでもしようと思ってたのに、残念」そう言うと理美は悪戯っぽく笑った。
「もう一度寝ます」そう言って私が布団を被ると「コラーッ」とハシャイダような声をかけてくる、私も久しぶりに朝からウキウキした気分になってきた。結局、私は居間にシングル布団を敷いて寝た。この布団は周作が生まれ、ダブルに周作と聖美が寝るようになって以来、私専用だったが使うのは久しぶりだった。
「お父さん、理美さんは?」その時、私たちがふざけ合った声で周作がおきて来た。
「周ちゃん、おはよう」理美が声をかけると「理美さん、いたァ」と周作は安心した笑顔になり、「おはよう」と返事した。結局、理美の「目覚めのキス」は周作が貰った。

「妻のでよければ着替える?」私は理美の顔を見ながら訊いてみた。
「私が着てもいいんですか?」「君ならいいさァ」私はうなづいた。聖美と理美は身長も体格も同じくらいでサイズは丁度合うはずだ。
「それじゃあ、お借りします」私が押し入れから聖美の衣装ケースを取り出して、理美の前でふたを開けると「お母さんの・・・」周作が一緒に覗き込んで呟いた。
「周ちゃん、お姉ちゃんが着てもいい?」理美が優しく尋ねると周作は黙って理美の顔を見ている。周作なりに何かを考えているようだった。
「お母さんが『いいよって』って言ったよ」周作は、パッと笑顔になって答えた。周作の言葉に理美も安心したように微笑んで、聖美のパステルカラーのポロシャツを選んだ。それは私とペアになっているものだった。

「今度、一緒にどこかへ遊びに行きましょう」理美の提案で、その日は清水の東海大学海洋博物館(水族館)へ行くことにした。
理美と一緒に楽しい休日を過ごした帰り、はしゃぎまわった周作は、後ろの座席で理美の膝で眠ってしまっていた。私と理美は声を抑えて話していた。
「今日は有難う」私の他人行儀な台詞に理美は返事をしなかった。ルームミラーで見ると、理美は真剣な目でこちらを見つめている。
「モリオ3尉、私を周ちゃんのお母さんにしてくれませんか」理美はそう言うと、ルームミラー越しに私の目を見つめ、返事を待っていた。
「君は、まだ若いんだから・・・」私が言いかけると理美はそれを遮った。
「やっぱり私では、モリオ3尉の奥さんにはふさわしくないんですね」理美の言葉には深く哀しい響きがある。
「それは違うよ・・・」私が言い訳をしかけた時、「理美さん・・・」と周作が寝言で理美を呼んだ。周作の頭を優しく撫でる理美の頬に涙がつたったのが見えた。私は黙って前方のホテルの入り口に向けてウィカーを出したが、理美は何も言わなかった。

「私を抱くんですね」ホテルの大きなベッドに腰をかけて周作を寝かせつけながら、理美は私を見つめ、私は2人の隣にゆっくりと腰をおろした。
「話をしよう」私がそう答えると理美は哀しさと苛立たしさの入り混じった目をした。
「シャワーを浴びてきます」そう言って理美は立っていった。
モリノ理美 (2)イメージ画像
理美に続いて私もシャワーを浴びると理美はバスローブのままベッドに座り、肩までの髪をバスタオルで乾かしていた。
同じ格好で出て来た私を見ると、少し恥ずかしそうな顔をした。そんな理美の姿に、私の身体は言葉、意思とは関係なく男として反応をしている。私が前に立つと理美は黙って見上げた。目には期待と不安の色があった。
「私のことは心配しないで下さい。貴方の好きなように」理美は、そう言うとそのままベッドに仰向けになった。その時、理美が目で周作を確かめたのを私は見逃さなかった。

それから理美は毎週遊びに来て、一緒に公園に遊びに行き、スーパーで買い物をし、食事を作り、周作を風呂に入れて、泊っていくようになった。
「私、特外の行き先をここにしちゃいました」周作を寝かした後、座卓に座り2人で酒を飲もうとした時、理美が言い出した。理美は聖美のパジャマを着ている。
「それじゃあ、みんなにばれちゃうよ」「でも、緊急時の連絡先ははっきりさせないといけないでしょ」「そりゃあ、そうだけど・・・」理美は私の真剣に心配する顔を笑った。
「迷惑ですか?」「いや、それで君が好ければ」「勿論です、私はもう貴方に抱かれました」理美は「あれが一時の感情ではない」と言いたそうに私の顔を見詰めている。
「でも、これからは君を抱くのは止めておこう」私の言葉に理美の顔が怪訝そうになった。
「どうしてですか?」「君を欲望の吐け口にはしたくない。けじめはつけないと」私は自分の言葉にうなづきながら理美の顔を見返した。
「そう言って奥さんにも手を触れなかったんですね」理美は呆れた顔をしている。
「無理はしないで下さいね。私が貴方に抱かれたい時もあるんですよ」そう言って理美は私の頬を手で引き寄せて口づけをしてきた。

基地の外周付近の草むらで隊員たちを指揮して侵入者の捜索訓練を実施していると、理美が後輩のWAFたちと3人でランニングして来た。
「ご苦労様です」WAFたちは元気に声をかけてくるが、理美は黙って私の顔を見た。
「おう、頑張るな」迷彩服姿の私はそれだけを答えて隊員たちの動きに視線を戻した。
「何の訓練ですか?」受付勤務で顔見知りの若いWAFが遠慮なく質問をしてくる。
「侵入者を探す訓練だよ」「どこに隠れているんですか?」WAFたちはランニングを中断して、草むらに隠れているはずのゲリラ役を探し始めた。
「それを言っちゃあ、訓練にならないじゃない」彼女たちに背を向けて訓練をジッと見ている私の後ろで理美が後輩たちに話している。
「第1、私たちに見つけられるようじゃあ、プロの仕事じゃないよ」私は黙って聞きながら、理美の仕事に対する厳しい認識に感心した。
WAFたちが「麻野3曹、わかってますね」「モリオ3尉のことは何でも知ってる」と口々にからかうと、「馬鹿ァ」と理美は照れたように答えて先に駆け出した。
「フリーズ!」その時、捜索側の隊員がゲリラを発見して大声で誰何し、同時にゲリラは駆け出して逃亡を図り、隊員たちは一斉に追いかけ出した。そこで私がホイッスルを吹き、隊員たちを呼び集めると若いWAFたちまで付いて来た。
「今のゲリラの逃亡が囮だったら、別のゲリラの侵入を見逃すぞ」私の厳しい指導に隊員たちの顔は険しくなり、理美を除くWAFたちも黙ってうなずいた。
「それがプロの仕事だ」私が先ほどの理美の言葉を借りて訓示をすると、理美はそれを理解して、みんなの後ろで嬉しそうにうなずいていた。

「モリオさん、最近、麻野3曹が泊っていきますね」官舎で同じ階段の旦那さんから声をかけられた。彼は1術校の所属の1等空曹のはずだ。
「あの子は美人だけど、防府じゃあ色々あったみたいですよ・・・」彼は親切に忠告をしてくれているようだった。それでなくとも官舎唯一の父子家庭は近所の心配の種、好奇心の的である。そこに同じ職場のWAFが通って来ていれば人生の先輩、近所の住人として一言耳に入れておこうと言うのも厚情だろう。だがそれは大きなお世話でもある。
「私も防府にいましたから麻野君が空士の頃から知っていますよ」私が答えると彼は急に気まずそうな顔をした。
「やっぱり、お子さんにはお母さんは必要ですよね」彼はそんな言葉でその場を取り繕って家に入って行った。私は、理美に付き纏う過去の根深さを知り、哀しく怒りを覚えた。

「ただいまァ」「おかえりなさい」「周ちゃん、おはよう」「理美さん、おはよう」理美は玄関で家に帰って来たように声をかけ、嬉しそうに出迎えた周作と挨拶をしている。
「お父さんは?」「お母さんの前にいるよ」玄関から、いつもは一緒に迎える私がいないことを訊く会話が聞こえてくる。しかし、私は聖美の位牌の前に黙って座っていた。
「どうかしたの?」部屋の入り口で私を見つけた理美が心配そうに声をかけてきた。
「うん・・・お義母さんが亡くなったんだ」「奥さんの?」「うん」「沖縄の?」「うん」私はそう答えると、また遺影に向かって手を合わせた。今朝、義母の死を知らせる通知のハガキが届き、それには男の字で「今後、連絡はお断りします」と書き添えられていた。
「私もお参りさせて下さい」理美はそう言うと線香を1本とり、灯明で火を点けて立てた。私が立てていた線香の隣りで、もう一すじ、煙が細く立ち昇った。
「周ちゃんも一緒に・・・ね」理美は私の後ろで自分の隣に周作を座られせて、「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛・・・」と小声で念佛を唱え始める。理美の家は浄土宗のはずだった。周作もそれに倣って手を合わせて「ナムナムナム・・・」と唱えた。

お参りを終えて茶の間に異動しても、今日はいつものようには話が弾まない。
「お義母さんは俺たちの一番の理解者だったんだよ」「そうですか」「強くって、優しくって、聖美とは全く逆のようでよく似た親子だったね」「はい・・・」私がポツリポツリと話す義母の思い出話を理美はうなづきながら聞いてくれていた。
「結婚する時には、『勝手にしなさい』って許してくれたんだよ」「本当に優しい言葉ですね」理美は義母の厳しい言葉の向こうにある真意を理解してくれた。それは理美もまた聖美と同じような哀しみを背負っているからかも知れない。
「奥さんの実家とは?」「お義母さんと年賀状ぐらいはやり取りしてたけど、お義父さんとは会ったことも話したこともないね」「会える訳ないですよ!」突然、理美が強い口調で言ったので、テレビを見ていた周作が驚いて私たちを見た。
「お義母さんは、『もう一度、結婚しろ』って言われてたんですよね」「うん」理美は何かを確かめるような顔で訊いてくる。私は周作の横顔を見ながらうなずいた。
「いつか、沖縄へ墓参りしに行きたいと思ってたけど、もうこれで駄目になった」「大丈夫、気持ちは通じていますよ」理美がそう言った時、私の耳に「大丈夫、母に思いっ切り甘えてるよ」と言う聖美の声が聞こえてきた。
同時に周作が「お父さん、お母さんが『周ちゃん、よかったね』って言ったよ」と言い、さらに理美まで「私には『頑張って』って言われましたよ」と言った。
「そんな馬鹿なァ・・・」私たちは顔を見合わせて呆れた後、やっと笑い合った。

