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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

7月2日・陸上自衛隊少年工科学校の生徒13名が溺死=殉職した。

昭和43(1968)年の7月2日に陸上自衛隊武山駐屯地にあった陸上自衛隊生徒=少年工科学校12期生の3年生13名が溺死=殉職する事故が生起しました。
少年工科学校は帝国陸軍の幼年学校に準ずる形で設立された自衛隊の教育制度で、敗戦後の日本が困窮していた中、高校進学を諦めていた少年たちを武山駐屯地に集め、給料を与えながら神奈川県立湘南高校(当時)の通信課程と言う形式を取っていても実際は通常の高校のような授業を受けさせ、さらに陸上自衛隊としての訓練を施して4年間の課程終了後には3等陸曹の階級と高校卒業の学歴を与えていました。
ただし、武力紛争関係法のジュネーブ諸条約第1議定書・第2議定書と児童の権利に関する条約や武力紛争における児童の関与に関する児童の権利に関する条約選択議定書などでは18歳未満の少年を兵士にすることは禁じられており、このため平成22(2010)年から自衛官として身分を持たない陸上自衛隊立の専門学校である高等工科学校に変更されています(現在は神奈川県立横浜修悠館高校の通信課程)。ところが民間人の未成年者でありながら現在でも実弾射撃を含む武器を使った訓練は実施しているのです。
この日は午前中の座学を終えて午後からは小銃を持っての地上戦闘訓練を実施していたのですが、主任教官のT尉が駐屯地内に併設された航空自衛隊第1高射群第2高射隊の地対空ミサイル・ナイキ・エイジャックスの援体としての土手を構築するために掘削した穴に水が溜まった通称・やすらぎ池での渡河訓練を思い立ち、池の中央部の南北にロープを渡し、T1尉を先頭にその右を3区隊、左を4区隊から入ることになり、午後2時ごろから水中を進み始めました。ところが梅雨時でもあり水位は通常よりも30センチ以上深くなっており中央付近で溺れる者が続出したのです。この時の生徒たちは作業服に弾帯、鉄帽を被り、足には革製の半長靴の乙武装、おまけにM-1ライフル(長さ1・108メートル、重さ4・3キログラム)を携行しており、水泳が得意な者でも水を吸った被服と半長靴、装具の重さで水底に引き込まれてしまったようです。
この事態に先に渡り切ったT1尉以下の教官たちは水中に飛び込んで救助に当たりましたが多くの隊員が歩いた池の水は濁り切っており、その後、急報を受けた学校職員、さらに海上自衛隊横須賀基地から派遣された水中処分員のダイバーも加わって大規模な捜索が行われ、現場で医官や衛生隊員による懸命な救命処置が行われたにも関わらず結局、午後4時25分になって最後の1名が発見され13名が溺死=殉職する大惨事になりました。なお、殉職者の出身地は鹿児島県が3名、山形県が2名、青森県(西津軽郡)、宮城県、福島県(会津若松)、石川県、島根県、福岡県(春日市)、熊本県、大分県が各1名でした。
昔の自衛隊では安全管理に対する認識が甘く、「命がけ」と言えば「本当に死ぬこと」式の帝国陸海軍的精神主義が横行しており、準備や段階もなく無謀な訓練を実施することを突発的な事態に対処する「実戦的だ」と思い込んでいる無茶な幹部も確かにいました。
主任教官のT1尉は退官後に出家して遺族を訪ねて謝罪したそうですが野僧が同じ立場なら自裁したでしょう。それが真の武人たる幹部自衛官の筋の通し方です(あくまでも航空自衛隊では)。
  1. 2018/07/02(月) 10:48:13|
  2. 日記(暦)
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コメント

航空自衛隊?

陸自を侮辱するような内容に憤りを感じる。
コウモリ空自ごときが。
  1. 2023/06/02(金) 12:48:17 |
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  3. 陸自OB #-
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