「小隊長、麻野3曹とのこと、大分、噂になっていますよ」小隊本部で2人きりになった時に先任が訊いて来た。その顔は小隊長、小隊先任と言う仕事上のつき合いよりも、人生の先輩として心配をくれているようだった。
「はい、御心配をかけて、すみません」私も人生の先輩に対する礼を尽くして頭を下げた。
「いいえ、私やウチの連中は小隊長の人柄をよく知っていますからいいんですが、増加警衛の連中が色々訊いてくるらしいんでね」「そうなんですか」確かに警備小隊長という立場を考えるとプライベートなことも慎重にしなければならない。
「私は、最初に麻野3曹が受付についた時の嬉しそうな顔を見てピンと来ていましたよ」先任は私が浜松に着任してすぐに、受付についた理美と再会した日のことを言っていた。
「流石ですね、でもあの時はまだ、ただの知り合いでしたよ」「それも分かっていますよ」この先任の直感力には仕事でもシバシバ助けられている。特に長年、多くの隊員と正面から向き合って培った人間関係を見抜く洞察力には舌を巻く。
「麻野3曹のことは、『個人的によく知っている』って言われましたよね」「はい、防府の時は女房とも仲良くしていて、家にも遊びに来ていました」「そのほかの人に言えないようなことも?」「はい、色々と相談されていましたから」私の返事に先任は安心したようにうなづいた。これ以上余計なことは言わないのが先任だ。
「小隊長のことだから、いい加減な付き合いではないと思ってます。全て分かってつき合っておられるなら、あとは応援するだけですよ」先任はそう言うと優しく笑ってくれた。
「真面目な付き合いです、もうプラトニックじゃあないですが・・・」「そうですかァ、やっちゃいましたか、羨ましいですねェ」先任の返事がシモに落ちたところで、ようやく私も肩の力が抜けて、ため息をついた。
小野忠直先任「先任、無断使用スミマセン」
「ねえ、もう寝ちゃった?」ある夜、布団に入ってしばらくして理美が襖越しに声をかけて来た。私たちは以前の言葉通りに理美の布団は居間に敷いて別々に寝ている。
「まだ起きてるよ」「周ちゃんは、もう寝た?」「うん、ぐっすり」私の返事を確かめて理美が話を続ける。
「今から抱いて欲しいの」「何で?」私はドキッとしながら答えた。
「私、休暇で実家に帰るでしょ、もう一度、貴方のモノになっておきたいの・・・」「うん、いいけど・・・」私はためらっていた。
「駄目?」「今、行くよ」周作の寝息を確かめて静かに襖を開けて居間に入ると、理美は掛布団をめくり、私が入れるようにして待っていた。私は理美の隣に横になると腕枕をした。理美の吐息の匂いが甘く鼻をくすぐる。
「こんなのって恥ずかしいんだけど、でも貴方には正直でいたいから・・・」理美はそう言うとそっと目を閉じる。私はそのまま抱き締めて口づけをした。

「それじゃあ、行ってきまーす」「いってらっしゃーい」翌朝、官舎の駐車場で私と周作に見送られた理美は、自分の車で実家に向けて出発して行った。隣の棟のベランダから奥さん連中が注視しているのがわかったが気にしないことにした。

岡崎の実家に帰った理美は、翌日には早くも帰って来た。私は特別事情で浜松に来たのだが、世間体を気にする親から事実上出入り禁止になっていて、周作と夏休みを過ごしていた。
「周ちゃん、ただいまァ」玄関に入って来た理美は周作に顔を近づけて頭を撫でた。よく見ると理美は顔に傷を作っている。
「私、親に勘当されちゃいました」「殴られたのか?」「はい、父に」居間で座卓に座り、周作がテレビを見始めると理美は話し始めた。
「あまり親がしつこく縁談の話をするから、私、浜松に好きな人がいるって言ったんです」そう言いながら理美は「貴方のことよ」と私の顔を見た。
「それで貴方のことを話したら『そんなこぶつき』とか酷い事を言うから、私、腹が立って今までのことを全部話してやったんです」そこまで話して理美は何故か誇らしげな顔をしたが、私は会社経営者と聞いている両親の驚きと哀しみを想い返事が出来なかった。
「そうしたら父は怒ってビンタを張るワ、母は泣き叫ぶワで、結局、勘当されてしまいました」「そりゃあ、大変な休暇だったね」「はい、エキサイティングでした」理美は今度は思い出し笑いをするが、私は一緒に笑うことは出来ず、むそろ胸が痛んでいた。
「それで私、貴方と結婚するって宣言して、家を出てきちゃったんです」「エッ」理美の突然の言葉に私は理美の顔を見つめた。理美は聖美も何度か見せた「決意した」時と同じ目をして私を見返している。確かに聖美も、普段は臆病なくらい慎重なくせに、こうと決めたら恐ろしいほど大胆で、頑固なところがあった。その時、私の耳に「頑張れ」と言う聖美の声が聞こえてきた。それは逆に、普段は大胆で頑固なくせにイザとなると臆病な「私と言う人間」を熟知している聖美の「ここで逃げては駄目」と言う叱咤激励の声だった。
「俺の嫁さんになってくれるのか?」「はい、周ちゃんのお母さんにもです」そう言って理美は静かにうなづいた。私と理美は周作がテレビに夢中になっていることを目で確かめて、こっそりキスをした。
夜、周作を早目に寝かせてから岡崎の理美の実家に電話をした。
「浜松基地に勤務していますモリオと申します。理美さんの件で・・・」そこまでで電話を切られた。それが3度繰り返された後、父が出た。
「あんな恥知らずな奴は、わが家には関係ない。もう連絡しないでくれ」父は一方的にそう怒鳴るとまた電話を切った。私は黙って受話器を置いた。
「お互い、親では苦労するねェ」「はい」理美は呆れたようにうなづいている。先ほど、私の親に結婚することを伝える電話をした。その第一声は「今度は日本人か?」だった。その言葉に私の方が怒って電話を切ったのだ。それを理美は見ていた。
しかし、理美の顔には悲壮や不安の色は欠片もない。むしろ「迷いを断ち切った」安堵感さえ感じられる。
「女は強い」私は聖美を想い、今、目の前にいる理美を見ながらそれを噛み締めていた。
翌日、官舎の近くの浜松市役所の出張所に婚姻届を出しに行った。周作を連れての婚姻手続きに支所の中年の女性職員は好奇心丸出しの顔をしたが、書類で私が妻を亡くしたことを確認すると、笑って周作に「よかったね」と声をかけてくれた。

「これ片付けなくちゃね」家に戻り、私は飾ってある聖美の写真や思い出の品物を見渡しながら呟いた。ただ、それは周作に母の思い出から眼を閉じさせることになる。
「そんなことは気にしないで下さい」理美は静かに首を振った。
「私は奥さんに導かれて貴方の妻になれたんです。貴方が今の私を選んでくれたみたいに、私もそのままの貴方と周ちゃんを愛したいんです」理美の言葉に私は胸が熱くなり、感動の涙で鼻をすすった。
「それにしても本当に感激屋さんですね、奥さんが言ってた通り・・・」理美は可笑しそうに笑って私の顔を見た。
その夜は、ケーキ屋で買ってきたケーキを食べ、周作が眠ってから酒屋で買って来た高めのワインを飲んだ後、布団に入った。理美は自分で選んで聖美のパジャマを着ている。
「何だか、無我夢中で気がついたらここにいたって感じです」理美は私の腕の中でそう呟いた。その目には達成感のような歓びの色がある。
「うん、俺も迷う暇も、悩む暇もなかったよ」私も自分の親にも理美の親にも断ることなく、周囲に相談することもなく再婚した自分の大胆さに呆れ、感心していた。
「本当に私でいいんですか・・・」理美は私の目をジッと見上げながら訊いた。
「君こそいいのか?」「私は大丈夫です、奥さんが保証してくれてますから」「もう奥さんは君だよ」「そうですね」私の言葉を理美は静かにうなずいた。
「私、妻になれるなんて思っていませんでした」「うん」「でもずっと奥さんが・・・聖美さんが背中を押してくれていたんです」「うん」「ありがとうございます」理美は誰にか分からない礼を言って涙をこぼした。その夜は優しく噛み締めるように理美を愛した。
モリノ理美 (5)イメージ画像(出処不明)
休暇の時期で開店休業状態、暇にしていた1術校の人事担当者の仕事で、理美の営舎外居住の許可が早く下りた。
理美は休暇明けにいきなり「モリオ3曹」になっていて事情説明に追われたらしい。
ロッカーの衣類だけが荷物の理美の引っ越しは簡単で、許可前から特別外出扱いで同居を始め、今日は正式な営外者出勤の初日だ。これからは朝、周作を保育所に送りながら出勤するのが私たちの日課になる。
「基でなんて呼べばいいのかなァ」「そりゃあ、モリオ3尉でしょう」「他人みたいで嫌だなァ」助手席で理美は嬉しそうに悩んでいる。
実は私も理美を「モリオ3曹」と呼ぶのには、いささか違和感を感じていた。
「ダーリン、ハニーでいくか」「それもいいね」私の提案に理美は可笑しそうに笑った。その時、周作が後部座席から「お母さん」と理美を呼んだ。
「エッ?」「僕ねェ、理美さんをお母さんて呼ぶよ」と周作が言った。
「どうして?」「お母さんが『お母さんて呼びなさい』って」周作はそう言うと、また何事もなかったように座席でカーステレオにあわせてテレビのテーマソングを歌い始めた。私は思いがけないことに運転が疎かになりそうだった。
「周ちゃんたら・・・」制服を着ればクールビューティーの理美が目を潤ませ、鼻をすすりだすと、感激屋の私は、もらい泣きも重なっていよいよ運転が危なくなった。
「化粧し直さないと」理美は助手席で鞄からコンパクトを取り出したが、涙が止まらずに困っていた。

「お父さん、この自動車、動かないよ」周作のお気に入りの電動自動車が動かなくなってしまった。これは春日でのクレイマー生活の頃に博多のデパートで買ったのだが、コード付きのリモコンで前後左右に動く優れ物だ。
「どれどれ見せてごらん」すると理美が手を伸ばして受け取り、リモコンと車体を点検し始めた。周作は思いがけない展開に戸惑いながら理美がやることを見ている。
「うーん、リモコンと車体の電池は新品だからメカニックのトラブルだね」そう言うと理美は自分の荷物から本格的なテスターと工具箱を持ち出した。
「何だそれは、私物かァ?」「だって電気屋の商売道具でしょ」それはそうだが自分で買って持っている者は少ないだろう。呆れている私と興味深々の周作の前で理美はリモコンと車体のボルトを外し、導通テストを始めた。
「うん、やっぱり車体の接続部が断線してる」そう言うと今度はドライバーで車体のコードの接続部を外して断線している箇所を確認するとペンチで切断した。
「周ちゃん、すぐに直してあげるから見ててね」理美はコードを切断して少し心配そうな顔になった周作に声を掛けると工具箱から道具を取り出してアッと言う間に接続し、ビニールテープを巻いて絶縁した。あとは組み立ててテストをするだけだが、それは周作に遣らせた。すると自動車は順調に動き、父子は感心した。
「すごいなァ、やっぱり術科学校で教官をやるだけのことはあるよ」「そうかァ、貴方も電気屋さんだったね」「うん、務まらなくて首になったけどね」「ってウチの大谷1曹も言ってるよ」大谷1曹と言うのは私の中級電機整備員課程の教官で、まだ第1術科学校にいて理美の同僚になる。どうやら電機整備の才能がなかったことをバラしたらしい。
「だって謝対面の時にそう申告したじゃないか」「はい、正直でよろしい」と言うことで新モリオ家での電動玩具、電化製品の修理は理美の担当に決まった。

「貴方、どうしてうちの学生にまで厳しくするの?」珍しく理美が家で仕事の話をした。どうやら理美が「鬼」警備小隊長の妻だと知った学生たちに文句を言われたらしい。
「俺も元は航空機整備員だよ」「うん、解ってるよ」「整備員って言うのはやるべきことを一一キチンとやるのが基本なのさ」「うん、そうだね」「それは道を歩くのだってキチンと横断歩道を渡る、身分証明証の確認を受ける時には見やすいようにキチンと見せる、これもそこにつながると思うだよ」「うん、なるほど」理美はいつの間にか教官の顔になっている。
「何よりも整備員は、生活態度もやっぱりパイロットから信頼されるものじゃないといけないんじゃないかな」「ふーん」理美は話を聞きながら考え込んだ。
「つまり貴方は、航空機整備の先輩としてうちの学生に指導してくれてるんだね」「そんな大したもんじゃあないけどね」「大したもんさァ」なぜか聖美の口癖が理美にうつっている。納得したのか理美は何度かうなづいた。
「よし、今度は私が学生にはっぱをかけてやろう」「駄目だよ、美人教官のイメージを壊しちゃあ」「鬼教官になるんだよ」理美は気合を入れるように「ウンッ」と声を出した。
「気真面目な理美に気合を入れられたらエライことになるなァ」と私は虎の尾を踏んでしまった学生たちに同情した。

ある日、理美が受付勤務についた。私はいつものように整列した上番する隊員たちの前で勤務の注意事項を指導した。
「受付はモリオ3曹、しっかりな」「はい、頑張ります」私が理美に、いつもと同じように声をかけると、周りにいた隊員たちは何故か可笑しそうに笑いだした。
「何が可笑しい?」私が質問をすると隊員たちは一斉に視線をそらしたが、また私を理美を見比べながらニヤニヤし始めた。
「ン、何が可笑しい」一番若い空士を指名して質問をすると彼は緊張した顔で答えた。
「小隊長とモリオ3曹は、家でもこんな会話をしているのかと思いまして」その答えに理美を除く全員が一斉に爆笑をした。
「馬鹿者!上番前に緊張感が足りんぞ」私の一喝に理美は「ほら見たことか」と言う顔をして、俯いた隊員たちを見回した。

「小隊長、受付のモリオ3曹が体調が悪いようです」昼過ぎ頃、若い空曹が報告に来た。
「どうした?」私は冷静を装いながら質問をした。
「昼食後、気分が悪いそうで、今トイレで吐いてます」「なーんだァ」私は拍子抜けして浮かしかけた腰を椅子に下ろした。隣の席の先任も安心したように溜め息をついた。
「今日のおかずは何だっけなァ」「はい、味噌カツです」彼は思い出すように天井を見ながら答えた。
「好物を食べ過ぎたな」「そうですかァ」「どうも、ありがとう」私が礼を言うと彼は敬礼をし、回れ右をして持ち場に帰って行った。
「モリオ3曹を休ませなくても良いですか?」先任が心配をして確認してきた。先任はいつも、私の気持ちを察して先回りをして意見を言ってくれる。
「駄目なら言って来るでしょう」「そうですね、ご夫婦ですから」私の返事に先任は優しくうなづいてくれた。

「赤ちゃんが出来たみたい」その夜、周作が眠った後の夫婦の時間に理美が言った。同居を始めてまだ数か月だが、でも身に覚えはある。結婚後、私は、長い禁欲生活から解放されて毎晩のように理美を愛し、打率十割と理美にも呆れられていた。
「本当?」「多分、間違いないみたい」理美は申し訳なさそうな顔で私の顔を見ている。私は感激で咄嗟に言葉が出なかった。
「もし、貴方が嫌なら・・・」理美は、そう言いかけて言葉を飲み込んだ。先日、結婚の報告をした私に親は「今度はまま母なんだから子供は作るな」と言い、私は前回以上に怒って電話を切っていた。
「何を言っているんだ、ありがとう」「えッ?」そう言うと私は理美を抱きよせた。理美は驚いたように体を固くしている。
「いいんですか?」「当たり前さァ、うれしいよ」そう言うと私は理美を抱き締めた。
「私、赤ちゃんなんて一生産めないって思っていました」私の胸で理美は涙を流した。私は感激を噛み締めながら震える理美の背中をさすっていた。
「この背中で、背負ってきたことはあまりに重過ぎる」そんなことを想うと私も涙が止められなくなった。
「でも、タイミングが早過ぎて『出来ちゃった婚か』って疑われるなァ」「そうね」「いわゆる、初弾必中ってやつかァ」「家では自衛隊から離れてヨ」私の冗談に理美は鼻をすすりながら笑った。
「まずは病院だな」「はい、行ってきます」私の言葉に理美は深くうなづいた。

「小隊長、モリノ3曹が来られています」昼前に警衛勤務の若い隊員が呼びに来た。
「おう」私は返事をすると立ち上がり、そのまま警衛所に向かって歩いて行った。冬制服の理美は警衛所には入らず、受付の外に立っている。
「入れよ」「でも」声をかけると、理美は小さく首を振り、目で面会室へ促した。私は警衛所から出ると受付の前に回り、一緒に無人の面会室に入って行った。薄暗い面会室に入ると理美はゆっくり振り返って立ち止った。
「病院へ行って来たよ」理美の顔は何故か強張っているように見える。いつになく暗い理美の表情に私は理由のない不安を感じた。
「それでどうだった?」私は視線を合わさないままの理美の顔を覗き込んだ。すると突然、理美が満面の笑顔になった。
「赤ちゃん、3ヶ月、順調ですって」「エッ?」理美はそう言うと、まだ呆気にとられている私の首に腕を回して小さく口づけをしてきた。
「そうかァ、やったぞォ」私はそう叫ぶと抱き返して、あらためてキスをした。しばらくキスをしながら感激を味わっていると、理美が口の中で何かを言った。私も背後に視線を感じて振り返ると、ガラスのドアの向こうで警衛勤務の若い空士がニヤニヤしながらそれを見ていた。
「小隊長、家まで我慢できませんでしか?」面会所から出ると空士が冷やかしてくる。
「馬鹿、今日は特別なんだ」私は汗をかきながら言い返し、その後ろで理美は日頃のクール・ビュウティーを忘れて真っ赤になっている。しかし、空士の顔は緩みっぱなしだ。
「大丈夫です、黙っていますから」空士はそう言うと敬礼をして警衛所に戻って行ったが、数時間後には「面会所で熱烈なキスをしてた」と言う話が広まってしまっていた。

理美は、聖美の衣類の中にマタ二ティーを見つけるとそれを愛用しだしている。しかし、それは同時に聖美とともに失った下の子の思い出の品でもあったのだ。翌朝、私は理美に「このマタニティーは着ないよう」と言うつもりだった。
「貴方らしくないぞ、私たちの分まで愛してあげなさい」その時、聖美の叱責とも励ましともとれる声が心に響いて私は「うん」と1人うなずいた。

周作の誕生日プレゼントに目覚まし時計を買おうと理美とPXで待ち合わせていた。間もなく浜松基地で航空教育集団の持続走大会があり、全国の集団隷下部隊から選手が集まっていて売店も賑やかだった。
遅れてPXに行った私は、玄関のガラス越しにロビーで紺のマタニティーに航空ジャンバーを羽織った理美が待っているのを見つけた。私が扉を開けるとジャージ姿の選手が理美に声をかけていた。
「麻野じゃあないか」それは防府南基地から来た隊員で、あのメンバーの1人だった。彼は物珍しそうに5カ月に入った理美の全身を眺めている。
「何だ、お前妊婦か?まさか結婚したんじゃないだろうなァ」彼の皮肉な口調に理美の顔が強張っているのが分かる。
「おーい、お待たせ」私は彼の背中越しに大声をかけた。
「あッ、貴方ァ」理美はパッと笑うと彼の横を通り過ぎて私のそばに歩み寄ると、彼はそれについて振り返り私と顔を見合わせた。
「おッ、久しぶりだな」私が声をかけると彼は驚いた顔をして直立不動になった。
「モリノ班長・・・失礼しましたモリノ区隊長」「ここじゃあ、警備小隊長だぜ」私が指摘すると彼は「スイマセン」と言ってうなづいた。私の他基地の選手と言えども容赦しない厳しい服務指導は、すでに選手の間でも噂になっている。彼はその時、理美のジャンバーの名札が「モリオ理美」になっていることに気がつき、マジマジと私と理美の顔を見比べた。
「麻野くんを狙い通りにゲットしたぜ」そう言って手を握ると理美も握り返してきた。それでようやく状況がつかめたのだろう、彼は「失礼します」と言って会釈するとPXの奥へ入って行った。
「今は貴方しか愛せない」理美は小声で歌った後、「この歌、こんな時に歌うんだね」と呟いた。

ある日、警衛所で受付勤務についた理美の後輩の1術校のWAFから話しかけられた。
「アサモリオノ3尉って、怖い人かと思ってたら、本当は優しいんですね」理美と結婚してクレーマー3尉と言う仇名を解消出来たら、今度は理美の旧姓と合体させられたようだ。私は何の話しかと思いながら立ち話にのった。
「何で?」「アサモリオノ3曹、最近、よく笑うんです」確かに最近、理美は家でもよく笑う、どちらかと言えば笑いっぱなしだ。
「そうなの」「それにのろけ話をよく聞かせるんですよ」「ふーん」どちらかと言えば無駄話をしないはずの理美の意外な話に私は興味を持った。
「あとは、周作君の自慢話ばっかり」WAFは羨ましそうに私の顔を見た。
私は嬉しくなってWAFにジュースでもおごろうかと思ったが、それでは金毘羅船の森の石松(寿司喰いねェ)だと思い止めておいた。
「私が『小隊長って怖い人でしょ』って訊いたら、『仕事の鬼のマイホームパパ』って言ってました」「ふーん」WAFと私の談笑に、いつの間にか若い隊員たちが集まっていた。
「警備小隊長は怖いけど、モリオ3尉は優しいんだよ」隊員の一人が口を挟んだ。
「怒るのは警備の仕事で、モリオ3尉は怒ってないんだよ」別の隊員が話を継いだ。
「やっぱり」WAFは納得したようにうなずいた。
小隊員たちが私をどう見てくれているかを知り、涙がこぼれそうで困っていた。小隊長が泣くわけにはいかないのだ。
「俺はそんな大したもんじゃないよ」私がそう答えると、彼等は一斉に「御謙遜を」と言う顔をする。このシュチュエーションには覚えがあった。
田中亜紀子さん「勝手につかってスミマセン」
職場での私は優しいモリオ3尉ではなく怖い警備小隊長だった。それまでの小隊長は「警衛勤務で大変だ」と隊員をかばい、年次射撃以外の訓練には手をつけなかったが、私は着任時に「俺たち航空自衛隊の警備は地上戦闘のプロのはずだ。警衛などは余技でやっている副業だ」と宣言し、明けても暮れても訓練に励んでいた。
航空自衛隊ではやる気のある警備小隊長なら銃剣道や教練を表芸として訓練させているが、私は銃剣道などは実戦の用に立たぬと取り上げず、機動隊の盾の操作に通じる相撲を奨励している。それもグランドで土俵なしの倒すまでのモンゴル相撲、団体戦と称しての掴み合いまでやらせ、集団乱闘と思って警務隊(憲兵隊)が飛んで来ることもあった。
「こんなんじゃ、死んでしまいますよ」そんな弱音を吐く若い隊員には「大丈夫、供養は俺がやってやる」と答え、「小隊長はプロの坊さんですよね」と妙な納得を」せている。いつしか浜松の警備小隊は「航空陸戦隊」と呼ばれ、「モリオズ・アーミー」と陰口を叩かれ、「キ△ガイの小隊長の下では隊員が大変だ」と同情されるようになった。

ある日、倉庫を覗いて機動隊用の盾を見つけ、突然、特別警備訓練がやりたくなった。特別警備とは警察の機動隊と同様の装具をつけ盾を持ってデモ隊に対処するもので、陸上自衛隊では治安出動のための訓練とされている。
「先任、盾の操作の訓練はどうなっていますか?」「盾ですか?最近は特別警備もありませんからね」盾を抱えて事務室に戻った私に先任は呆れ顔で答えた。
「でもOJTの項目に入っているんでしょ」「そりゃそうですけど・・・」私が小隊長に着任して以来、それまで警衛勤務だけで済ませていた警備小隊が訓練に明け暮れるようになり、それが次第に過激になり、今では陸上自衛隊や警察の機動隊に劣らない猛訓練になっている。
「それでは盾の訓練の命令を起案するよう上神田1曹に指示します」「いや、ワザワザ命令を切らなくても教練みたいに日常的にやれば良いでしょう」「それじゃあ、怪我した時に困るから命令は必要です」「だって復習でしょ?」「警備職に必要な技の練磨ですよ」最後の一言は少し皮肉だったが、「今度はどんな訓練になるのか」と先任は溜め息をついた。

それから警備小隊は日勤を使って盾の操作の演練を始めた。始めは機動隊と同じ特別警備用装具の装着要領、盾の立て方、持ち方の操作法から、「必殺蹴上げ落とし」と言う盾を蹴っておいて強く下に落とし、相手の足の甲を砕く必殺技までを演練し、続いて団体でスクラムのように組んで、盾で陣地を作る要領に入った。
ここからが私の本領発揮で、先ずは投石としてゴルフボールを持ってこさせて投げつけ、続いて休日の小隊員を呼び出してデモ隊を仕立てて体当たりを繰り返す。
とどめに私自身の沖縄で車に突っ込まれた経験から、リアカーをぶつけることまでやった。
するとやはり顎を引いていなかった者がヘルメットの面の下に盾が入って顎を切り、跳ね飛ばされて後頭部を打ち、中には蹴上げ落としを使ってデモ隊役に怪我をさせる者まで出た。

「小隊長、やり過ぎですよ。死人が出る前にやめて下さい」毎日のように運び込まれる怪我人を手当てする衛生隊の医官は、顔をしかめてこう言ったが、私は「大丈夫、死んだら私がお経をあげます」と答え、意に介さなかった。
すると医官は「確かに戦時国際法上は衛生員と宗教員は同列の扱いですが・・・」と呆れ顔になって、手当てを終えた隊員に同情するかのように「頑張ってな」と声をかけた。

ところが訓練が終わった頃、岐阜の川崎重工のIRAN(アイラン・定期部外修理)に入っていたTー4が浜名湖で後部座席が乗員ともども射出される事故が起き、さらに小牧・救難隊のMuー2が演習灘に墜落した。度重なる事故を受けて、本来は関係のない浜松基地にデモ隊が押し掛け、警備小隊員の特別警備の訓練は早速役に立つことになった。
「小隊長って不思議な予知能力があるよな」「坊さんの修行をすると超能力が身に付くんですかね」デモ対処を終えた夕方、先任が訓練係の上神田1曹と話しているのを廊下で聞き、私は「ただの偶然だよ」と1人笑った。

小牧基地に勤務している理美の初任空曹の同期が結婚するとの招待状が届いたが、それは部隊宛で麻野姓になっていた。
「そう言えば結婚案内を出していなかったなァ」私自身は再婚でもあり、年賀状まで保留しておくつもりだった。
「うん、WAFの情報網で広まれば、アッと言う間に北海道から沖縄まで行き渡ると思ってたけど」確かにWAFの情報網は凄まじく、男子隊員が付き合っていたWAFに振られるとその噂が全国に広まり、「あの子のお古なんて」と何所に行っても相手にされなくなることもあるらしい。
「でもこの子とは仲が良かったのかい?」理美は新隊員の時には孤立していたことは聞いている。それが青木につけ入られる原因にもなったのだ。
「うん、初任空曹では一緒に外出していたね」「ふーん」「でも近所の基地にいる同期に声をかけたんじゃないかな」「やっぱり」自衛官同士の結婚では新郎側は部隊が丸ごと出席するが、上司ではない男性隊員が新婦側に出る訳にいかず、人数合わせに苦労すると言う話も聞いている。
「だったら君も結婚のお披露目に出席しないと」「うん」「俺は周作と東山動物園へでも行ってくるわ」「うん、それがいいね」それでも理美が出席の返事に電話をすると「モリオ3曹」と名乗ったことで結婚したことを察知され、根掘り葉掘り訊かれたらしい。そうなるとWAFの情報網がフル回転しただろう。

小牧市内のホテルで行われる結婚式に理美も出席した。理美はたっぷりしたワンピースを着て、朝から美容院に行って髪も飾っていたが、気分が悪くなるからと化粧は控え目にしている。私が運転する車で東名高速道路を西に向かう。車は岡崎を通過していた。
「同じ岡崎でも、本宿と矢作じゃあ風景が全然違うよね」矢作川を渡った所で理美は車窓から外を見ながら呟いた。
「そうだね、俺は地平線を見ながら育ったんだ」「私は山の中・・・」私の台詞に理美は少し悔しそうな口調で言葉を返した。
「お父さん、今日は動物園へ行くんだよね」「うん、そうだよ」「周ちゃんいいなァ、お母さんも行きたいなァ」後席の周作がはしゃいだ声で訊いてくると理美も羨ましそうに返事した。理美を小牧市内の結婚式場に送った後、私と周作の二人で名古屋の東山動物園へ行くことにしている。
「お母さん、お嫁さんみたい」「何で?」「すごく綺麗だよ」「ワーッ、ありがとう」私は周作と理美の会話を笑いながら聞いていた。
「ツワリは大丈夫か?」「うん、もう治まってるよ」「それじゃ料理は食べれるね」「うん、楽しみィ」理美は嬉しそうな顔をする。気がつくと車は岡崎市を抜けて豊田市に入った。
「こうしてみると岡崎もそんなに遠くはないね」「でも、遠いところだよ・・・」理美の重い返事に、私は自分の迂闊さを反省した。

披露宴の席で、理美は新郎の上司だと言う男性に話しかけられた。
「浜松のモリオさんって、モリオ3尉の奥さん?」「はい、そうです」「私は5術校の藤中と言います。モリノ君とは春日で一諸だったんですよ」「はい、主人がお世話になりました」理美は「主人」と呼んだことに少し胸がときめいた。
「モリオ君も周君も元気ですか?」「はい、おかげさまで張り切ってます」理美の答えに藤中は安心したようにうなずいた。
「モリオ君は基地でも評判のオシドリ夫婦でね、奥さんを亡くした時には後を追うんじゃあないかと皆、心配したんだよ」「はい・・・」藤中は声を落として話した。
「でも周君がいたから、彼は頑張れたんだね」「はい」理美は今頃、東山動物園を楽しんでいるだろう2人の顔を思い浮かべた。
「基地の連中からはクレーマー3尉って呼ばれていてね」「浜松でも一緒でした」藤中と理美は顔を見合せて笑った。
「でも、映画のダスティン・フォフマンよりも頑張ってたな」「はい」理美は結婚前の2人の楽しげな生活ぶりを想い出すと、この話にも納得ができる。
「モリオ君、優しいだろう」「はい、とっても」理美がうなづくと、藤中も優しい目をして随分目立つようになった理美の腹を見た。
「奥さん、赤ちゃん?」「はい、7ヶ月です」そう答えながら理美は腹を撫でた。
「モリオ君は好いお父さんだよ、幸せにしてあげて下さい」「はい、幸せにしてもらっています」理美のお惚気のような答えに藤中は呆れた顔をした。
「それにしても美人ばっかり嫁さんにして、あいつもやるなァ」そう言って笑うと藤中は次の席に移って行った。

結婚式場のロビーのソファーに理美の姿を見つけると周作は嬉しそうに駆け寄った。理美はしゃがんで周作と見合って話を始めた。
「お母さん、僕、コアラ見たよ」そう言う周作はコアラのぬいぐるみを2つに抱えている。
「2つ?」「うん、赤ちゃんのだよ」周作がぬいぐるみを1つ差し出すと「ありがとう、お兄ちゃん」と理美は笑顔で受けとった。
「お兄ちゃん」と呼ばれたのが周作は嬉しそうだった。
「こちらが麻野の旦那さん?」私たちと理美の姿に気がついた女性達が集まって来た。
「モリオです、妻が・・・」私が挨拶しかけると彼女(WAFの同期)たちは「この人が浜松基地の鬼小隊長なんだァ」と囁き合った。
「はァ?」呆気に取られている私にWAFたちは遠慮なく品評を始めた。
「旦那さん、有名ですよ、『怖い人』だって」「でも意外と優しそう」「そこに麻野が惚れたわけだァ」本当に怖いのは鬼小隊長ではなく彼女たちじゃあないかと私は思っていた。

ある日、若手の中江3曹が思いがけない提案をしてきた。
「小隊長、基地を守るんなら今みたいな空き地ばかりじゃなく、建物がある場所での戦闘も訓練しないといけないんじゃないですか?」確かにこれは正論だった。私自身は春日時代に米軍やそれの完全コピー(単なる日本語訳)の陸上自衛隊の市街戦の教範を入手し、研究を重ねていたが、まだ具体的に訓練を実施する段階ではない。
「それじゃあ、これを研究してみてよ」そう言って私は脇の本棚から陸上自衛隊の教範を取り出して手渡した。
「何だァ、良いのがあるじゃなですか。早速、研究します」「だけどドアとかを蹴破って壊さないように気をつけてな」「はい、わかりました」そう言うと中江3曹は教範を開いたまま敬礼をし、退出していった。
「今度は何の訓練ですか?」中江3曹を見送ると先任が心配そうに訊いてきた。
「市街戦です」「市街戦って街中で戦うあれですか?」「はい、太陽の日差しではありません」「また冗談を」私がかましたボケに先任は突っ込まず真顔をしたので、私も真面目に答えた。
「あれは横だけでなく縦にも警戒しないといけないから難しいんです」市街戦では建物の上階からの攻撃もあり、開けた土地での戦闘のように横だけを警戒していては敵を制圧できない。また建物内での戦闘要領は人工の工作物を取り扱うため、ドアノブを使うと敵に反撃されるためずドアは蹴破るなど独特の技術がある。
「確かに敵に侵入されれば隊舎周辺でも戦うことになりますね・・・おっと私も小隊長に染まってきたな」「だけど壊していい廃屋があればいいけど、訓練場がないですね」私の言葉に先任も一緒になって基地内に使えそうな建物がないかを考えてくれた。

中江3曹の分隊は市街戦の訓練を勝手に始めていた。ある日、中江分隊の若い隊員が建物を見上げながら「あの窓には人がいるな」「すると死角はあっちだな」などと話し合っているのを聞き、私はピンときた。中江3曹は弟分の池内3曹と一緒に戦争映画の市街戦の場面を研究して若い隊員たちに教育をし、それを内務班で実際に演練しているようだ。
私からの注意を守りドアを蹴破りはしなかったが、ロックを外しておいて蹴開け、モデルガンを構えながら室内を検索する訓練を繰り返している。おまけに警衛の夜勤明けで寝ている隊員を捕虜として廊下に引きずり出し、腹這いにして身体検査をしているらしい(そのやり方も警務隊に習わせた)。
おかげで警備小隊の内務班はオチオチ安眠できなくなり、どのドアにも靴跡が残ってペンキを塗り直さなけらばならなくなった。

またある日、歩哨犬係長の緒方1曹が新聞記事を持ってきた。
「小隊長、この記事を読んで下さい」彼が差し出した新聞には横田基地の警備部隊のレポートが載っている。その中の警備犬の写真と記事に私は興味を持った。
「このベルジャン・マラノイってどんな犬なんだ?」「でしょう。私も調べてみたんですが図鑑に載っていないんです」私の質問に緒方1曹は吾が意を得たりと微笑みながら説明した。そのまま記事を読むと日本国内では米軍だけで飼われている犬種らしい。
「よし、さっそく調べてみよう」「入間の歩哨犬訓練所も知らないそうです」緒方1曹の顔は「よろしくお願いします」と書いてある。と言うことで今日の仕事が決まってしまった。
私は以前、嘉手納、三沢、岩国基地へは研修に行ったことがあり、これで在日米軍の航空基地は全部回ったことになる。
ベルジャン・マラノイ
横田基地への研修はコネクションを探すことから始めなけらばならなかった。
輸送なら何とかなっても警備部隊は憲兵隊になる。そこで懇意にしていた浜松警務隊に相談したところ警務隊本部から横田憲兵隊に派遣されている連絡官を紹介してくれた。と言うことで研修が実現することになった。

横田基地へ行くのには陸路の官用車、新幹線などの鉄道利用と言う方法もあったが、緒方1曹が入間の歩哨犬訓練所に自慢をしたため「同行させてくれ」と申し入れられ、官用機で入間へ飛んで一泊、入間の官用車で向かうことになった。輸送費の節約にもなり、おかげでメンバーも増やせたが。

入間基地で警備小隊長の歓待を受けた翌日、歩哨犬訓練所教官の畑1曹が運転する官用車で横田基地に向かった(出発前、歩哨犬の慰霊碑で供養を勤めた)。
車の中で私が緒方1曹と犬の話をしていると畑1曹は「小隊長は随分と犬に詳しいんですね」と驚いたように言う。
「へッ?」私が呆気にとられた顔をすると緒方1曹は「普通の警備小隊長は警衛だけで手一杯で、犬なんて余計な仕事なんですよ」と言った後、「ウチの小隊長は歩哨犬訓練も自分から参加してくれたんだ」と自慢する。
「だって犬もウチの大切な戦力だからね」私の補足説明に畑1曹は羨ましそうにうなずいていた。

横田基地では先ず警務隊の連絡官に挨拶したが、「憲兵隊でも警備は我々と別物だ」と興味がないことをあからさまにする。日本の警察でも捜査と防犯は連携が取れているが、機動隊や交通課は浮いていることがある。自衛隊の警務隊も意識は同じようだ。
空軍の警備隊はまるで陸軍のようだった。隊舎内を腰に拳銃を下げた迷彩服の兵士が歩き回り、案内のロビンソン大尉も同様だった。。隊長への挨拶の後、見学させてもらった武器庫にはライフルから機関銃、拳銃が並び、拳銃を試射できるクッションもある。ロビンソン大尉は「警備の緊迫度によって武器は使い分ける」と説明し、「指向式地雷・クレイムアもある」と言った。
その後、質疑応答になったが、私は基地警備戦術と訓練について、入間から同行した教官と緒方1曹は歩哨犬の管理と運用について矢継ぎ早に質問をし、非常に充実していた。
そんな中で畑1曹が「警備隊の中で歩哨犬係の地位はどうですか?」と質問をするとロビンソン大尉は「何故?」と不思議そうな顔をした。しかし、畑1曹が「航空自衛隊では歩哨犬係はそれ専門なので厄介者扱いされています」と説明すると通訳が「伝えていいのか?」と私の顔を見たので、「彼は入間基地の歩哨犬訓練所の教官です」と断った上で私が通訳した。
するとロビンソン大尉は「警備犬係は特殊技術を有しているので尊重されている」と答え、畑1曹は何度も深くうなずいていた。
続いて警備犬センターへ向かったが私はロビンソン大尉と二人で別行動、車内では基地警備戦術を具体的に話し合い、毎週月曜日の朝には建物の周りに不審物がないか確認することやクレイムアをどこに設置するのかを車を止めて説明してくれた。

歩哨犬センターではベルジャンマラノイと対面したが思ったより小型だった。そして、シェパードのヘルニアなどの持病と環境適応力などの弱点がないことと顎の力がシェパードの3倍であることや闘争心が極めて強いことなどのベルジャンマラノイの優れた点、それを活かした運用方法を説明してくれた。特に銃が使えない平時には不審者を発見すると犬を見せて「君が投降しなければ犬に襲わせる」と警告を与える手順を実演してくれた。
このほかに横田基地の空港ターミナルで活躍する爆弾犬や麻薬犬は小型の愛玩犬だったが、三度吠えればほぼ確実に爆弾や麻薬があると断言したのには感心した。
警備犬舎の中で同行した池内3曹が吠えている犬に向かって「ジョン、ジョン」と呼ぶと案内の米兵が「イエス・サー」と真顔で答えた。やはり基地内はアメリカだった。
横田憲兵隊
横田憲兵隊(左端がジョン、中央の長身がロビンソン大尉)

当直下番の早朝、出産準備で休んでいた理美から、当直室に電話が入った。
「破水したみたい、これから病院に行くから」「エッ?」予定日よりはやや早いが、昨晩から陣痛が始まったと言う連絡は受けていた。
「交代したら迎えに行くから待ってろ」「大丈夫、自分で行けるから勤務優先よ!」こんな時にまで理美は模範的な自衛官の妻、女性自衛官の鑑だった。
「周ちゃんはお隣さんが預かってくれるって」それだけ言うと理美は電話を切った。私は当直を下番し、警衛隊の交代に立ち会った後、隊長に申し出て休暇をもらい、官舎に戻ると周作は隣の家でテレビを見させてもらいながら待っていた。
玄関で奥さんに礼を言い、理美の様子を聞いて、「周作、保育園に行こう」と声をかけると玄関まで出てきた周作は「僕もお母さんの病院に行く」と言いだした。奥さんの横で私を見上げている目は真剣だった。
「でも、これから何時間かかるか分からないですからねェ」と奥さんと話していると、「僕、お兄ちゃんだよ。病院に行く」と周作はもう一度繰り返す。
「大人しく待てるか?」「うん」周作は力強くうなずいた。「よし、それじゃあ、お父さんと赤ちゃんを待っていよう」そう言って頭を撫でると周作は満面の笑顔になった。

病院に行くと理美は分娩室に入る直前だった。
「大丈夫か?」「大丈夫、これでも体力検定1級だよ」と理美は強がりを言いながら、陣痛の波に顔を歪めた。
「お母さん、痛い?」周作が心配そうに顔を覗き込むと理美は「赤ちゃんがお母さんのドアを開けようと頑張ってるんだよ」と無理に笑顔を作って説明した。
「赤ちゃん、お母さんを苛めちゃ駄目だよ」周作の言葉に理美は、「赤ちゃん、頑張れって言ってあげて」と答えた。やがて看護婦さんが理美を分娩室に連れに来た。
「GOOD LUCK」肩を借りて分娩室に入りながら理美は親指を立てて笑顔を作った。
モリノ理美 (4)イメージ画像
廊下の長椅子に周作と並んで座っていると、分娩室から理美の悲鳴に似た声が聞こえてくる。周作は落ち着かなく立ったり座ったりを繰り返している。意外に早く子供は生まれた。
「オギャーッ」と言う第一声を聞いた瞬間の周作の顔を見ていて、私は「連れてきてよかった」と思った。その顔はもう兄のものだった。
看護婦さんが生まれたばかりの我が子を見せに連れてきてくれた。2820グラムの男の子、顔は母親似で、周作とは違ったタイプのハンサムボーイだ。やがて分娩室からベッドに乗せられて出てきた理美の両手を左右から父子で握った。
私が「ありがとう、御苦労さま」と声をかけ、額にキスすると理美はうっすらと目を開けて「名前はセイント聖也君だよ」と微笑んだ。
周作と一緒にテレビを見ながら考えた、理美の希望通り聖美の一字をとった名前だった。

「これで大丈夫だね」その時、私の耳に聖美の声が聞こえ、「お父さん、お母さんが『お兄ちゃん』って言ったよ」と隣で周作も言った。これが聖美の最後の言葉になった。

理美が無事、子供を産んだことをハガキで岡崎の親に伝えた。理美の2人の弟はまだ独身なので、この子は両親には初孫になるはずだ。勿論、それには長い間の無沙汰、非礼への謝罪の言葉を添えていた。
その前に、子供に会いに来た私の両親は褒め言葉のつもりか「今度は日本人だね」と言って私を激怒させたが、両親はその怒りも私の聖美への未練と短絡的に受け取っている。やがて理美の父から返事が届いた。
「貴方の奥さんである理美さんと当家には何の関係もありません。したがって今回『生まれた』と連絡を下さったお子さんも当家とは一切関わりはありません。ただ、法律上の必要により、将来、財産放棄の手続きをとっていただくことになるでしょう」これだけだった。しかし数日後、その手紙とは別に理美の母から現金書留が届いた。
「理美、おめでとう。赤ちゃんも、お兄ちゃんも大切に育てなさい。モリオ様、娘をよろしくお願いします」との手紙と出産祝いとしては多額な十万円が入っていた。

聖也が生まれて2週間、7月1日付で私は2等空尉に昇任した。産休に入っている理美は基地のミシン屋で2尉の階級章に付け替えた作業服にアイロンをかけてくれている。本当はミシンがけも理美が自分でやりたがったのだが、まだ退院して1週間、私が無理をさせなかった。
「モリオ2尉、モリオ2尉、ルンルンルン」理美は容姿に似合わない鼻歌を唄っている。私はその背中を幸せな気分で眺めていた。
その時、私はそろそろ理美も部内幹部候補生の受験資格が出来ることに気がついた。それを目指すなら、この産休は受験勉強をするのに好い機会だ。
「君も幹部を目指さないの?」私は作業をしている理美の後ろから声をかけてみた。理美は学科も優秀で専門的な話をしても相手に不足はしない、何よりも理美には人を惹きつける魅力がある。それはいつも一緒にいる若いWAFたちを見ても判る。
「私がァ?無理無理」理美は笑いながら首を振った。
「君なら学科は簡単、面接も一発だろ」「私なんて駄目駄目」理美はまともに取り合わない。それでも私は話を続けた。
「君の能力を思う存分に使わないのは勿体ないなァ。国家の損失だよ」その時、1着目の作業服が終わって、理美は振り返って私の顔を見た。
「私の能力は貴方との人生で思う存分に使うからいいの・・・それに」「それに?」私も理美の顔を見返した。理美は優しく笑っている。
「2人とも幹部になったら、一緒に暮らせないじゃない」そう言うと理美は抱きついて来て、私も抱き締めて口づけをした。産後間もなくでなければこのまま押し倒すところだが、それはお預けだった。

聖也のお宮参りは、岡崎城にある龍城神社にまで出かけることにした。岡崎出身者の自衛官同士、いわば現代の三河武士の両親の子だから東照大権現・神君・徳川家康公に守っていただきたかったのだ。
「それなら久能山東照宮でもいいじゃない」理美は岡崎行きをためらっている。
「ついでに矢作にも行きたいしね」「それは好いけど・・・」「知人に会いたくない」と言う理美の気持ちはよく解ったが、それで良いのかは別だった。
「周作に岡崎城を見せたいしな」「うん、お城を見たいなァ」私の説明に周作は無邪気にはしゃいだ。周作は忍者物のアニメが好きなのだ。
「周ちゃんのお宮参りは、やっぱり防府天満宮だったの?」聖也を抱いて寝かせている私に理美が訊いてきた。
「いや、天満宮は受験生で混んでいたから防府市の護国神社だったよ」「防府の護国神社って何所にあったっけ?」理美は5年以上防府市に住んでいながら知らなかった。
「桑山の山頂だよ」「そう?あそこはお寺じゃあなかった」「お寺はまだ登り口さァ」私の説明にも理美は矢張り判らないようだった。その時、私の腕で聖也が眠った。
「聖也、寝たよ」私が寝顔を見せると、理美は「うん」とうなづいてベビーベッドの布団を整えて寝かす準備を始め、周作はその隣で興味深そうに見ている。
「シーッ」周作が口に指をあてて合図をしたのを私たちは嬉しそうに見ながら聖也をベッドに運んで寝かせつけた。

「理美?」お宮参りを終えて、城内で行われている菊人形展を見学していると、私たちは背後から女性に声をかけられた。
「お母さん・・・」振り返った理美は女性の顔を見て固まったように動かなくなった。その女性は理美に似た美人で着ている和服も高級で品がいい。
「今年もココで?」「今年も菊人形展のお茶会をやっているんだよ。あなたこそ今日は?」「お宮参りです」そう言って理美が私を振り返ると義母は私たちに歩み寄った。
「モリオさんですね、はじめまして、娘が本当にお世話になっています」「はじめまして、こちらこそ勝手を致しまして申し訳ありません」義母の丁寧な挨拶に応えて、私も最敬礼をした。
「周作君?」「こんにちは」「こんにちは、えらいなァ」義母はゆったりとしゃがむと周作の頭を撫でてくれた。周作も嬉しそうに笑っている。
「これが聖也くんね」私たちへの挨拶を終えて義母は、私の腕で眠っている初孫の聖也を覗き見る。その顔は愛おしさに満ちていた。
「理美に似ているのかな?」「そうですか、それは愉しみですね」私の返事に義母は嬉しそうに笑ったが、理美は表情を変えないでいる。
「ご家族の皆さんはお変わりありませんか?」「はい、おかげさまで」私の問いかけに義母は穏やかに答えたが、理美は顔を強張らせた。その時、聖也が眠ったままクシャミをした。
「少し冷えてきたかな・・・それじゃあ」理美は私の脇から聖也の服を直しながら義母に声をかけた。
「そうね、今日は会えてよかったわ」義母は少し残念そうに答え、私の方を向き直った。
「モリオさん、不束な娘ですが、どうかよろしくお願い致します」「こちらこそ・・・」義母の丁寧な挨拶だったが、私は義父とのことを思うと続きは口に出来なかった。
「理美、元気でね。周作君と聖也君のいいお母さんになるんだよ」「もうなってますよ」私の台詞にようやく義母と理美は顔を見合わせて笑った。
「お祖母ちゃん、バイバイ」私たちの間で周作が義母を見上げながら手を振った。
「周作君、バイバイね」義母は周作に顔を近づけると優しく挨拶をしてくれた。
帰路、岡崎インターから高速に乗って、本宿を通過する車の中で理美は黙っていた。後部座席で聖也を抱いた理美の隣から周作が話しかけた。
「お母さん、あれがお母さんのお祖母ちゃん?」「うん、そうだよ」「お母さんと同じ顔をしてるね」「そう、似てたァ?」「君に似て美人だったな」「・・・」私の言葉には返事をしなかった。
「お義母さん、お茶の先生なんだ」「うん、毎年、菊人形展でお茶会をやってるんだ」「それ知ってたの?」「うん、だから・・・」ルームミラーを見ると、理美もこちらをジッと見返している。
いつもは私の意見に反対しない理美が、今回の岡崎行きをためらっていた理由が分った。
「会いに行った訳じゃあないし、お義母さんの方から声をかけてきたんだから」「うん・・・」そう答えて理美もうなづいた。
「でもお母さんに迷惑がかかるかも知れない」「そんなことないって」「私の家は父の言うことが絶対なんだ・・・家族は顔色を窺って暮しているの」それは私の実家も同じだった。母も父の思い通りになっていることだけを心掛けている。
「お互い親では苦労するね」私はいつもの台詞を言いかけたが今日は言葉を変えた。
「君のお母さんなら強いから大丈夫だよ」「私って強いの?」「地上最強の女だろ」私の励ましにルームミラーの中の理美は少し膨れた後、朗らかに笑ってくれた。
その夜、布団に入り腕枕していると理美がジッと私の目を覗き込みながら話し始めた。
「ねえ、今日、母に会ったのって本当に偶然?」私は理美のこの疑念は予測していた。
「貴方が私と会わせるために連絡してくれたのかなって思って・・・」そう言うと理美は私の胸に顔を埋めてくる。私は理美の髪の匂いを嗅いでいた。
「だって俺、君のお母さんが岡崎城でお茶会をしてるのは知らなかったさァ」「うん」理美がうなづくと髪が顎に当たる。シャンプーの匂いが甘い。
「若し、お母さんと会わせたいと思ったら、まず君の気持ちを確かめるよ」「うん」「いくら良かれと思っても、勝手に踏み越えてはいけない一線ってあるからね」「うん」理美は私の言葉にうなづいた後、何故か鼻をすすった。
「ねえ、抱き締めて」「どうして?」「貴方の胸に埋めて欲しい・・・」出産後、少し痩せた体を抱き締めると理美は私の胸で肩を震わせて泣きだした。
「貴方と結婚出来てよかった・・・」そう呟く理美の涙を私は口づけで吸い取った。

高射機関砲・Mー55の射撃訓練が行われる時期がきた。これは第2次世界大戦当時からの骨董品で、陸上自衛隊ではスイス・エリコン社製のLー90が導入されるまで後輪がキャタビラのハーフトラックと呼ばれる自走式だった。
航空自衛隊でもVADSと呼ばれる20mmバルカン砲搭載の新型の導入が進められているが、地理的条件ではなく航空総隊隷下の戦闘部隊が優先で、都市部で重要な工業地帯にある浜松基地であっても導入の予定はない。浜松基地の第2術科学校では実物を使って基地防空課程の教育をやっているが、それを借用することはできないのだ。
例年は警備小隊から集合訓練に要員を1名差し出して事を終わらすのだが、それですまないのが私だった。
「小隊長、今年のMー55要員は杉井3曹でいいですか?」作業員を選ぶように報告してきた先任の顔を見返しながら私は首を振った。
「この際、警備小隊員は全員操作できるように訓練しましょう」「えっ?」「何で?」私の言葉に先任と訓練係の上神田1曹は驚いたように声を上げる。
「突然、空襲されたら警衛隊で対応しないと迎撃できないでしょう」とは言っても太平洋側にある浜松基地が空襲されるようでは、航空自衛隊そのものが存在しているか判らない。それでも2人は納得したようにうなづいた。
「でも、基地防空要員は指揮官も差し出しで、今年は補給隊の梅田3尉だそうです」「1空団の訓練とは別に管理隊でやるんですから耳に入れておけばいいでしょう」私の返事に先任と上神田1曹は諦めたように顔を見合わせた。

訓練を始めた頃、偶然にも豊川駐屯地から第10特科連隊第6高射大隊が転地訓練にきて、私は連日、小隊員たちを見学に行かせた。そこで意気投合したベテランの陸曹はMー55と聞いて「懐かしいですなァ。ウチの若い奴にも歴史教育で触らせたいなァ」と笑っていたが、こちらはそれで戦うのだ。

1空団の集合訓練が始まる直前、管理隊は終わったが、基地業務群司令から「成果を見せろ」と言われ、訓練展示を行うことになった。すると例年は射撃準備でもたついて中々作動できず、「あれでは浜松名物の大凧も落とせない」と言われていたMー55が、陸上自衛隊のプロ仕込みだけに号令、動作ともにテキパキと進み、「あれならヘリくらいは落とせそうだ」と称賛され、見学に来ていた指揮官以下の隊員たちも気合を入れていた。
M-55展示訓練
M-55記念写真
これには想定外の成果もあった。
訓練要員だった杉井3曹が急病で入院して交代要員を差し出すことになったのだが、それを選ぶのに「誰でもOK」で、先任も「訓練はやるもんですね」と喜んでいた。

ある日、私は管理隊の隊長・小隊長会議の席で提案した。
「空襲からの回避要領を体験させるためランウェイ(滑走路)をフルアクセルで走らせてみませんか」すると輸送小隊長と隊長は顔を見合わせ小声で相談を始めたが、否定的な口ぶりだった。そこで私は追い打ちをかけた。
「飛行場勤務隊長には内々に話はしてあります」「相変わらず手回しがいいね」「何で勝手に」隊長は呆れ、輸送小隊長は不快そうだ。
「いいえ、飛勤隊長が基地当直につかれた時の雑談です」「・・・」ここで二人は黙ってしまい、私はテーブルのお茶をすすった。
「それでは日頃口やかましく言っている安全指導がないがしろになってしまいます」「うん、そこまでやる必要はないんじゃないか」結局、輸送小隊長と隊長の拒否でこの話は立ち消えになった。

それでも私の実戦的訓練の追及は止まなかった。手始めは警衛隊のドラーバーに夜間の巡察(パトロール)で暗視眼鏡を着け外周を無灯火で走らせたのだ。
「無灯火だとタヌキやイタチがどかなくて困りますよ」「外柵辺りをうろついている奴等が驚いていました」そんな実体験を聞いて輸送小隊の若いドライバーたちが「俺たちにもやらせて下さい」と小隊長や古参に内緒で申し入れてきたので、私は「当直ドライバーの時に警備小隊に来い」と許可した。
「俺、ようやく運送屋でなく自衛官になった気分を味わえました」「輸送で習うのと全然違いました」「これが小隊長が言われる実戦的って奴ですね」と管理隊の終礼であった会った若手ドライバーは言ってきたが、あくまでも隊長、輸送小隊長には内緒だ。
ちなみに輸送でやっているのは車両の後部に白い目印を付け、先頭を小さなライトを持った隊員が歩いて車列を誘導する旧日本軍方式だそうだ。

とどめは横田以来の研究課題になっている歩哨犬の問題だった。三沢、横田、嘉手納の空軍、岩国の海兵隊でも警備犬は必ず人間が随伴し、自衛隊のようにつないでおく番犬にはしていない。
さらにロビンソン大尉から「シェパードは命令に服従するように改良された犬種だから単独では吠えないのではないか」と言われたことも気になっている。そこで歩哨犬係を立ち合わせて上で隊員に接近させたが、案の定、身構えはするが吠えなかった。それは別の犬も同様でロビンソン大尉が指摘した通り犬種の問題だった。
私は歩哨犬の主治獣医から紹介された動物学者と相談した結果、縄張り意識が強く、環境に順応する日本犬の方が番犬には適していると言う結論を得た。それもある程度の大きさが必要なので秋田犬や甲斐犬、紀州犬が良いと言うことだった。
それを公式に航空幕僚監部に要望しようと思ったが、隊長から「根拠が弱い」「それでは歩哨犬が必要ないと受け取られかねない」と言う極めて輸送幹部的な指導を受けて断念し、逆に隊員が随伴して運用の研究に舵を切った

高級幹部の異動で基地司令が交代し、浜松市内のホテルで基地幹部会の送別会があった。その席で、私は1術校で理美の上司に当たる整備幹部の同期と一緒になった。
「モリオォ、お前が麻野3曹に子供なんか作るからこっちは大迷惑してるんだぞォ」「すまん」「米留した教官要員はあまりいないんだからなァ」すでにかなり酒が入っている彼は呂律が回らない口で絡んできて、教官のやりくりで苦労している話などをクドクドとこぼし始めた。私は「申し訳ない」を繰り返した。
「それにしてもお前もやるなァ、麻野は基地でも抜群の美人だったからなァ」「どうも」「それでいて浮いた噂もなくてな」「うん」彼は真剣に羨ましそうな顔をしている。しかし、私は理美から聞いている彼お得意のカマカケを警戒していた。
「でも俺は、奈良でお前の死んだ奥さんを見たことがあるぞ」「そうか?」「ハーフのすげえ美人だったなァ」「ありがとう」私の胸に聖美の面影がよぎった。
「美女薄命か・・・」彼はそう呟いて酔った顔に皮肉な笑いを浮かべた。
「ところでお前ら出来ちゃった婚だよなァ」「僅差だけど結婚した後の子だぜ」「フーン」今度は聖也が生まれた月から結婚した月までを指折り逆算して確認をし始め、私は「これが彼のかまかけか」と察知していた。
「お前、特別事情がなくなって、そのうち転属だろう?」「それはどうかな」この男は話がコロコロ変わるのが酒癖らしい。あまり酒癖は好くないとも聞いている。しかし、浜松へ来てからまだ1年だったが確かに彼の言う通りかも知れなかった。
「麻野は、どうせ産休で働いていないんだから、そのまま転属して連れて行っちゃえよ。そうすればうちは交代がもらえて助かるから」「そうかァ、それを聞いて安心したよ」私は内心では腹が立っていたが、冗談ではぐらかした。
「麻野には防府で唾をつけていたんだって」「それはない、あの時は妻がいたからな」「そうかァ?」私の返事に彼は酔ったまま皮肉な笑いを浮かべていた。
「南基地の男って言うのはお前のことだろう?」「なんだそれは」私は一気に酔いが醒めた。
「身上票に書いてあることだよ」「お前なァ、プライバシー保護に気をつけろ」本当は彼の頭から水をかけて酔いを醒ましてから言いたい台詞だった。結局、それは自衛隊の幹部の質に帰すべき問題と納得するしかなかった。

産休中の理美を休ませるため、私は聖也を抱いて周作と公園に遊びに出た。
「周ちゃん、今日はお父さんと一緒?」公園で地面に絵を描いて遊んでいた女の子たちが声をかけてくる。今年、年中幼児の周作よりは少しお姉さんのようだ。
「うん、聖也君もだよ」「周ちゃんの弟?」「ワーッ、見せてェ」滑り台の男の子たちのところへ周作が駆け出すのと交代に、女の子たちが私の周りを取り囲んだ。聖也は暖かな日向で欠伸をして、ウトウトし出した。
「ごめんね、寝むそうなんだァ」「本当だァ、静かにィ」私の言葉を受けて一番年長の女の子がほかの子たちに声をかける。
「小父ちゃん、私も弟がいるよ」女の子が1人、私に話し始めた。
「ふーん、可愛がってる?」「ううん、お母さんが触っちゃいけないって言うの」その子は寂しそうに首を振り、私はその家のやり方とは言え少し同情した。
「ふーん、残念だねェ」「でも、大きくなったらお姉ちゃんって呼んでもらうんだ」その子は待ち遠しそうに笑い、私もホッと安心して笑った。
「小父ちゃん、私のお父さんは赤ちゃんを抱っこなんてしないよ」今度は別の女の子が声をかけてきた。その話は近所の奥さん連中からもよく言われている。
「お父さん、きっと忙しいんだよ」「ううん、いつもパチンコに行ってるよ」「小父ちゃんは子守りが大好きなんだ」「フーン、小母ちゃん幸せだねェ」私は官舎の奥さん連中のミニチュアのような話しっぷりに女の子は怖いと思った。
「小父ちゃん、子守り歌唄える?」「うん、唄えるよ」「唄ってェ」突然のリクエストに私は胸の中で選曲をし、唄い始めた。
「ねんねんよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねんよ まだ夜は明けぬ 目覚めにゃ早い よい子は泣くなよ ねんねんよ・・・」これは最近、理美から習った愛知県岡崎地方の子守り歌だった。私の子守り歌を聞きながら聖也は眠ったようだ。女の子たちが拍手をしてくれた後、年長の子が「静かに、あっちへ行こう」と指示をして、また絵の跡がある地面に戻って行った。

小1時間して周作は公園に残って家に帰ると理美が待ちかねたように報告をして来た。
「岡崎の母から電話がありました」「ふーん、何だって?」前回、岡崎公園で会ってから半年になる。私は「何かあったのか?」と一瞬心配した。
「父も弟も出掛けて暇だからって・・・」理美は何故か申し訳なさそうに答えた。
「それはよかったさァ」そう答えながら私は眠った聖也の顔を理美に見せた。
「聖也は大きくなったかって」聖也の布団を整えに行きながら理美は答えた。
「もうすぐハイハイするからねェ」私は聖也の寝顔を見ながら言葉を返した。
「本当、もう布団の中で第5匍匐してるもんね」「おッ、専門用語ですな」「しまったァ」私に指摘されて理美は舌を出して笑った。

警備小隊長になって2年、私は警備戦闘訓練に取り組んでいた。そんなある日、私は防衛部に呼ばれた。
「小隊長、実はな・・・」WOCに私を誘った防衛班長は緊張した顔で話し始めた。
「近いうちに米軍が北朝鮮の核施設を攻撃する秘密計画がある」「はい」最近、北朝鮮の核開発問題がニュースを賑わしていた。現在も米海軍の空母艦隊は日本海で行動している。
「米軍が北朝鮮を攻撃すれば、当然、在日のCS総連が騒ぎ出すだろう・・・」「はい」「そうなると航空陸戦隊の出番だ」最近、迷彩服を着て戦闘訓練や格闘訓練に明け暮れる警備小隊は「航空陸戦隊」と仇名されていた。
「でも、国内の治安状況から言って武器を使った基地への攻撃はないでしょう」「そうだな」「それで警備を強化する命令は出せますか?」「それは無理だ」「やはり・・・」米軍単独の攻撃では大規模な騒乱状態が起きない限り、自衛隊が独自に警備を強化をするわけにはいかないだろう。
「となると訓練ですか?」「毎度のな・・・頼むは」「ラージャ」「いよいよ月光の出番だ」「月光」と言うのは警備小隊でも選りすぐりの隊員に与えている尊称で、子供の頃に見ていたテレビ番組の忍者部隊「月光」に由来する。
「この話は、防衛関係の幹部しか知らないことを忘れるなよ」「イエス・サー」防衛班長とはツーと言えばカーという信頼関係が出来ていた。その時、一瞬、官舎も危険になることを想い、理美、周作、聖也の顔が胸をよぎった。

私は即日、「夜間における監視能力、対処の練成訓練」の命令を起案した。
「また陸戦訓練かァ、頑張るね」何も知らない隊長は笑いながら決済してくれた。それから警備小隊員たちは、交代で主要地区周辺に迷彩服を着て潜伏し、徹夜の監視を実施をする。私は連日徹夜で訓練指揮官としてこれを監督し、実質的に指揮を執っている。
ある日、産休を終えていた理美とPXで待ち合わせて一緒に喫茶店に入った。家にはもう1カ月近く帰っていない。
「ねえ、何があるの?」「別に、何で?」私は勘の鋭い理美の質問に答えを濁した。
「最近、警備小隊がすごい訓練をやってるって、うち(1術校)でも官舎でも評判だよ」「猛訓練はいつものことだよ」「でも、貴方の今の顔、軍人そのものだよ」そう言って理美は私の顔を見詰めた。確かに気合が入っていて疲れは感じていない。
「格好いいかい?」「もう馬鹿ァ・・・素敵だよ」理美は幹部自衛官として答えられない事情を察して冗談に乗ってくれた。
「でも周作は兎も角、聖也が顔を忘れちゃうかもなァ」「大丈夫、毎日写真を見せてるから」理美が私を安心させようとしてくれているのが分った。
「それじゃあ、遺影にお参りしてるみたいだな」「もう、縁起でもない」私の冗談に、そう答えた理美の顔が心配そうに曇った。
「本当、体に気をつけてね、家は心配しなくて良いよ」「うん、よろしく頼むな」本当はキスをしたかったが、ほかの客がいたのでテーブルの下で理美の手を握った。
浜松航空陸戦隊
北朝鮮の核開発問題は、カーター元大統領の電撃訪朝で一転、解決を見て、同時に米軍による核施設への攻撃計画の存在が報道された。
「小隊長、訓練はこのためだったんですね」「そうかァ?偶然だろう」ニュースを見た隊員たちの質問に私はまだ惚けていた。しかし、隊員たちはそれで納得し達成感を噛み締めている。私は彼らの仕事の本質を見て、自信を増した顔つきに「軍人そのもの」と言った理美の言葉を送ってやりたいと思っていた。しかし、その時、私は疲れからか変に体が重かった。
「小隊長、顔が赤いですよ。熱があるんでは?」先任が声をかけてきた。
「そうですか?確かに少しだるいんですが・・・」私は返事をしながら寒気も感じていた。
「体温計を持って来い」先任は事務室にいた空士に警衛所にある体温計を取りに行かせた。

38度5分の発熱で衛生隊に受診し、警備小隊に戻ると先任が理美に連絡し、隊長へ報告、休暇の手続きも済ませてくれていた。
私がソファーに深く腰をおろして先任と向かい合って休暇中の業務の相談をしながら待っていると外で聞きなれた車のエンジン音がして理美がドアを開けて入って来た。
「貴方ァ!」理美は思いがけない大きな声を出したため、先任は驚いた顔をした。
「気合が抜けたのかなァ、俺も修行が足りん・・・」「もう、強がらないの!」私がふらつく足で立ち上がると理美が脇から肩を支えようとする。先任も手を伸ばした。
「大丈夫、歩けるから」「いいから摑まって・・・」そう言うと理美は私の腕を肩に回して手を掴んだ。先任は心配そうに、そして少し羨ましそうに見ている。
「先任」「はい」「ほかにも体調を崩す者がいるかも知れません、確認をお願いします」「判りました。小隊長こそお大事に、ゆっくり休んで下さい」そう答えると先任は先回りして小隊本部のドアを開けてくれた。
「手が熱いよ」「うん、君に触るのは久しぶりだからなァ」「そうじゃあなくてェ」私の冗談に理美は安心したように笑った。理美の車で1カ月ぶりに家に帰った。

私は3日間の安静、自宅療養をした。朝、出勤前と夜、理美は子供たちを寝かせてから体温を確認する。
「よし、36度2分、平熱に戻ったぞ」そう言って理美は嬉しそうに体温計を見せた。
「もう体はだるくない?」理美は私の顔色を見ながら訊いてくる。
「うん、腹が減ったァ」平熱に戻ったと聞いて急に食欲が湧いてきた。
「そう、消化がいいように煮込みうどんでも作ろうか?」「素うどんで好いや」煮込みでは煮るのにも、食べるのにも時間がかかる。どちらかと言えば早く食べたかった。
「それから食べたら風呂に入りたい」「大丈夫?」私は風邪ではなかったが、風呂は体力を消耗するからと控えていたのだ。
「食べてェ、風呂に入ってェ、その後は理美とエへへへ・・・」そう言ってジッと顔を見詰めると、理美は「快復が早過ぎるよ」と呆れたように笑った。

理美が作ってくれた月見うどんを食べ、風呂に入り、布団に入って、それは実行された。
「ねえ、本当に大丈夫?」私に腕枕をされながら理美が心配そうに訊いてきた。確かに1ケ月間連夜の徹夜で午前中仮眠するだけの毎日だったのだが、3日間の休養を取って不思議に気分は高揚し体は臨戦態勢になっている。
「NHKの『武田信玄』って見てたかい?」「ううん、WAF隊舎じゃあ、難しいドラマは見ないね」予想外の話の展開に戸惑いながらも理美は恥ずかしそうに首を振った。
「信玄が戦いから帰った最初の夜を『御帰還第一夜』って呼んで、奥方たちは競い合っていたのさァ」「ふーん」理美は勉強をする時の顔になっている。
「そう言えば、信玄の奥方にもサトミって言う女武者がいたなァ」「へー」「今宵は御帰還第一夜、いざ」そう言って抱き締め首筋にキスをすると「もう、結局そうなるんだからァ」と理美は呆れたように笑った。
「でも、元気になってよかった・・・」理美はそう囁くと私の胸に顔を押し当てて埋めて来る。これは最近、癖になっている。私はその額にキスをする。これは習慣であった。

「次の転属先どうしよう?」理美が転属希望調査票を持ち帰って来た。私の幹部申告に内容を合わせなければいけないので相談することにしたようだ。
「救難隊がある基地だよなァ」「うん、でも貴方は教育幹部でしょ、教育隊が普通だよね」救難隊と教育隊では同居している基地がなくて理美は困った顔をしている。
「地連や団司令部の訓練班長って言うのもあるな」「それじゃあ航空基地でも大丈夫?」理美はホッとして私の顔を覗き込んで訊いてきた。
「全国の部隊を鍛えて回るのも、教育隊の区隊長よりは面白いかもな」「そうかァ、その方が向いているかもね」理美は納得したようにうなずいた。
「だったら北から千歳救難隊」「で雪まつり」「三沢救難隊」「でネブタ祭り」私が横からチャカすと理美が「もう、真面目に考えてよ」と言って少し膨れた。
「だって君と一緒ならどこでも住めば都だろォ」「私もそうだよ、ウフフフ・・・」見詰め合って肩に手をかけると、そのままいけない世界に入りそうになった。
「こんなことをしている場合じゃあない」理美は真面目な顔に戻って話を再開した。
「三沢の米軍基地と言うのも子供たちの国際性を養うのにいいね」「そうかァ、スキーも覚えられるしね」幹部としては動機があまり真面目ではないような気がしたが、理美が「自分の部下ではないからいいか」と思った。結局、私が浜松に来て3年目の時期に、第1希望は三沢救難隊、第2希望は「仙台七夕祭り」の松島救難隊と言うことにした。ついでに転属を全国官費旅行にして楽しむことも理美は学んだようだった。

聖也も2歳を過ぎて、何にでも興味を持って訊いてくるようになった。
ある休日の午後、私が読書、理美が洗濯物を干している時、隣の部屋から玩具で遊んでいる周作と聖也の会話が聞こえて来た。
「お兄ちゃん」「何?」「あの写真の人だれ?」聖也は箪笥の上の聖美の写真を指差した。
「僕のお母さんだよ」「お母さん?」「交通事故で死んじゃったんだ」周作は淡々と答える。聖美とのことも周作にはもう記憶の中の一場面になり始めているようだった。
「お兄ちゃんのお母さん、僕のお母さん?」「う・・・ん」周作には答えが難しいようで考えている。私は子供たちが出す結論を待つことにした。
「うん、そうだよ」「僕のお母さん?」「そう、聖也君のお母さん」周作はそう答えると立ち上がって聖美の写真を覗き見て、聖也もそれにならった。
「でも、今はお母さんがお母さんだよ」「どうして?」聖也は不思議そうに周作の顔を見た。
「だってお兄ちゃんのお母さんもお母さんだもん」「うん、わかった」周作の答えに聖也はうなづいた。2人はまたしゃがんで玩具で遊び始めた。
「どうしたの、何か感激するような番組やってたァ?」涙目になっていた私の顔を洗濯物を干し終えて部屋に戻った理美が見つけた。
「うん、すごく感激した。さっきね・・・」私の説明を聞いて今度は理美まで涙ぐんだ。
「よし、晩御飯は御馳走だァ」涙を拭いて理美は変な気合を入れていた。

夏の異動で私は第1輸送航空隊司令部訓練班長、理美は小牧救難隊に転属を命じられた。それは「アメリカへ留学した経歴上、新型救難機に専門的に関わる必要があるからだ」と理美の上司の同期から説明を受けたが、それは言い替えれば幹部の私よりも空曹の理美の経歴が優先されたことになる。別れ際まで皮肉な男だった。
一方で「予算節約のため浜松から小牧になった」と言うセコイ話や「海外派遣部隊の警備小隊長として第1輸送航空隊にキープされる」と言う有り難い話もあった。何にしろ私たちは、岡崎を挟んですぐ向う側へ、近場の移動をすることになった。

私の送別会は南基地の隊員クラブでやるそうだ。
「小隊長、送別会には奥さんも招待しますよ」「でも、子供がいますからねェ」先任からの思いがけない申し出を受けて私は考え込んだ。
「お子さんたちもご一緒にどうぞ。子守りにWAFも呼んでありますから大丈夫です」「そうですか・・・」まだ不安そうな私に先任は意味ありげに微笑んでいる。
「それから小隊長も奥さんも制服でどうぞ」先任は何故かそう付け加えた。
当日、私が小学校の子供クラブへ周作を、理美が保育園に聖也を迎えに行って警備小隊で待ち合わせて隊員クラブへ行くと、会場には制服姿の参加者がだいぶ席についていた。主客席の天井からは「モリオ2尉&3曹 合同結婚祝賀・送別会」と言う横看板が下げられていて、テーブルには花まで飾られている。
「こう言うことかァ」この機会に祝ってくれようとするみんなの気持ちは嬉しかったが、私は看板を見上げて溜め息をついた。
「俺の結婚式はいつもついでなんだな・・・すまん」「何を謝ってるのよ、愛知県みたいな形だけの派手な結婚式よりもよっぽど嬉しいよ」聖也の手を引いた理美は心から感激しているようだった。
「私の結婚をみんなに祝ってもらえるなんて思っていなかった・・・」理美は涙ぐんだ。初めての場所、雰囲気に私の横の周作は興奮気味、聖也は緊張しているようだ。
「みんな、変にヨソヨソしかった訳だァ」「小隊長として監督不足だね」私と理美が呆けと突っ込みで掛け合っていると理美の後輩のWAFたちが周りに集まってきた。
「小隊長、先輩―い、オメデトウございまーす」「お子さんは、私たちがお預かりしまーす」WAFたちはハシャイダように声をかけてくる。
「大丈夫ゥ?心配だなァ」理美の母親としての心配にWAFたちは「頑張ります」と声を揃え返事して、周作の手を引き、理美から聖也を受け取った。周作は嬉しそうな、聖也は驚いた顔をしている。
「子供の食べ物は?」「トイレは?」私たちが口々に声をかけると、「大丈夫です、ベテランが付いていますから」と自分たちの席に座っているベテランWAFの森2曹を指差した。私と理美は顔を見合わせて森2曹に会釈をし、会釈を返された。
「小隊長、驚いたでしょう」先任がシテヤッタリと言う顔で近づいてきた。
「やられたァ」「軍神・モリオ2尉から一本取れれば、私も大したもんですワ」先任は快心の笑顔を見せた。確かに先任は最近、コソコソと1術校へ出かけてはいた。
「新郎新婦はあちらへどうぞ」そう言うと先任は私たちを主客席に案内する。席の両側には私の上司の隊長。理美の上司の課長がすでに待っていた。
始めに理美の教え子の浜松救難隊のWAFから理美にブーケが送られて会は始まった。


  1. 2013/01/24(木) 09:20:24|
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